2011年1月9日日曜日

谷中七福神めぐり

本日はじめて七福神めぐりを仏像クラブで企画した。朝九時にJR田端に集合し一番の「東覚寺」に向かった。赤札仁王などを見ながら、「福禄寿」を参拝。
ここで七福神めぐり専用の御朱印色紙を購入。東京スカイツリーを横目に見ながら、谷中の下町風情がある街をめぐった。高さ2メートル体重200キログラムの布袋像や平安時代の毘沙門天などをめぐった。途中正岡子規ゆかりの団子やで休憩して、護国院の大黒天で結願だ。近くの串揚げ「はん亭」でお昼を食べた。登録有形文化財に指定されている木造3階建てのいい雰囲気の店で、串揚げをつまみながら今年の仏像クラブスケジュールを決定して解散した。七福神めぐりはお年寄りの趣味と思っていたが、結構歩くので体力がいるなと感じた。

2011年1月8日土曜日

神護寺の薬師如来

平成20年春にU案内人と京都を旅したときまず最初に向かったのは神護寺だった。バスの車内からは桜がちらほら見え、いやがおうでも期待が高まる。神護寺の山門までのきつい階段を登りようやく境内へ。神護寺のある高雄は京都市内より標高が高いため桜はまだだったがとりあえず、平安時代前期に造られた国宝薬師如来のある金堂へ急いだ。早朝のため参拝客もまばらで、じっくりと薬師如来と対面した。この薬師如来はきびしいお顔をしているとの評判だったが、双眼鏡で覗いても私には特にそう見えなかった。しかし存在感は抜群で脇侍の日光・月光がかすんで見えるほどだった。目は吊りあがり、唇はへの字に結ばれ、深いしわが刻まれたあごはぷっくりと飛び出している。後で雑誌やテレビ番組で知ったのだが、多宝塔には国宝五大虚空蔵菩薩が安置され往復はがきで事前に拝観を予約するとのこと。残念だったが、また再訪したいお寺だった。

2011年1月3日月曜日

浄楽寺の阿弥陀如来

平成20年秋に横須賀の浄楽寺を訪れた。今回の仏像は「運慶仏」との出会い第二段となる。鎌倉の御家人和田義盛の依頼で造像された名品だという。秘仏御開帳の日に企画したが、今回から仏像好きのY氏も参加し3人での会となった。御開帳日とあって善男善女が多く拝観にきており、あらためて仏像ブームだと感じた。奥の収蔵庫に入ると中はいっぱいの人であったが、お寺の僧侶による説明が行われていた。本尊は阿弥陀如来。仏像クラブで春に訪れた願成就院の阿弥陀如来より極めて保存状態がよく、その他脇侍・毘沙門天・不動明王の計五体がある。浄楽寺の毘沙門天の体内から銘札が取り出され、昭和34年に運慶作とわかったいわれがある仏像だ。願成就院の阿弥陀如来はめずらしい説法印であったが、浄楽寺のご本尊は来迎印を結んでいる。運慶が施主の意向に沿って旧来の造像形式に回帰している可能性がある。私は願成就院が若く荒削りな運慶仏であるが、浄楽寺はより完成された穏やかな仏像になっていると感じた。ご本尊の写真が販売していたので、すかさず買った。われわれは帰りのバスを待ちながら浄楽寺運慶仏の感動に酔いしれた。

2011年1月2日日曜日

初めての玉眼

昨年の奈良旅行2日目の最後に訪れたのは山之辺の道にある長岳寺だ。はじめて玉眼が使用された仏像があることは知っていたが、「TV見仏記」で紹介され興味を持った。「TV見仏記」によると住職による地獄絵絵解きが行われとのこと。JRの駅から田舎道をかなり歩いて寺につくと、住職の「地獄絵絵解き」が始まっているとのこと。さっそく本堂に向かった。地獄絵はすばらしく特にすばらしいのが獄卒(地獄にいる鬼の番人)だった。仏像に目を移すと中央に平安時代に造られた阿弥陀三尊で、鎌倉時代以後流行する玉眼の最初の例である。脇侍は片脚踏下げの半跏座形式である。増長・多聞の二天は顔立に怒りを表しているが、目が寄っておりどこか滑稽だ。旧地蔵院にも仏像があると「TV見仏記」で言っていたのでそちらの仏像も忘れずに拝観してから寺をあとにした。

2011年1月1日土曜日

興福寺の弥勒如来

平成20年秋に奈良を訪れた。最初に訪れたのは興福寺。大きな寺のため午前・午後とわけて見ることとなった。まずわれわれは北円堂に向かう。U案内人がその精神性まであらわしたと絶賛した運慶作の無著・世親菩薩像を見る。堂内に入ると中央に弥勒・右に無著・左に世親という配置だ。周りに表情豊かに怒りを表す四天王が囲む。写真でみるより小さいがさすが運慶円熟期の作品のため釘付けとなった。後で山本勉先生の文章で知ることになるが、弥勒菩薩には玉眼が使用されていない。「玉眼を使っていないその目は、無著・世親の2像と異なり、何も映さず、何を語ろうともしない。容易に内面をうかがうことなど許さないこのまなざし、この表情こそが、運慶が経験を重ね、理解を深めて、たどりついた仏像の顔なのではないか。U案内人が運慶の仏像の到達点というのもうなずける仏だった。