2020年3月14日土曜日
2020年3月7日土曜日
特別展「毘沙門天」②(如法寺毘沙門天)
毘沙門天は四天王の多聞天が単独で祀られ毘沙門天と呼ばれるようになった のは奈良時代からだといわれているが、その唯一の作例が四国愛媛県大洲市の古刹如法寺の毘沙門天だ。毘沙門天展最初の展示で像高30センチ足らずの小像だが興味深い木造乾漆造りの仏像だ。寺伝によると楠木正成念持仏と伝えられており江戸時代に信貴山の修験者より大洲藩士が譲り受けた畿内からもたらされた記録がある。ヒノキとみられる木心に布張りを行い乾漆を盛上げ両腕は金属心を入れこれに乾漆を盛上げ、毘沙門天の黒目と邪鬼の黒目に金属製の異材を嵌入(かんにゅう)している。足が短く肥満な造形は「出雲と大和」展で見た大安寺の多聞天に似て唐風である。裳裾(もすそ)を垂らさない軽快な服装は奈良時代の毘沙門天の特徴だ。邪鬼は一匹だと思っていたが2匹でひとつはのけぞり今一つは突っ伏して踏まれており興味がつきない。毘沙門天の世界に引き込まれた導入にふさわしい仏像だった。
2020年2月29日土曜日
十輪院の地蔵菩薩
特別展「毘沙門天」を見た後、午後はならまち散策と決めていた。元興寺の 近くのお寺を調べていたら、以前TV見仏記で放送された十輪院が近くにあることがわかった。ここは石仏龕(せきぶつがん)が見どころで、花崗岩を組み合わせて造られた高さ2メートルぐらいの石の厨子だ。感じのよさそうなご婦人に拝観料を払い説明をうけた。中央の石板に本尊地蔵菩薩がレリーフで浮き上がっている。右手を降ろす形の与願印を示し、平安時代に彫られたとされる石仏だ。地蔵の左右には十王。厨子の扉に似た左右の石版にはビザンチン美術を思わせるレリーフの細かな、首をかしげた釈迦如来、そして線にエメラルドグリーンが見事に残る弥勒菩薩それに持国、多聞の二天がはさみ、最も外側には阿吽の金剛力士。ご婦人の説明によると手前ある平たい石は引導石と呼ばれていてそこに御棺おいて死者をあの世に送ったとのこと。すべてのほとけさまの目が引導石を見ているという構図になっっている仕掛けだ。TV見仏記で放送された住職に説明をより詳しく案内いただきこの石仏龕の魅力に引き込まれた。心地良い気分で御朱印をいただきお寺をあとにした。
2020年2月24日月曜日
特別展「毘沙門天」①
昨日、早朝に奈良に向かい、奈良国博で開催の特別展「毘沙門天 北方鎮護 のカミ」を見てきた。この展覧会では「四天王のうちの多聞天が毘沙門天として単独で造像され信仰されることに注目し、日本から選りすぐりの毘沙門天を集め魅力あふれる毘沙門天の世界に皆様を誘いたい」という開催趣旨が書かれており、見逃せない展覧会になっていた。会場には奈良時代から鎌倉時代まで魅力的な毘沙門天が展示されていた。音声ガイドに沿ってじっくり鑑賞してきたが、第一章は「独尊の毘沙門天」として単独の毘沙門天の信仰が始まった奈良時代唯一の作例である「愛媛如法寺の毘沙門天」にはじまり西国三十三札所華厳寺の毘沙門天や躍動感あふれる「京都弘源寺の毘沙門天」から東博でお馴染みの「道成寺毘沙門天」まで等身大からわすが9センチ足らずの毘沙門天まで22体の実に様々な魅力あふれる毘沙門天の世界に引き込まれた。第二章「毘沙門天三尊像」ではおなじみの鞍馬寺の毘沙門天からアメリカロスの毘沙門天三尊(吉祥天・善膩師童子は所在不明)湛慶の毘沙門天が展示されていた。第三章は珍しい双身毘沙門天3体。最期は東寺や観世音寺の兜跋毘沙門天まで9体の毘沙門天像に圧倒された。詳細は次回に回すが毘沙門天の世界にどっぷり浸れた2時半であった。心地良い疲れを感じ昼食を取りにいつもの「大和茶漬け」の店に向かった。
2020年2月15日土曜日
特別展「出雲と大和」③(石位寺浮彫伝薬師三尊像)
特別展「出雲と大和」で三蔵法師の十一面観音の次に展示されていたのが、 この石位寺浮彫伝薬師三尊だ。藤原定恵が談山神社にもたらした三蔵法師の十一面観音はインドの仏像様式が初唐にもたらされたことが見てとらえるが、その影響が日本に広がった代表として奈良桜井にあるこの石位寺の仏像が展示されていた。図録によると中尊の如来像は袈裟を偏袒右肩(へんたんうけん)にまとい、禅定印を結んで倚座、左右の両菩薩は合掌し中尊側の足をわずかに動かしている。飛鳥から奈良時代に制作された石像だが保存状態がよく風化せずにこの状態を保っているのは奇跡的だ。念入りに彫られている仏像で薄い法衣を通して内部の肉体の起伏がよく表されている。飛鳥時代に多く作られた塼仏の影響を受けており我が国残存石仏のなかでは最古級で最優美な仏像だ。
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