2019年12月31日火曜日

特別展 「聖徳太子信仰」③(浄土寺の太子摂政像)

神奈川県立金沢文庫で令和元年秋に開催され特別展「聖徳太子信仰」には
広島県浄土寺からも太子像3体と数々の寺宝が出展されていた。尾道にある浄土寺はみうらじゅん氏・いとうせいこう氏も見仏記で2回も訪れるており、太子摂政像についてみうらじゅん氏はいたく気に入ったようで「見つめていると引き込まれてしまう。仏の眼であった。」と書いており、俄然興味がわく仏像の一つだ。尾道に太子信仰が広まった理由を金沢文庫学芸員の瀬谷氏は真言律宗の布教活動の結果と説明している。摂政像は像高135センチで少しでっぷりした頬で厳しい眼をしている。左手に香炉を持ち、右手に笏。髪の毛は頭の両側でまとめる形で、衣服にきらびやかな紋様が残っている南北朝期の美しい作品だ。雑誌の特集記事で知ったのだが浄土寺は今年特別開帳された平安時代の十一面観音や南北朝期の阿弥陀三尊があり、尾道の古刹にはあまたの興味深い仏像が祀られているようだ。いつか尾道仏像拝観の旅に出たいと思った。

2019年12月28日土曜日

宝積寺の閻魔大王と四眷属

宝積寺のこと初めて知ったのは京都のお寺と神社が掲載されている雑誌から
であった。そこには閻魔大王と太山夫君・五道転輪王・司命・司録の写真が掲載されており圧倒的迫力で読者に迫ってくる感じだ。私はこの仏像が見たいと思い秋に計画したが、延暦寺の至宝展や六道珍皇寺など見どころ多く、京都のはずれの大山崎までの時間が取れなく断念していた。今年の秋は京都非公開文化財は絵画や工芸にスポットがあたっているため、懸案だった福田寺の龍神像と宝積寺を訪れる機会に恵まれた。宝積寺は明智と豊臣の天下分け目の天王山の中腹にあり急坂を登ってついた。受付で拝観料を払い御朱印をお願いしてから、まずは閻魔堂に入った。静寂の中に冥界の威風が沸き立つような迫力を感じた。特に前に座す司命・司録がよく司録の紙のたるみや司命が座す椅子を覆う毛皮など目を見張るディテールだ。目には水晶の目玉が光り細部の写実性が光る鎌倉前期の秀作であった。本堂の十一面観音を拝んだから御朱印をいただいてお寺をあとにした。


2019年12月21日土曜日

東大寺ミュージアムの千手観音

大急ぎで興福寺を回り、奈良で最後に訪れたのが東大寺ミュージアムだ。
その中心に置かれているのが、かつて四月堂という御堂に安置されていた千手観音だ。改めてミュージアムで見ると像高2メートル以上ある平安時代の仏像に圧倒された。千手観音の通例は42臂だが様々な持物をもつ脇手が合掌する本手と同じ大きさというところが、迫力の原因だろう。見仏記によるとみうらじゅん氏・いとうせいこう氏はかつての四月堂を訪れており、みうらじゅん氏が「蛇だ、白蛇だよ、手がしなっている」とささやいたことも、うなづける。脇侍はかつてミュージアムに安置され法華堂の修復が終わり戻った不空羂索観音の日光・月光菩薩菩薩だ。今は千手観音の脇侍を務めている。脇手の上を向いた手にかつて何か持物を持っていたはずだったが、前の写真を見ると日月をささげ持っていた。今回のミュージアム移転に伴い外されしまったが、かつての姿に戻ることを祈りつつほかの展示に向かった。


2019年12月14日土曜日

特別企画「文化財よ、永遠に」②(楞厳寺の釈迦如来)

特別企画「文化財よ、永遠に」では東日本大震災で被災し修理され
東博にて晴れて展示されている仏像が多かった。ここに紹介する福島県いわき市の楞厳寺(りょうごんじ)釈迦如来も1089ブログに書いてあったが須弥壇上から落下、脇侍の迦葉・阿難像とともに全壊に近い状態になっていたとのこと。この特別企画では学芸員の仏像解説とともに、修理に携わった住友財団の修理の工程も説明されているのが特徴だ。東博でも鑑賞者に「じっくり仏像と対面する時間を持ってみたらいかがでしょう。」という提案の試みとして鑑賞空間から仏像解説を切り離しステージの手前の低いところに設置しより仏像をじっくり鑑賞できた。平成29年夏に仏像クラブで福島県いわき市を訪れその仏像の多さに驚かされたが、楞厳寺はいわき市の南部勿来(なこそ)にあり鎌倉時代末期の仏像だ。金箔もよく残っており今回の修理では剥落止めがほどこされこの美しい仏像が永遠に残ることを祈りつつ次の展示に向かった。

2019年12月6日金曜日

般若寺の八字文殊菩薩

今回の京都・奈良旅行で最後に決まったのが般若寺だ。秘仏開帳ページで興福寺の近くで開いているお寺を物色していたら般若寺の白鳳仏を見つけた。写真が仏像カレンダーでも掲載されており見仏記でみうらじゅん氏・いとうせいこう氏も訪問しているのでいい仏があるに違いないと確信して決めた。お寺に着くと住職が寺の歴史の説明をしており、聖武天皇の発願で平家物語や太平記の舞台になったことを懇切丁寧に語っていただいた。本尊は「八字文殊菩薩」で鎌倉時代に後醍醐天皇の発願で再建された。以前は丈六の文殊菩薩があったが焼失し厨子に祀られた文殊菩薩を本尊とした。「八字」の意味は見仏記によると童子顔な文殊菩薩の髷の数を意味しており普通は5つ、般若寺は8つあるからだ。善財童子らを従えて筋骨隆々した獅子の上に乗っている菩薩だが、髷が小さな女の子の髪で作るいわゆるオダンゴに見え、右手に持つ剣も短めで、一心に前を向いている健気な目をしている。コスモスが咲く庭に建つ十三重石塔から見つかった白鳳仏も気になるので、本堂をあとに宝蔵堂に向かった。


2019年12月1日日曜日

不空院の不空羂索観音

不空院のことを初めて知ったのは見仏記であった。みうらじゅん氏のイラス
トも掲載されており、興福寺南円堂の雛形との説明があり気になっていた。一昨年の快慶展のおり、璉珹寺を訪れた際、不空院も訪れるよう勧められた。決定的になったのは今年の9月に購入したヤマケイミニカレンダー仏像の5月に不空院の不空羂索観音が載っておりこの秘仏開帳が行っている不空院に出かけた。中に入ると不空羂索観音の前にボランティアの方が待機しており、上品な年配のご婦人が不空院の歴史や不空羂索観音の説明をしてくれた。不空羂索観音は金の残り方も艶やかな八臂の座像で鎌倉時代の作。見仏記によるとここ不空院もLEDの照明が導入されたおり心なしか光に奥行きと優しさがあった。京都で消滅した絵葉書が売っていたので購入し御朱印をいただいて、興福寺を拝観するため、急ぎ奈良公園に戻った。