2021年6月20日日曜日
2021年6月5日土曜日
特別展「横浜の仏像」㉑(慶珊寺の十一面観音)
鎌倉地方様式として山本館長が紹介した遊戯坐(ゆげざ)像としてみほとけちゃんねるで紹介されたのが慶珊寺の十一面観音だ。 山本館長の説明によると鎌倉時代の鎌倉幕府滅亡の前年に院派の院誉によってつくられた像で、もとは十一面観音の化仏がついていたが今は欠落してあとだけが残っているとのこと。左手を地面につけるくつろいだ雰囲気の仏像で京都にはない鎌倉地方独特の宗風(中国風)の仏像だ。製作者がわかる銘文が胎内の文字がスライドで映され興味深かった。建長寺地蔵菩薩の法衣垂下像ととともに鎌倉地方を代表する仏像だ。リラックスしたポーズがとても癒された仏像だった
2021年5月30日日曜日
特別展「横浜の仏像」⑳光傅寺の地蔵菩薩
山本館長の講演の講演は終盤になるほど盛り上がり、最後の「中世仏の展開」に至った。鎌倉大仏が鋳造され、金沢北条氏により称名寺が創建された鎌倉幕府滅亡、南北朝動乱の時代、中央仏師はすでに鎌倉幕府の庇護を受けた慶派には目立った人物はなく、室町幕府に重用された院派・円派が活躍したとのこと。一方鎌倉では東国運慶派と呼ばれる仏師集団が活躍し東国善派・東国院派と造像を競っていたという。鎌倉地方様式の特徴は中央よりも宋・元風(中国風)への傾斜が顕著で、東慶寺観音菩薩に見られる遊戯座像や建長寺地蔵菩薩に見られる法衣垂下(ほうえすいか)が代表的な形式とのこと。代表的な表面装飾は浄智寺韋駄天に見られる土紋、共通する構造技法は浅い上げ底式内刳りを挙げている。ここで紹介する光傅寺の地蔵菩薩は東国運慶派の作品で大仏師が康増で小仏師に増慶らの名が体部の墨書に書かれている。山本館長の解説では堅実で素朴な造形がこの一派の特徴とのこと。とはいえ円応寺初江王を造った幸有も東国運慶派の一人であるので、落ち着いたら今度鎌倉国宝館に行ったときにそのような見方で初江王を見てみたいと思う。
2021年5月23日日曜日
特別展「横浜の仏像」⑲永勝寺阿弥陀如来
山本館長の講演で太寧寺と同じく善光寺式阿弥陀と清凉寺式釈迦の合体仏として紹介されていたのが、永勝寺の阿弥陀如来だ。この仏像は善光寺阿弥陀を親鸞が感得し作ったという伝承がある。この仏像の特徴は顔を覆う僧形の面があることで、戦国時代お寺の前を馬上で通ったものが落馬し、無礼は振る舞いで本尊に向かえば倒れることがしばしばおこったため面をかぶせたとのこと。みほとけちゃんねるで出演者のイラストレーター田中ひろみ氏が言っていたが千葉の安房の真野寺にも同じような千手観音があると指摘していたが、千葉市美術館で2013年に開催された仏像半島展で私も現物をみたがこちらはお面がかぶったままの展示であったためより印象が強かった。頭髪は螺髪がない平彫りとし、肉髻珠・白毫相をあらわす如来像で、背部から右肩・右腕をおおって袖状に垂れる覆肩衣(ふげんえ)のうえに衲衣を偏段右肩に着け、下半身に裙を着ける鎌倉時代のヒノキの仏像だ。「ミズノ先生の仏像のみかた」によれば覆肩衣はもともと尼が胸を隠すためにきたものという。それが仏像にとりいれられるとは知れば知るほど面白い仏像の世界だ。
2021年5月16日日曜日
特別展「横浜の仏像」⑱(太寧寺薬師如来)
仏の瀬谷さんの本で紹介された太寧寺薬師如来にずっと会いたかったがこの「横浜の仏像」展で奇しくも実現した。山本館長の講演では善光寺式阿弥陀如来と清凉寺式釈迦如来の合体応用仏として当時の流行が横浜にも来ていた。ほとけの瀬谷さんの図録解説によると「へそ薬師」と呼ばれ村娘より糸玉の「くりへそ」を購入した僧が薬師如来だったという伝説がある。鎌倉時代中期の仏像で頭部は髪を同心円状に表す清凉寺式で、袈裟を両肩にかけて通肩善光寺式阿弥陀の合体仏だ。いっぽう印相は手を腕前に掲げる薬師如来特有のものとなっている。この仏像製作の意図についても瀬谷さんの解説によると清凉寺式と善光寺式の生身仏思想により生身薬師の造像を意図して造立されたという。山本館長の講演にもどると太寧寺薬師如来のひみつと題し両目の裏にはめ込んだ板の表側に天平写経の「目」字紙片を貼っていることも実物の仏像の裏側の写真のスライドで紹介された。講演後半になっても山本節は勢いをまして圧倒されながら講演を聞き入っていた。
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