特別展「神仏の山吉野・大峯」⑤(如意輪寺如意輪観音)
吉野を語る上で忘れてはならないのが、後醍醐天皇だろう。足利尊氏と対立し吉野に南朝を樹立した後醍醐天皇が志しなかばで崩御し、陵墓に葬られた陵墓を守るのが源慶の蔵王権現で有名な如意輪寺だが、本尊秘仏として祀られているのが鎌倉時代の如意輪観音であることをこの展覧会で初めて知った。如意輪寺のHPによると秋の3日間だけ人数制限つきで開帳とのこと。本展での展示が貴重な機会となった。像底の墨書に鎌倉時代末期の絵師の彩色をおこなった記載があり、仏師の製作も同時期であろう。ヒノキの寄木造で、表面の彩色と截金を交えた鮮烈な文様があらわされている。持物は後補で、肉身の金泥塗りの一部に補修があるものの、金銅製の装身具まで当初のものを残しており、保存状態はきわめてよい。像低・台座・光背裏面に修理銘があり安土桃山時代と江戸時代に修理を受けたことが判明する。秀麗な顔だちや太い衣のひだの表現は仏師康俊の作品と似通っており、康俊は「南都大仏師」となのり、十四世紀初めに現れた仏師で作風から善派仏師。康俊と子息康成は後醍醐天皇の護持僧文観の発願で倒幕の企てに関わる般若寺文殊菩薩騎獅像を手掛けるなど、南朝関係の造像で旺盛な活動をみせた。ここからは推測だが後醍醐天皇が倒幕志なかばで配流先で崩御した後鳥羽上皇が勝手明神を発願したことを聞き及び、如意輪寺に文観に命じて如意輪観音をつくらせたのかもしれない。いずれにせよ吉野における康俊の事績ととらえる点で重要だ。
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