2021年10月9日土曜日
2021年10月2日土曜日
特別展「聖徳太子と法隆寺」⑨(地蔵菩薩)
法隆寺の地蔵菩薩と言えば聖林寺十一面観音展にも出展された、大神神社の地蔵菩薩が有名だが、こちらは法隆寺聖霊院に祀られた平安時代の地蔵菩薩だ。こちらも実は客仏でもともと飛鳥の橘寺にあって、その衰退のため平安時代に最初に金堂のちに聖霊院に移された仏像だ。古い記録ではインドに生育する白檀で作られたとあるが、実際は白檀ではなく榧で作られているが、白檀の代用材でつくられた。榧の仏像は彩色しない木肌をあらわすが、本像は唇に彩色が見られるだけでひたいの白毫は真珠とみられる。長い眉切れ長な目、筋の通った鼻は理知的で、眼球や頬のふくらみ、深く彫られた唇は肉感的である。これは大神神社の地蔵菩薩にも見られる特徴で地域の地蔵菩薩の手本となった可能性が考えられると図録は結んでいる。
2021年9月25日土曜日
特別展「聖徳太子と法隆寺」⑧(聖徳太子及び侍者像)
聖徳太子の500年の御遠忌に制作された聖霊院の聖徳太子摂政像を初めてみた。瞼に植毛を植えた穴が残るなど実在感徹底した平安時代の製作だ。普段見慣れた南無太子像といわれる2歳像や香炉をもった孝養像(七歳像)と違い政治家聖徳太子を思わせる凛々しいお姿だ。聖徳太子が推古天皇に勝まん経を講義する姿と摂政像の合体とのこと。解説パネルに書いたあったが像内に銅造観音菩薩あり口のところが太子の口にあわさった救世観音の化身を表した太子信仰を表している。平安時代後期太子信仰の高まりを表した傑作と山口学芸員は解説は結んでいる
2021年9月18日土曜日
特別展「聖徳太子と法隆寺」⑦(法隆寺聖徳太子像【二歳像】)
聖徳太子展ならば欠かせないのが南無太子像と呼ばれる二歳像や孝養像だが、先行で開催された奈良展では聖霊会で10年に一度行われるパレードでお出ましになる聖徳太子七歳像は出展されなかったが、二歳の太子の手の中で発見された仏舎利は出展されていた。第四章「聖徳太子と仏の姿」では三田学芸員の構成で太子信仰発祥の法隆寺東院の太子像も何点か鑑賞することができた。実は2019年から私の中では太子ブームとなっており、きっかけは2021年の太子イヤーの先駆けの展覧会がその年に県立金沢文庫で開催され、翌年元興寺の南無太子像に心奪われ本展の開催を楽しみしていた。この法隆寺太子二歳像は鎌倉時代の作で直線状に切れ上がる眉と鋭い目が印象的な太子像だ。太子が数えで2歳の春に東方を向いて「南無仏」と唱えたという姿だ。上半身は裸で下半身は緋色の長袴を着け、腕前で合掌する通例の姿で表されている。ヒノキの寄木造で割首し玉眼が嵌入されている。張りのある頬や精悍な表情、充実した肉どりの体つきなど南無太子像の優品だ。文芸春秋にもキリリッ度ナンバーワンとの記載があるがまたお気に入りの太子像に出会って満足して次の展示に向かった。
2021年9月11日土曜日
特別展「聖徳太子と法隆寺」⑥(伝法堂阿弥陀三尊)
東博の三田学芸員がNHK日曜美術館や日テレ「ぶらぶら美術館」で聖徳太子と法隆寺展を紹介するときふだんお目にかかれない秘宝や金網越しにしか見られない仏像を間近に見れるまたとない機会といっているが、この普段非公開伝法堂の阿弥陀三尊もこのひとつだ。東京美術の「もっと知りたい法隆寺の仏たち」によると伝法堂の内部は中の間、東の間、西の間にそれぞれ阿弥陀三尊が安置され、前には梵天と帝釈天、如来が4体、地蔵菩薩一体、四隅に四天王が配されたにぎやかなお堂だ。中の間西の間の阿弥陀三尊は脱活乾漆造だがこの東の間阿弥陀三尊は木心乾漆で奈良時代の製作だ。第三章法隆寺東院とその宝物では奈良時代の聖武天皇周辺の女性から太子信仰の拠点東院へ献納された宝物を中心に展示されている。図録解説の執筆者奈良博山口学芸員によると伝法堂は聖武天皇の夫人橘古那可智(橘諸兄の娘か?)の邸宅を仏堂に転用したもので、展示品の阿弥陀三尊が当初より伝法堂にあったとのこと。腕前で説法印を結ぶ阿弥陀如来を中心に腰を内に捻った両脇侍が随侍するが以前は45度内向きに安置されていた。頭部の小さい均整のとれたプロポーションや両脇侍にみるしなやかな身体表現に奈良時代の典型が示されている。隣に展示されていたのは本尊の光背で宝相華文を透かし彫りにし、周辺に火焔上の唐草をあしらった豪華なつくりで奈良時代の光背が残る貴重な展示品だ。伝法堂にはまだま魅力的な仏像が多く展示され奈良大和路カレンダーに掲載された梵天など一度は目にしたいものだ。太子イヤーの今年の公開を願うばかりだ。
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