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2024年11月16日土曜日

鎌倉の伝運慶仏・鎌倉国宝展


 先週の土曜日、鎌倉国宝館開催の特集展示「鎌倉の伝運慶仏・鎌倉旧国宝」に出かけた。会場に入るといつもの通り「鎌倉の仏像」の展示だと思ったが説明板によると「鎌倉の仏像」「鎌倉の伝運慶仏」「鎌倉旧国宝」の展示が入り乱れて展示されていた。教恩寺阿弥陀三尊の近くにいつもの辻薬師堂の薬師如来と十二神将で今日は鎌倉の仏像の展示品でもあり鎌倉の伝運慶仏の展示品。十二神将の間に伝運慶仏の地蔵菩薩が展示され、いつもの鎌倉の仏像の間に山本先生が審議委員会長の令和6年度横浜市指定文化財の東漸寺迦葉像。鎌倉旧国宝展はいつものガラスケースに円覚寺塔頭伝送庵から地蔵菩薩という展示だ。最初戸惑っていたU案内人出品リストと掲示を見て理解したらしく、伝送庵地蔵菩薩をさかんに絶賛していた。私はやはり修理完成した教恩寺阿弥陀三尊がよかった。それぞれの仏像の解説はあとにするが、限られた空間で効率的に展示した鎌倉国宝館の学芸員は優秀だと感じた。一通り見て鶴岡八幡の御朱印帳を購入して鎌倉を後にした。









2020年6月27日土曜日

覚園寺の薬師三尊

本日は仏像クラブで覚園寺を訪れた。前回下見でU案内人と訪れたときより
蒸し暑かったがあじさいはよく手入れが行き届いているようで、きれいに咲き誇ってていた。茅葺の本堂に向かうと先についたの善男善女に例の年配のお坊さんが説明している最中だった。見上げると薬師如来が穏やかに我々を迎えてくれた。ここ覚園寺は2代執権北条泰時の創建した大倉薬師堂を9代執権北条貞時が二度と元寇なきようとの祈りを込めて寺に改めたとのこと。その際運慶が造った再興像として慶派が製作したが、また被災し尊氏の時代に本堂と薬師如来の修復、十二神将を再興した。本尊は頭部が鎌倉時代、胴体が室町時代と覚園寺の歴史が刻まれた造りとなっている。前回訪れたときはU案内人と話したのが頭部を製作した慶派の仏師についてだった。覚園寺は13世紀創建から、私は近くの金沢街道にある明王院不動明王の作者肥後定慶を押したが確証はない。きりりとしているが優しいまなざしの薬師如来を見つめながら、境内を散策し、小町通の素材屋でアジの御造りをいただきながら大いに語った仏像クラブの面々だった。


2020年6月21日日曜日

覚園寺十二神将

覚園寺十二神将は運慶作十二神将が大倉薬師堂被災し、二代目として院派の
朝祐が室町時代に制作したものだ。茅葺の薬師堂に足利尊氏の銘記が残るように足利将軍家や鎌倉公方と密接な関係があったことが、伺える。像高190センチ余りの仏像が多いなかやや小ぶりな戌神(いぬがみ)は製作時期が違うという説がある。大倉薬師堂の創建者北条義時にまつわる伝説について年配のお坊さんよりより詳しい話を聞くことができた。鎌倉三代将軍実朝が勅使を鶴ヶ岡八幡宮に迎える際、刀持ちの役をする予定だった北条義時が戌神の夢のお告げを見たが、気にせづ八幡社に向かうおり犬が目の前にあらわれずっと見ていたそうだ。その後気分がすぐれず変わってもらい危うく実朝暗殺の難を逃れたとのこと。覚園寺の戌神は髪をまいたヘアースタイルが鎌倉国宝館の十二神将に似ており初代の復興像と考えられる。じっくりと十二神将をU案内人とみて、あじさいを鑑賞しながらお寺をあとにした。

2020年6月13日土曜日

覚園寺のエンジェル

緊急事態も解除され同じ県内の鎌倉覚園寺にU案内人と出かけた。覚園寺は
仏像クラブの原点でU案内人と初めて訪れたお寺だ。普段は団体行動で拝観だが、コロナ禍のこの時期は10時から16時まで本堂の拝観を自分のペースでできることをフェースブックで掲載されたのでU案内人と相談して訪問した。茅葺の本堂に入ると薬師三尊と十二神将が迎えてくれた。U案内人は何か霊的なものを感じたらしく感じ入った雰囲気であった。しばらくするとお寺の年配のお坊さんが我々を気遣ってきていただき、我々の質問に答える形式で説明をしていただいた。私が質問したのは月光菩薩についている迦陵頻伽(かりょうびんが)が日光菩薩についていない点だった。迦陵頻伽は極楽浄土に棲む鳥で、顔は美女のよう、美しい声で鳴くといわれている。お坊さんによるとはめ込み式になっており、関東大震災のおりにはずれ紛失したとのこと。平成30年三井記念美術館でアメリカ人所蔵の迦陵頻伽をお坊さんも拝観されたそうで、覚園寺の迦陵頻伽ではないと感じたと話しておられた。私も仏の瀬谷さんのいう説には疑問があり今回よく見ると顔が違うと感じた。この覚園寺は知る人ぞ知るお寺だが2022年の大河ドラマが「鎌倉殿の13人」と決定し覚園寺の前の大倉薬師堂を創建した北条義時が主人公で覚園寺もロケ地に決定したことで日本全国から多くの人が参拝にくることになるだろう。U案内人と二人で思い切って鎌倉に来てよかったと思った。昼食のレストランで海鮮丼をほおばりながら鎌倉について大いに語った。

2016年6月18日土曜日

観音ミュージアムの如意輪観音

3月まで開催されていた観音ミュージアム「長谷寺仏教美術の至宝-彫刻編-」で
は見たことが無い仏像が展示されていたが、そこで気になったのがこの如意輪観音だ。鎌倉の如意輪観音といえば、来迎寺の観音が有名だがここ長谷寺にもあるとは知らなかった。観音は室町時代の寄木造で如意輪観音の特徴である如意宝珠や輪宝などの持物が失われているのが残念だ。伝快慶作だといわれるが、一面六臂の体躯、足裏を合わせて座る「輪王座」など通例の姿で表現されるとともに、卵型の面部、やや高めに結われた髻、抑え気味ではあるものの動きのある衣文の作りこみなどから宋風の作例を意識して製作された尊像といえるだろう。また目にする機会があればそこらへんを意識して鑑賞したいと思う。

2016年5月2日月曜日

鎌倉来迎寺の如意輪観音に再会する

昨日(4月30日)によい天気だったので、鎌倉西御門(にしみかど)にある
来迎寺に拝観に出かけた。仏像クラブでは2回ほど拝観したことがあるが、「新TV見仏記」のDVDを見たとき、みうらじゅん・いとうせいこう氏が有名な如意輪観音と共に、地蔵菩薩・跋陀婆羅尊者(ばだばらそんじゃ)のについても紹介しており、再訪して確かめないわけにはいられなかったからだ。来迎寺はおどり念仏で有名な一遍上人の遊行寺の末寺で、本尊は阿弥陀如来だが見るべき仏像は客仏の地蔵菩薩や如意輪観音だ。「新TV見仏記」で御住職が室町に造られたこの地蔵菩薩のことを「法衣垂下像」の鎌倉の代表的地蔵として奈良博の「鎌倉の仏像展」に出展されたことや跋陀婆羅尊者はお風呂の神様であることなどが語られていた。たしかに地蔵菩薩は台座を覆い隠すように法衣がたれさがっており、尊者像も靴をはきお風呂のお湯をかき回す棒をもたれていた。いつもの如意輪は鎌倉地方にのみはやった「土紋」(どもん)をつけており、美術史的にも貴重な二体が同時に見られるありがたいお寺だった。帰りに御朱印をいただいてつつじ咲く鎌倉をあとにした。

2010年12月4日土曜日

来迎寺の如意輪観音

本日は仏像クラブ今年最後の仏像鑑賞会だった。鎌倉は今紅葉の盛りで瑞泉寺の紅葉がすばらしかった。瑞泉寺を後と向かったのが、西御門の来迎寺だ。本堂の前のインターフォンを押して案内をお願いするシステムになっている。本堂右手が今回お目当ての如意輪観音だ。お寺の方の説明によると南北朝時代に製作されたとのこと。小首をかしげるポーズが悩ましい。六臂の手に輪宝・如意宝珠・羂索を持ち、仏像でありながら官能美を感じさせる。浄光明寺の宝冠阿弥陀と同じく土紋があり、鎌倉仏の影響を受けている。蓮華座も当時のものでとても美しい。如意輪観音の色気にあてられた仏像クラブ一同だった。