2019年8月24日土曜日
2019年8月17日土曜日
摩訶耶寺の不動明王
大河ドラマで有名な龍潭寺を拝観したあとタクシーで予約していた摩訶耶寺
に向かった。ここは奈良時代に聖武天皇の祈願所として行基が開創した寺で先ほど訪れた方広寺のある奥山にあった新達寺が前身とされる由緒あるお寺だ。寺を訪ねると若いご住職が明日のお盆の施餓鬼法要の準備で大露わな様子だったが、本堂に続く収蔵庫に案内していただいた。収蔵庫には三体の仏像が祀られており、右から平安時代末期の国指定重要文化財不動明王、中央が平安時代末期の静岡県指定文化財の阿弥陀如来、一番奥にあるのが国指定重要文化財の平安時代中期の千手観音だ。御住職の簡単な説明のあと一人収蔵庫に残りじっくり仏像を鑑賞した。千手観音、阿弥陀如来は見るべきものもあったがさほどではなかった。やはり一番印象に残ったのが不動明王だ。頭髪を巻髪とし、左耳の前に弁髪を垂らす。面相は目が天地眼で、牙を上下に表す典型的十九観不動の姿をとるが、腰を捻って上半身を右に寄せる姿勢には動きが感じられる。体のガッシリさに比べ両腕・両足は反対に華奢であり、このアンバランスが強い印象を生んでいる。衣文線の彫りも深くアクセントをつけている。光背はないが多分、大分の真木大堂で見た迦楼羅炎の火焔光背であったであろう。このお寺には頼朝伝説があり施餓鬼の前の忙しい中説明いただいた御住職にお礼を言い、うなぎ食べ放題が待つ温泉宿に向かった。
2019年8月10日土曜日
金蓮寺の阿弥陀三尊
浜松三河仏像巡りの最後を飾るのは三河七御堂で唯一阿弥陀堂が残る金蓮寺だ。名鉄吉良吉田駅からタクシーで向かうと、高齢のご住職に代わり地元のボランティアの方が阿弥陀堂を案内していただいた。金蓮寺は行基創建と伝えられる古いお寺で、鎌倉幕府最後の御家人安達盛長が三河にこのような阿弥陀堂を作った三河七御堂の一つとのこと。金蓮寺弥陀堂は国宝に指定されている鎌倉時代の阿弥陀堂の白眉だ。ボランティアの方によると高野山の不動堂を手本に作ったとのこと。弥陀堂の外観の説明をじっくり受けてから堂内に上がった。阿弥陀三尊は中央の須弥壇に座しており、仏像が重文指定されていないので、地元の企業と有志によって修復されていた。たまたま修復前の写真を持っていたので、ボランティアの方に見せると二重円光背の外に透かし彫の光背が荘厳されていたが、お寺でしまっているとのこと。随分ゆっくり話てしまったがボランティアの方にお礼を言って猛暑の中名古屋に向かった。
2019年8月9日金曜日
方広寺の釈迦三尊
本日から浜松三河の仏像巡りをしている。浜松駅に降りて最初に向かったの が、方広寺だ。奥山で降りて受付を済ませから本堂に向かう。路傍のお地蔵さんに励まされながら、猛暑の中本堂に着いた。方広寺は後醍醐天皇の王子が仏門に入り南北朝時代に創建された寺院だ。本堂には、東博の禅展で見た釈迦三尊が祀られていた。院派の院遵・院廣・院吉作で室町時代に作られていた。院派は足利時代に重陽された仏師集団で足利将軍家に用いられ京都の等持院などで活躍している。仏像は元は茨木県の寺にあり水戸黄門の修繕の記録があるが、明治になって本山方広寺に移された。後醍醐天皇ゆかりの寺に足利将軍家と親しい院派の仏像があることに不思議な縁を感じた。脇侍は普賢菩薩が象の上で両手で花を携え、文殊菩薩が獅子の上に剣を持って乗る本来のかたちで、ライトアップされ光輝いているのが良かった。帰りに方広寺の写真集を買って次のお寺に向かった。
2019年8月7日水曜日
特別展「東寺」④(金剛夜叉明王)
6月にVR「空海祈りの形」を東洋館地下のミュージアムシアターを見たが、 解説の女性からは特に真新しい事は聞けなかったので、たいしたことなかったがやはりリアルな仏像の展示の方が印象に残った。「空海と密教美術展」でも仏像曼荼羅は構成されて展示されていたが、今回は明王が不動明王を除いて4明王が揃った。「仏像のみかた」のミズノ先生によると「五大明王像は顔や腕がいくつもあって、みるからに異様というか、恐ろしいですね。」とのこと。今回は前回展示されなかった「軍荼利明王」と「金剛夜叉明王」に注目した。「金剛夜叉明王」は顔が三つで、正面の顔は目が五つある異形ながら違和感なくまとめられている点は見事。「金剛夜叉明王」は五大明王の金剛薩埵を意識して金剛鈴と金剛杵を持っている。空海が造東寺所の責任者を務めており熱心に監督したに違いない。今回間近に見る機会が出来てよかったと思う。
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