2020年8月15日土曜日
2020年8月10日月曜日
村上海賊の浪分観音
8日は宮島から船と電車を乗り継いで尾道に向かった。出発前にメールしてあった光明寺のご住職より拝観可能と返事が来たので坂道が多い道を向かった。本堂につくと法事中だったが電話するとお待ちしていましたと言われ玄関から宝物殿に向かった。中に入ると、千手観音が迎えてくれた。(別名浪分観音)お線香を差し上げてから奥様の説明を聞いた。この千手観音は向島の余崎城主の次男が船中の念持仏とした像高一メートル余りの平安時代の仏像だ。向島は因島村上の一族で奥様によると海賊というより海の治安を司ったとのこと。光背は後補だろうが村上海賊の帰依を受けて立派だった。奥様の話では檀家総代は村上海賊の末裔が勤めているとのこと。見仏記でみうらじゅん氏が「ダブル錫杖か」と叫んでいたが、錫杖と戟を持つスタイルだったが、表情には幼さがあり、その分だけ霊性のようなものを感じさせもした。他にも見仏記でプリティ観音とみうらじゅんが騒いでいた飛鳥時代の小金銅仏や韋駄天があった。奥様のはなしによると黒い聖観音菩薩は尾道で最古の仏像で、たしかに肩から細かいアクセサリーを下げており白鳳仏の特徴を表している。本堂にある善導、法然、西山といった上人像や二十五菩薩など盛りだくさんだった。残念なのがチャングムの誓い出て来ていた梵教印をした一光三尊像が見れなかっが見仏記の世界に十分に堪能して良かった。ひとつひとつ丁寧にご説明いただいた奥様にお礼を言って猛暑の中次のお寺に向かった。
耕三寺博物館の快慶仏
9日は鞆の浦の仏像を見たあとホテルのシャトルバスで福山に戻り、しまなみ海道に向かうため、尾道に向かった。しまなみ海道にある生口島にある耕三寺博物館の快慶仏を見るためだ。尾道に着くと気温40度近い猛暑で急いで高速フェリーに乗り込んで、生口島の瀬戸田港に向かった。瀬戸田港では無料シャトルバスが待っており簡単に耕三寺に着いた。不可思議な仏教建築群を写真に納め、隣の博物館に向かった。快慶の宝冠阿弥陀はもとは頼朝ゆかりの伊豆山神社にあり、阿弥陀三尊の脇持だけ仏像クラブで見に行ったことがある。奈良国博の山口学芸員によると快慶は醍醐寺弥勒菩薩造像時に信西一門とかかわっており信西の息子の弟子筋の依頼により京都でこの仏像を製作し送ったとのこと。本尊は快慶展でも見かけたが少し保存状態が悪いがヒノキ材の割矧造(わりはぎづくり)で彫眼とし、頭髪を除き漆箔を施すしっかりとした快慶を思わせる作風となっている。シャトルバスの時間も迫ってきたので急いで瀬戸田港に戻り尾道行き高速フェリーに乗り込んだ。
古保利薬師堂
8月7日今、広島に来ている。広島の仏像として思い浮かべたのが、古保利薬師堂の仏像群だった。新幹線で広島に着きお好み焼きで腹ごしらえをしてから北広島町の千代田にバスで向かった。古保利薬師堂にはホームページがありタクシーを推奨しているので指示にしたがって向かった。管理人の案内でコンクリートの収蔵庫に向かうと中央に薬師如来左右脇待や千手観音四天王と12体の仏が迎えてくれた。この地の教育委員会の話では、「この地の有力首長となった渡来人の子孫が平安時代に創建された古保利福光寺、つまりこれらの仏像の造像にも関わっている」とのこと。管理人の方の話では以前は光背がありラホツがあった薬師如来は、よく修復され平安時代のままに戻されていた。注目したのが千手観音だが脇手がほとんど取れた状態だが作りがしっかりしているため失われた手の存在が感じられる作りとなっている。急いで宮島まで向かわなければならないので、御朱印と写真集を購入してタクシーに乗り込んだ。
2020年8月2日日曜日
特別展 聖地を訪ねて②(松尾寺馬頭観音)
今回の展覧会で一番期待していたのはパンフレットに写真が載っている西国三十三所の秘仏のコーナーで1Fの奥の部屋に集まっている。そのなかで一番気に入ったのが京都松尾寺馬頭観音だ。パンフでは伝わらないが展示ケース越しに間近に見るとその迫力が伝わってくる。像高95センチだが、七観音のうち唯一忿怒の表情で表されており、こちらを睨み付ける様に一気に心を持ってかれた。京都に行った日にニコ生で聖地を訪ねて展の紹介放送がやっており翌日ア-カイブで見たが、出演した淺湫学芸員によると松尾寺は京都の日本海に面した場所にあり、海難事故から救ってくれる観音様として馬頭観音が信仰されていたとのこと。そういえば仁和寺と御室派の仏像展に出展された馬頭観音も福井の海に面した町の仏像だった。この仏像はお前立で江戸時代の製作だが、もとは本尊頭上に飾られ、それから推測すると本尊は半丈六であっただろうと図録には書かれている。失われた半丈六の馬頭観音を想像しながら次の展示に向かった。
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