2020年9月27日日曜日

広隆寺弥勒菩薩に再会する


祇園の親子丼屋を出た後、バスと地下鉄・嵐電を乗り継いで太秦の広隆寺についた。ここ広隆寺は聖徳太子七箇寺のひとつで、創建は600年代と京都で一番古いお寺だ。ここの半跏思惟の弥勒菩薩は有名で同じ半跏思惟の中宮寺如意輪観音より古い仏像だ。ここのお寺は渡来人の秦氏の支配地域にあたり、聖徳太子から下げ渡された仏像を祀るため寺を建立したとか、朝鮮半島新羅からの仏像を祀ったとも伝えられている。まるい台座に腰をおろし、左足を下げ右足をその上に組み、右ひじをつくようなこの形は、ほかの仏像と違って、いかにもゆったりと、リラックスした姿だ。瞑想にふけほそく見開いて、伏し目につくる眼はエラガンスに切れ長く、眉は大きくゆったりとした弧を描き、鼻すじは細く通って高く、唇は小さくまとめられその両端をきゅっと引き締め、頬の肉付きは柔らかくまるく、清楚で、頬に触れる指も細くしなやかなカーブを描き、静かに引き込まれるような神秘的な美しさがある。実は私もこの仏像に恋をした一人だが、今から12年前は霊宝館の窓はすべて閉まっていて照明の効果で魅力を感じたが、今回は感染症対策で入場も制限され、すべて窓が開け放たれた状態での拝観となった。夜に恋した美女が昼間会うとたいしたことなかったに近い状態だった。仏像との距離も以前より遠く感じられた。泣き弥勒やほかの見るべき仏像が多い広隆寺なので足早に見て予定を変更して嵐山に向かった。



 

2020年9月19日土曜日

福禅寺の不動明王

 温泉で朝風呂につかり美味しい朝食を食べたあと、宿からすぐ近くの福禅寺に向かった。ここ福禅寺はかつて朝鮮通信使を迎えていた迎賓館を併設していて、少し高い場所の上に建てられていた。横長の窓から真ん前の百貫島を眺めた。多宝塔が建っているのが見えた。その右が小さな皇后島で、周辺に反射する朝日がきらきらと伸びていた。早朝のことで寺男一人で何も案内がなかったが、部屋にぶら下げている漫画でこの寺の創建伝説を知ることとなった。平安時代に村上天皇の后、明子姫が出身の備後の国に寺を建ててもらうよう天皇にお願いし空也上人に命じて寺院の建立を命じた。空也上人が鞆の浦を訪れここに福禅寺を建立し千手観音を祀ったとのこと。千手観音は秘仏で見れなかったがお前立が建っていた。左右には二体の不動や地蔵半跏像、如意輪に愛染明王、矜羯羅童子と制吨迦童子二体にに役行者、青面金剛と盛りだくさんだ。中でも見ごたえがあったのが不動明王座像で像高50センチの小像だが、頭頂には蓮華を置き、左肩に弁髪を垂らし、両眼を見開き、歯をむき出しにして下唇を噛む。右手に剣を執り、左手で羂索を握り、条帛をつけ裳をつけ右足を上にして結跏趺坐する。寺男から福禅寺秘宝展のパンフレットを購入し、安国寺の阿弥陀三尊も気になるので早々に福禅寺を出て向かった。



2020年9月12日土曜日

迦楼羅様、再び

 京博で特別展を見た後、隣の三十三間堂に向かった。12年ぶりの訪問となったが、御朱印が書置きになったり一部変更はあったが千手千眼観音や二十八部衆は変わらず迎えてくれた。ここ三十三間堂は正式名称を蓮華王院といい、平安時代に後白河法皇の命により、平清盛が創建した。蓮華王とは千手観音の別称で鎌倉時代の火災後湛慶が本尊を製作した。しかし日本美術全集によると、二十八部衆は火災のおり救いだされた平安時代の仏像とのこと。今回も多くの二十八部衆を参拝したが、いずれも檜材の寄木造で玉眼を嵌入し彩色截金文様を施すが、やはり迦楼羅像が造形のインパクトも出来栄えもすばらしい。鳥の顔と羽を持ちながら笛を吹く姿勢に自然な動きが感じられ、人間らしい姿と異形の像を巧みに融合している。その姿が何を意味しているかは前回書いたが、それをしっているからこそ迦楼羅の造形にドラマを感じるのかもしれない。創建当初は蓮華王の千手観音を囲むようなフォーメーションで二十八部衆が置かれたとのこと。三十三間堂はよく仏像の配置を変えるので、今度は創建当初のフォーメーションを見てみたいものだ。その時はまた三十三間堂を訪れたいと思う。祇園のハモ丼を食べに三十三間堂をあとにした。

2020年9月5日土曜日

特別展「聖地を訪ねて」④六角堂如意輪観音

六角堂頂法寺は京都烏丸御池近くの繁華街にあり、昨年の秋に西国三十三ケ所
 草創1300年の月廻り開帳をやっていたので、夕方訪ねていったことがある。近くに華道の家元の会館があり多くの人でごった返しているなか、暗い本堂でこの如意輪観音に出会った。今年の夏改めて、京都博物館開催の特別展「聖地を訪ねて」で再会したが、昨年より厳かな表情をしていた。建礼門院徳子ゆかりの像で、安徳天皇安産祈願の仏像として製作されたとのこと。如意輪観音でよくみられる六躯で右足を立膝とする。表面に檀木に似せた色を施し、切金で斜格子などの文様を表している。厳かに見えたのは平家の最盛期から凋落し西海に沈むまでの哀しみを一新に背負っている仏像だからだろうか。他の展示も気になるので次の展示に向かった。