2015年12月27日日曜日

野鳥の会の阿弥陀三尊

10月31日に京都を訪れたのは、その前日に京都非公開文化財特別公開が始ま
るからだ。滋賀から戻って昼飯前に東山区の西方寺に向った。この西方寺はインターネットの記事で野鳥の会が数えたほど多くの化仏がついた光背を持つ阿弥陀如来で有名だ。本堂に入ると中央に黒光りした平安時代の丈六阿弥陀があり、参拝者が整列して若い案内人(檀家のお嬢さんか?)の説明を聞く京都非公開文化財特別公開のいつもの段取りが行われていた。本尊は白河天皇の勅願で建てられた法勝寺から写されたもので、後補だが観音・勢至菩薩とよくあっていた。若い案内人がライトをかざして光背の中に青いお不動の化仏があることなどを説明してくれて興味深かった。秀吉の木像の説明なども聞き思いのほか時間がかかったが満足して寺をあとにし、おばんざい定食で有名な御池の小料理屋に遅めの昼食をとるために向った。

2015年12月19日土曜日

宝樹院の阿弥陀三尊

今週の日曜日、仏像クラブで横浜市金沢区の宝樹院を訪問した。宝樹院
の阿弥陀三尊を初めて鑑賞したのが平成26年の1月にサントリー美術館で開催された「天上の舞飛天の美」展でのことだった。この展覧会では修理中の平等院の雲中供養菩薩を中心に「飛天」の彫刻が主な展示だが、宝樹院の阿弥陀三尊の光背にも飛天の透かし彫りが施されておりその関係で出展に及んだのだろう。この展示には横浜市の宝樹院からの出展とし書かれておらず、お寺の場所がわからなかったが、昨年金沢文庫で開催された「仏教美術逍遥」展の図録に仏の瀬谷さんの解説が載っているなかで、写真とともに紹介されたことで、金沢文庫の近くのお寺であることが判明し今回の訪問となった。小高い岡の上に立つ宝樹院につくと、お寺の方から事前に扉をあけていただいていると聞いていたので、阿弥陀堂に向った。障子をあけると奥に仏像がおわした。横浜市の解説板によるとふもとにあった称名寺の末寺「常福寺」からの客仏で、平安時代末の製作だ。展覧会場では照明に照らされ金色に光っていたが、今回は落ち着いた印象を受けた。お寺の方にお礼をいい、宝樹院をあとにし、本日御開帳の神武寺へ向った。

2015年12月6日日曜日

海住山寺の本尊十一面観音

南山城の岩船寺を見た後小さなお寺を二つ巡って、海住山寺にたどりついた。
海住山寺の十一面観音といえば解脱上人定慶の念持仏といわれる奥の院の十一面観音を思い浮かべるが、ここで取り上げるのは像高190センチほどの本尊十一面観音だ。本堂に入ると厨子の中に十一面観音がおわした。一見して仏像というより神像に近く素朴な雰囲気の仏だった。研究家の中には在地の仏師が平安時代に造ったという説もあり、優雅で気品に富んだ解脱坊の十一面観音に比べてやや劣る印象だった。制作年代も10世紀をとる説が多いなか、かの京博の井上先生の「古佛」によると「奈良時代乾漆像の様相をきわめて忠実に写した特異な一木彫である点に注目し奈良時代の(高僧良弁)創建の伝承はいちがいに否定できない」と言っておられた。暗い本堂内での拝観では、解らないが、多くの仏像写真をみるとすばらしい仏像に写っている。一度博物館か美術館の照明に照らされたお姿を見てみたいと思った。日も暮れかけてきたので、最後のお寺の神童寺に向った。

2015年11月28日土曜日

比叡山-みほとけの山展①

京都2日目の午前中は昨年も訪れた大津市歴史博物館で「比叡山-みほとけ
の山」展を鑑賞した。昨年の「三井寺仏像の美」展でも感じたが、ここ大津市歴史博物館はこじんまりとしているが、なかなかユニークな仏像の展覧会が開催されるところだ。今回の展覧会は開館25周年記念企画展ということで期待が高まったが、会場の最初に展示されている像高50センチの延暦寺の千手観音をはじめとして小ぶりな仏像が多く展示されていた。最初は比叡山延暦寺本体と里坊と呼ばれる関連寺院の仏像の展示だった。像高50センチだが坂本の玉蓮院の不動明王二童子像など昨年比叡山国宝殿にて見た多くの仏像が展示されていた。展覧会の後半では昨年「西教寺」の特別拝観で参拝した像高170センチの聖観音をはじめとした山麓の仏像が、展示されており、最後には湖西の比良山麓の仏像の展示もあり、広範囲にわたる比叡山文化圏の紹介となっておりすばらしい展示だった。私は満足して会場をあとにして三井寺に向った。

2015年11月22日日曜日

岩船寺の阿弥陀如来

京都1日目の午後、浄瑠璃寺の次に向ったのが岩船寺だ。タクシーを降りて山
門に入ると、正面奥に美しい三重塔、すぐ右に本堂がある。本堂に入ると目の前に本尊の阿弥陀如来がおられた。丈六の藤原期の阿弥陀如来でその大きさに圧倒された。ふっくらした頬と切れ長の目、そして太い二の腕。全体としては重厚で安定感があり癒された。四方を固める四天王は鎌倉時代のもので表情が劇画タッチでおもしろい。左奥には「南山城の古寺巡礼展」に出品された普賢菩薩がおり南山城を代表する美仏で平安中期の作だ。当時の貴族の女性が篤く信仰していたお経に多く登場したのがこの普賢菩薩だ。そのため女性好みの仏像が多く作られたという。今回公開の三重塔初層内陣と屋根上の餓鬼を見て岩船寺をあとにした。

2015年11月13日金曜日

園城寺の笠脱げ観音

京都旅行二日目の午前中は京阪電車で京都を離れ大津に向った。大津市歴史
博物館で展覧会を見て、すぐ近くの園城寺(三井寺)を拝観した。園城寺に行ったのは「ぶらり観音めぐり」という本に写真が載っていたある仏像に会いにいくためだ。その仏像とは園城寺の笠脱げ観音だ。天智天皇の念持仏と伝えられ園城寺の別院「微妙寺」に祀られている秘仏で園城寺HPによると、土日ごとに開帳されているとのこと。園城寺の本堂で場所を聞くと微妙寺のすぐ近くの小さな宝物館で公開されているとのこと。秋めいてきた境内を歩いて向った。中に入るとすぐ目の前にガラス越しに拝観できるようになっていた。思わず立ちどまり、じっとそのお姿に見入った。像高81センチだが、思っていたより大きく太く感じられた。幼児を連想させるような、ずんぐりとした体型のお姿がなんとも魅力的だ。むかしは、無病息災のご利益を求めて多くの参拝人でお寺が溢れ、笠が脱げてしまうほどの混雑ぶりから「笠脱げ観音」「はずれ笠観音」とも称され、人々の篤い信仰を集めていたという。NHK「日曜美術館」の司会で俳優の井浦新氏もこの仏像に魅せられた一人で、彼の撮影した写真がクリアファイルになって宝物館で売っていたので購入し、園城寺をあとにして京阪電車で京都に戻った。

2015年11月7日土曜日

浄瑠璃寺の制多迦童子

今回の京都の旅の1日目、南山城に向った。木津川市2015秋の社寺秘宝・秘
仏特別開扉が31日から開催されているからだ。午前中は木津駅周辺のお寺を巡り加茂駅に移動、昼食後手配したタクシーで浄瑠璃寺に向った。浄瑠璃寺は小さな山門をくぐると、宝池をはさみ、西に本堂、東に三重塔を配する。特別開扉の期間のみ御開帳されている三重塔の薬師如来を見てから、唯一九体阿弥陀がそろって現存する本堂に向う。入口の近くには像高160センチ以上ある四天王が二体、平安時代の作で残り二体は東博と京博に預託されている。その横には九体阿弥陀が並んでおり、「定朝」の孫「頼助」の作か。特に中尊の出来栄えが素晴らしい。運慶作ともいわれている吉祥天や地蔵菩薩をすぎると、私のお目当ての不動明王二童子が現れた。不動明王ほ氷のように角ばった炎を背負い、矜迦羅童子は宙をさまよう目をしているが、対照的に制多迦童子はいかにも悪がきのような面構えをしておりあごを杖をつく手の上に乗せている。私はひと目でこの制多迦童子が気に入った。制多迦童子の至近距離に座り込み眺めていた。帰りに白黒写真だが制多迦童子のいい写真があったので購入し、岩船寺に向った。


2015年11月1日日曜日

東寺の十二神将

京都の最後の仏像は東寺の十二神将だ。京都非公開文化財特別公開の一貫
でいつもは薬師如来の台座の下に安置している桃山時代の十二神将が単独で拝観できる絶好の機会だ。拝観時間は午後4時までなのに、前のお寺に手間取り、4時5分前に入った。中に入るとスポットライトに輝く十二神将がいらした。凡字で日光・月光菩薩を表す字を守るように十二神将が配されているとの説明だった。鑑賞後購入した図録によると一般に形骸化した近世彫刻の中で出色の出来栄えをしめしている。その理由は焼失した平安時代に造られた薬師如来像を再興したものであること。弘法大師所持の他のお寺の再興した仏像と様式が同じで、薬師如来の台座の下に十二神将を配するなどが記されていた。そのことから空海プロディースの仏像ではないかと私は考える。すばらしい光景に満足して特別公開の五重塔に向かった。

2015年10月31日土曜日

東寺の夜間特別拝観

今日から京都仏像鑑賞の旅に出かけている。南山城古寺巡礼を昼間に行い、
夕飯後、今年から秋も実施される夜間特別拝観に東寺に出かけた。昼間とは違った幻想的にライトアップされた仏像に感動した。立体曼陀羅は正面だけでなく後ろからも拝観できた。圧巻だったのが、金堂の薬師三尊でLEDの光に照らされて神々しく光っておられた。中央に像高3メートル近い薬師如来坐像。背中の光背にある化仏自体すでに大きい。日光・月光も少し落とした照明の中で妖しく金色に光っていた。見仏記にもかかれていたが、女性的な日光・月光は手の平が大きく厚いのだが、ほほと目のかわいらしさ類を見ない。私はうっとりとしてしまって夜中の九時近いといいうのに時を忘れていつまでも眺めていた。宿の門限の時間もあり冷えてきたので金堂をあとにライトアップされた五重塔を眺めながら宿に向った。


2015年10月24日土曜日

川崎影向寺の薬師如来

今週の日曜日川崎で秘仏開帳があるとのことで、急遽年間計画の日程を変更し
て仏像クラブで出かけた。調べてみると、開帳のお寺の近くにある影向寺は白鳳時代創建の古刹で、薬師如来を始めとして、日光・月光菩薩、四天王や十二神将がある。早速、お寺に拝観の予約を入れて、仏像クラブの面々で出かけた。お寺につくと法事が始まる前のようで、拝観5分という制限で一同は収蔵庫に向った。扉を開けてもらい、中に入ると仏像郡といってふさわしい仏たちでうまっていた。中央に平安時代後期の一木造りで中尊・薬師如来が座しており像高は139センチ、左脇侍・日光菩薩171センチ、右脇侍・月光菩薩が171センチでともに重文に指定されている。十二神将は南北朝時代の製作で像高70センチ足らずだが、鎌倉時代の作風を残した作品だった。御住職みずから地方仏の典型と紹介するほど中央仏師の作風には劣るが、なかなか味のある仏像群だった。仏像クラブの面々も川崎にこのような仏像があると驚きを隠せない様子で、帰りの武蔵小杉の居酒屋でお昼を食べながら熱く語り合った。

2015年10月17日土曜日

蔵王権現と修験の秘宝展④櫻本坊の釈迦如来

蔵王権現と修験の秘宝展では大小さまざまな秘宝が公開されており、150セン
チ以上ある聖徳太子像からわずか20センチ足らずの釈迦如来像など70点が展示されている。ここで紹介する櫻本坊の釈迦如来は像高17.3センチで、銅造鍍金の白鳳時代の製作だといわれている。いわれてみれば、東博の法隆寺宝物館の48体仏に似ている。頬が張った丸顔で独特な緊張感を持つ表情、左右非対称な衣文表現などが白鳳仏らしい。納衣は胸前を大きく開いて、納衣と裳の裾を前面に垂らす、いわゆる裳懸座(もかけざ)を表す。幅が広く大ぶりの肉髻には螺髪を表さず、顔の造作を大きく表し、耳朶が外側に強く張り出す特徴的な面持ちだ。如何せん展示品が小さいので双眼鏡もってこれなかったのが悔やまれる。お寺では多分一般公開していないであろう秘宝に出会えてよかった。

2015年10月10日土曜日

雲崗石窟のシヴァ神

私が若いころ訪れた雲崗石窟は大小あまたの仏像が岩に穿たれていたが、仏
像以外にもインドの神であるシヴァ神やヴィシヌ神もあわされている。一通りのガイドが終わり自由行動となったとき、私はガイドブックに書いていた、シヴァ神の像はどこにあるか中国人ガイドに聞いてみた。中国人ガイドはわれわれツアー一行を、第8屈に案内してくれた。8屈の入口東側に、三面八臂で牛に乗っている異国風の神像があった。顔は三面とも引き締まった童顔で、中央の顔には宝冠をかぶっている。両側の顔はとがった三角帽をかぶっており、第一手には日輪、第二手に弓、第三手に輪を、第四手は肘を曲げて胸にあて、手首を上にして葡萄の一房を持っていることは甚だ興味深いと、最近購入した「小川晴暘の仏像」の解説に記載してあった。「小川晴暘の仏像」には戦前に大同の雲崗石窟を訪れた、小川晴暘の珠玉の仏像写真が掲載されており、若かりしころにタイムスリップした気分になれた。悔やみきれないのは8屈の入口西側にはヴィシヌ神の像があり、見逃してしまった。いつか再度中国の石窟めぐりがしたいものだ。

2015年10月3日土曜日

蔵王権現と修験の秘宝展③変わった肉髻の釈迦如来

現在開催中の蔵王権現と修験の秘宝展では多くの蔵王権現や役行者など修験
道特有な仏たちが展示されているが、その中で気になったのが金峯山寺の釈迦如来だ。平安時代の作で、近頃の年輪年代法の測定の技術により吉野最古の仏像だということがわかった。やはり修験道の仏像は一味違っていた。肉髻が異常に盛り上がり、螺髪も四角く、眉と目を顔幅いっぱいに表す独特の表情で、なで肩、体は一木造に特有な太くどっしりとした体つきになっている。小さな展示品が多いなかでその体躯に圧倒された。すぐ近くに源慶の蔵王権現(ZOGG)が控えていたので次の展示品に向った。

2015年9月26日土曜日

蔵王権現と修験の秘宝展②源慶の蔵王権現

三井記念美術館で開催されている「蔵王権現と修験の秘宝展」の目玉は如意輪
寺にある源慶の蔵王権現だ。山本勉先生によると、運慶に仕えた大番頭のような役割の仏師だったとのこと。蔵王権現は像高わずか87センチながら、均整のとれたプロポーション自然な姿態や着衣表現など破綻なくまとめられた造形感覚はみごとだ。右手を振り上げ五鈷杵を持ち、左手は剣印とし、右足を蹴り上げて立つ蔵王権現独自のポーズだ。像表面には当時のものと思われる彩色が残り、肉身色はは群青とし、着衣に截金文様が確認できる。さすが運慶の大番頭の技が冴える一品となっている。蔵王権現は役行者が金峰山で守護仏の出現を祈ったとき、釈迦如来・千手観音・弥勒如来が出現し最後に出現した仏として伝えられている。子ぶりながら迫力が感じられる仏像だった。いつまでも見ていたい気持ちを抑えて、次の作品へと向った。

2015年9月20日日曜日

養玉院如来寺

本日、仏像クラブで品川の西大井にある養玉院如来寺に出かけた。如来寺は元は芝高輪にあったお寺で、江戸時代の寛永年間に創立され、瑞應殿(ずいおうでん)にある五智如来は「芝の大佛(おおぼとけ)」として庶民に親しまれていた。養玉院は対馬宗家の菩提寺で寛永年間に寛永寺の塔頭三明院が前身とのこと。大正12年に如来寺と合併して今の場所に、移ったとお寺のしおりに記載してあった。御住職の奥様らしき女性の話によると、そのあとすぐ関東大震災があり、芝あたりも焦土に帰したとのこと。奇跡的に残った五智如来は高さ3メートル強の大日如来をはじめ、「大井の大佛」の名にふさわしい迫力があった。二体の天燈鬼は以前は興福寺の天燈鬼と同じく灯籠を持っていたが、東日本大震災の影響だろうか、今はなかった。お彼岸なので本堂の拝観は無理と事前に言われていたが、奥様の御好意で短い間だったが拝観させていただいた。本堂の釈迦如来と仏弟子二人の三尊像で、右が迦葉(かしょう)左が阿難とのこと。中国風の仏である養玉院の本尊は、中国明人の仏師の手によるものだが、エキゾッチックですばらしい仏だった。仏像クラブの面々も、大満足の様子で、鮫洲のあなご天丼を頬張りながら、本日見た仏像についておおいに語り合った。

2015年9月19日土曜日

蔵王権現と修験の秘宝展①

先週の土曜日、日本橋の三井記念美術館開催の「蔵王権現と修験の秘宝展」
を見に行った。三井記念美術館では何年かおきに仏像展が開催されており、「奈良の古寺と仏像展」では都の仏、「近江路の神と仏名宝展」では里の仏の展示だったが、今回は山の仏がテーマになっている。この展覧会では平安時代に都の貴族にも山の仏の信仰が盛んだったことを示す、宝物が展示されていたり、蔵王権現や役行者(えんのぎょうじゃ)など今までと趣をことにする仏像が見ることができた。圧巻は源慶作蔵王権現。写真では大きく見えたが、思ったほど大きくなく、87センチしかなかったが、迫力は十分あった。後半は以前訪れたことがある鳥取県の三仏寺の蔵王権現が中心の展示だったが、仏像フィギアでみうらじゅんプロデュースの有名な蔵王権現は壊れやすいためレプリカのみの展示だった。山の仏の展覧会だから地味かなと思っていたが、150センチの聖徳太子像や仏像など案外楽しめた展覧会となっていた。照明も見事で劇的な効果を発揮しており満足して会場をあとにした。

2015年9月12日土曜日

特別展鎌倉×密教の思い出(園城寺の不動明王)

平成23年に仏像クラブで行った鎌倉国宝館開催「特別展鎌倉×密教」ではU案
内人と特別開帳で訪問した明王院の肥後定慶作不動明王がメインで展示されていた。この展覧会により再評価され重文指定されることになるのだが、この不動明王と比較する作品として園城寺の不動明王が展示されていた。当時は肥後定慶作の印象が強く、さして記憶に残らなかったが、昨年訪れた大津市歴史博物館で開催された「特別展三井寺国宝の美」で、はからずも再会することができた。この不動明王がポスターの中央にあり、展覧会の目玉となっていた。あらためて作風を見ると両手足を左右に大きく張った堂々とした構えに気宇の大きさが感じられ、憤怒の表情は控えめに表し、衣文や肉取りを大つかみにとらえ、落ち着いた印象を与える。顔の表情はものすごく太めの眉を吊り上げ、両目を見開いている。作風からして湛慶か肥後定慶の作といわれており、当時の鎌倉国宝館の学芸員も肥後定慶作の比較としてわざわざ鎌倉まで持ってきて展示したのだろう。照明のよい大津歴史博物館でじっくり堪能して京都へ戻った。

2015年9月5日土曜日

美濃の美仏巡り⑥(円興寺の聖観音)

美濃の美仏巡り1日目の最後に訪れたのが、大垣からほど近い青墓という地名
にある円興寺だ。地元のタクシーの運ちゃんも道を迷うほど、訪れる人が少ないお寺だ。私がここを訪れようと思ったのは、井上正氏の「続・古佛」を読んだからだ。「続・古佛」は同じく井上正氏著作の「古佛」の続編で、平安時代の壇像彫刻を独自の視点で「唐」の絵師の影響を受けた風動表現や、ねじれの造形について有名無名の仏像を紹介する本だ。お寺に着き庫裏に向おうとする私を上にある本堂から御住職が声をかけていただいた。早速収蔵庫を開けてもらい、聖観音を拝観した。像高が150センチ足らずで、淡黄色で裾周りに見られる清新な衣文の表現が特徴的だ。若い御住職から井上先生がいらした当時の話を聞き、続・古佛を読んで来た旨などを話した。とても丁寧に応対していただいた、御住職にお礼をいい、お寺をあとにした。

2015年8月29日土曜日

国宝薬師寺展の思い出②

平成20年に開催された「国宝薬師寺」展には日光・月光菩薩と共に東院堂の聖
観音が展示されていた。当時は日光・月光の印象が強く、あまり印象に残らなかったが、先日NHKの「探検バクモン」という番組で奈良国立博物館と「白鳳」展の紹介がされたとき、聖観音も取り上げられていた。奈良博写真技師のコーナーで写真にすると、今まで気がつかなかった仏像の特徴がわかるという。薬師寺の聖観音は実は目が赤く、おでこには産毛のようなものが描かれている。スマホの電子書籍でも確かにその特徴が確認できる。これからは仏像の肉眼では気がつかない特徴について写真で探していこうと思った。

2015年8月22日土曜日

美濃の美仏巡り⑤岐阜大仏

下呂温泉の宿で夕食後部屋でくつろいでいたら、テレビの「ぶっちゃけ寺」という
番組で全国の大仏を紹介していた。ちょうど明日行く岐阜大仏のコーナーになり、岐阜大仏が竹や粘土やお経が書かれた美濃紙など岐阜の伝統工芸で作られていることが紹介された。岐阜大仏の近くの飛騨牛を食べさせる店がいっぱいで入れなかったので、先に岐阜大仏を見ることとなった。岐阜大仏は像高14メートル弱で、江戸時代の作の乾漆造の仏像だ。正面から見ると穏やかなお顔をしており、いやされた。預けた御朱印帳を返しに来た御住職に昨日のテレビ番組の話をすると、「テレビでは正面からのお優しいお顔が映らなかった」と残念がっておられた。あらためて携帯のカメラで正面からのお顔を写して、飛騨牛のハンバーグを食べに駅にバスで戻った。

2015年8月15日土曜日

美濃の美仏巡り④長龍寺の韋駄天

美濃の美仏めぐり2日目に向ったのが、美濃太田からローカル線の長良川鉄道
に乗って2時間の距離にある長龍寺だ。すでにお昼になっており、腹ごしらえに道の駅の食堂によった。注文したソールフードの「鶏ちゃん定食」を待っている間、ふと食堂の壁をみるとなにやら仏像の写真がここらの風景写真に並んで掛けてあった。よくみると長龍寺の四天王や石徹白大師堂の虚空蔵菩薩だった。道の駅に「白山文化博物館」が併設されていることを思い出し、拝観前に写真を購入した。長龍寺の宝物は「龍宝殿」に納められており拝観できるとのこと。中は仏堂の雰囲気を守るためか照明が落とされており、その中に華奢な顔が高貴な印象の釈迦三尊や慶派の躍動感ある四天王が展示されていた。少し明るい部屋には今年、重要文化財に指定された「韋駄天」と「善財童子」が展示されていた。今年四月の国宝・文化財展で見逃した仏像だ。中国南宋時代、13世紀製作の仏像でお経とともに中国よりもたらされたと考えられる。韋駄天は彩色が鮮やかに残り、大変美しい作品である。このような片田舎に日中交流史の遺品が残るのに驚かされた。猛暑の中、次の石徹白大師堂に向った。

2015年8月11日火曜日

美濃の美仏巡り③願興寺の釈迦三尊

美濃の美仏巡りの最後は、御嵩町にある願興寺に向かった。女性の住職に本
堂に招かれ、お経をあげてもらい、収蔵庫の仏像の前でも、般若心経を唱えて、やっと仏像拝観の運びとなった。願興寺は平安時代の一条天皇創建の由緒あるお寺で、何度かの火災に見舞われても、そのたびに信者が仏像を守ってくれたとのこと。目の前の二メートルの四天王を見ながら、よく昔の人が人力のみで運び出したと驚かされた。収蔵庫の隅に置かれていたのが、客仏の釈迦三尊で、写真で見るより小ぶりたが、眉目秀麗な鎌倉時代の秀作だ。珍しい印相をしており、鎌倉の極楽寺でもみた転法輪印だ。聞けば西村公朝氏が凄く誉めていた仏像とのこと。九州に続きまたしても、西村氏修復の仏像に、はからずも出会うこととなった。女性住職に丁重にお礼をいいお寺をあとにした。この旅は図らずも、とても充実した仏像拝観になった。みうらじゅん氏の最近出版された「東海美仏散歩」がたいへん役にたった。この本を手に東海の美仏を巡る旅に出てみてはいかがでしょうか。

2015年8月10日月曜日

美濃の美仏巡り②石徹白大師堂の虚空蔵菩薩

本日、美濃の美仏巡り二日目は郡上のお寺をまわった。今日最後に訪れたのは
、福井県に近い石徹白(いとしろ)大師堂だ。無住の寺で地元の管理人に連絡し拝観できることになった。本堂裏手の収蔵庫を開けてもらうとガラスケースの中に金色に輝く虚空蔵菩薩がいらした。平安時代末期の作だが、金胴仏でとても保存状態がよく、宝珠や宝剣、光背や台座まで当初のものが残されているのには驚かされた。発願者は奥州藤原秀衛で、源義経一行を奥州に逃すために家臣を遣わして郡上の石徹白にこの仏像を作らした伝説がある。今日案内してくれた管理人の方はその家臣団の末裔だという。素晴らしい仏像を間近で拝ませて頂いたことに感謝し大師堂をあとに温泉宿に向かった。

2015年8月9日日曜日

美濃の美仏巡り①横蔵寺の大日如来

今日から岐阜県の美仏を巡る旅に出かけている。岐阜に入って真っ先に向かったのが、美濃の正倉院とよばれる、横蔵寺だ。電車とバスを乗り継ぎやっとの思いでたどり着いた。宝物館の中には、大日如来や深沙大将(じんじゃたいしょう)など大小22体の仏像があり苦労して来たかいがあった。中でも平安末期の大日如来が素晴らしく高く結い上げた髻、流れるように表現された衣紋などに、細かな彫りの技が光る写実的な作風が特徴だ。運慶の大日如来も似た作品は筑前講師という謎の仏師の制作とのこと。発願者が平氏であることから謎が深まる。横蔵寺には他にも見るべき仏像が多く快慶作より古い深沙大将や肥後定慶作の金剛力士など見ごたえのある宝物館だった。いつまでもいたかったが、帰りのバスの時間もあるので、足早に横蔵寺をあとにした。明日は義経伝説に彩られた虚空蔵菩薩を見に行く予定だ。

2015年8月8日土曜日

奈良の古寺と仏像展の思い出②

奈良の古寺と仏像展では奈良の多くの寺から仏像が出品されていたが、ここに
取り上げる岡寺の菩薩半跏像もそのひとつだ。わずか像高16.5センチの銅造の仏像のため会場では目だたなかったが、あとで図録などで写真を確認しそのやさしい表情や自然な姿勢、装身具の細部まで見事に表現されているのに驚いた。平成25年に奈良を訪れた際、岡寺の大きな如意輪観音を見たが、その胎内仏で奈良時代の作だが、その愛らしく美しい姿は白鳳仏の影響を確実に受けていると感じた。あらためて見直した秀作だ。

2015年8月1日土曜日

奈良の古寺と仏像展の思い出

平成20年に「薬師寺展」平成21年に「国宝阿修羅展」と立て続けに行った仏像展
だが、平成22年に開催されるいい仏像展は無いかと探していたが、東京日本橋の三井記念美術館で「奈良の古寺と仏像展」が新潟・東京・奈良と巡回して開催されることを知った。その年は今年と同じく猛暑で、暑い中仏像展に出かけたのを覚えている。初めて行った三井記念美術館はかなり豪華な展覧会場で、照明も凝っており、奈良の仏像が「會津八一」のうたと共に展示されていた。最初が法隆寺のコーナーで東京展だけに出品される夢違観音や菩薩立像が展示されていた。ここで紹介する観音菩薩立像は白鳳時代の作で法隆寺金堂の阿弥陀如来の脇侍としてまつられていたというが、像容からして単独像として製作された可能性も指摘されている。二手に分かれた髻、花や葉を様式化した冠、両足まで冠の紐がU字型に垂れ下がる装飾性に富み巧みなデザインになっているところなど、白鳳美術の粋を集めた名品だ。像高が60センチの小像のため見逃しそうな一品だが、今年の七月開催の白鳳展では大きく取り上げられており、改めて見直した仏像のひとつだ。帰りに品川でよったレストランのビールが冷たくおいしかったことを記憶している。

2015年7月26日日曜日

国宝薬師寺展の思い出

仏像クラブが発足したのが、平成19年12月だが、平成20年の4月にはU案内人
と京都に行き、その翌月に東博で開催されたのが、「国宝薬師寺展」だ。この展覧会では、薬師如来の脇侍日光・月光菩薩が揃って寺外初公開されると聞き二人で出かけた。会場の当時の記憶はほとんどないので、当時の東博ニュースを読むと、「今回の展示では光背を付けず、日光・月光両菩薩像を離して展示することでそれぞれ360度の視野を確保します。また、両像を少し高い位置からご覧いただけるよう、檀を設置します。」とある。会場は特別展がよく開催される平成館で、他の展覧会でも劇的な視覚効果を発揮したあのスロープを使ってお二方を見るしかけとなっていた。今でも印象に残っていたのは、普段光背で隠れている、背中にも彫刻が施されたことに感動した点だ。照明もこのころから工夫していたのには驚いた。現在、奈良博では「白鳳」という展覧会が開催されているが、月光菩薩のみの展示とのこと。お二人そろって東京で見られた貴重な展覧会であった。

2015年7月19日日曜日

インドの仏展⑦魔利支天

インドの仏の会場でひときわ異彩を放っているのが魔利支天像だ。陽炎を神格
化したこの天は日本にはあまり作例がなく、この仏像がはじめてみる魔利支天だ。若いころ南アルプスの甲斐駒ケ岳に登ったとき、支峰の名前が魔利支天だったがたしかに陽炎のように霧の中に浮かんでいる光景を思い出した。本像は4つの顔をと8本の腕を持つ姿で表されている。インドの仏展の会場では、真後ろの顔もよく鑑賞できるように後ろの壁が空洞になっており作品を楽しむことができる。ウェブのニュースによると会場で若い女性を中心に人気なのがこの魔利支天像だという。実際はおそろしげな像で、腕には金剛杵、矢、象を操る突き棒、悪人の口と目を縫い合わせる針と糸を持つ。特異で魅力的な像に心奪われて会場をあとにした。

2015年7月11日土曜日

九州仏⑧長安寺の太郎天及び二童子

九州仏探訪の初日の大分国東半島はあいにくの雨だった。無動寺を出たころか
ら雨が激しくなり、タクシーを予約して正解だった。次に向ったのが長安寺だ。雨にもかかわらず多くの参拝者がいらした。長安寺は花の寺として有名で、しゃくなげが見ごろだったためとうなずける。運転手も私が仏像目当てだということを心得ていて、お寺の方に収蔵庫を開けてもらうように頼んでくれた。収蔵庫の中には平安時代の太郎天及び二童子がおられた。太郎天は不動明王の化身で右が制吨迦童子、左が矜羯羅童子か。彫りは浅いが、太郎天像は厳かな雰囲気があり、二童子は愛嬌がある。三像とも榧の木の一木造で、太郎天像のみ内刳が施されている。ここは午前中にいった天念寺も管理しており「鬼会の里」の鬼のお守りがあったので購入しお寺をあとにした。

2015年7月4日土曜日

インドの仏展⑥カサルバナ観音

インドの仏展最後のコーナーである「密教の世界」は再び表慶館の1階に下りた
ところにあった。会場の中央に仏足石があり像高50センチから1メートルの仏がずらりと取り囲んでいた。中でもすばらしかったのが、インドの隣国バングラデシュの遺跡から発掘された、カサルバナ観音立像だ。カサルバナとは「空中を遊行するもの」の意味で、多様化した観音のひとつ。中央の観音は日本でもよく見かける右手に与願印を結び、左手に蓮の花をもっている。左脇にはお馴染みの善財童子や頭上には大日如来・宝生如来・阿弥陀如来・阿閦(あしゅく)如来・不空成就如来の五仏を配する。大変手の込んだ彫刻に舌を巻いた。時間の無い中ゆっくりと鑑賞して、グッズのコーナーに売っていたカサルバナ観音のクリアファイルを購入して会場をあとにした。

2015年6月27日土曜日

九州仏⑦大楽寺の弥勒仏及び両菩薩

龍岩寺を後にして、次に向ったのが宇佐の大楽寺だ。以前BS11で「国東半島
千年ロマン〜悠久の仏たち〜」という番組を見て、すっかり虜になったお寺のひとつだ。ちょうどお寺の行事の準備の最中だった御住職が収蔵庫の扉を開けていただいた。中には降魔印の130センチ強の弥勒仏と「九州仏」展にも展示された両菩薩。そのまわりを四天王が固め。いずれも平安時代後期の仏像だ。宇佐八幡宮の廃仏毀釈のあおりをうけて多くの仏像が保存状態が悪いのが宇佐の仏像の現状だ。しかしこのお寺は修復がすばらしかったのか、保存状態がよかった。脇侍の菩薩立像は左右対象でバランスがよい。富貴寺や真木大堂と同じく宇佐を代表する仏像のひとつだ。住職が席をはずしてからもじっくりと鑑賞し住職に礼を言ってその場をあとにした。

2015年6月20日土曜日

インドの仏展⑤ブロンソンな弥勒菩薩

弥勒菩薩とは釈迦が入滅後26億7千万年後に現れるという、未来仏で京都広隆
寺の仏像が有名だが、そのルーツの仏像はどんなんだろうと興味を持ちながら、表慶館の2階の展示室に向った。みうらじゅん・いとうせいこうが「ブロンソン」と呼んでいた仏像が二階に上がるとすぐ見えた。ブロンソンとはアメリカの俳優でチャールズ・ブイロンソンのことをさしている。頭髪を結い上げ水瓶(すいびょう)を持つ姿はバラモン教の最高神ブラフマン(梵天)との共通性が強い。結跏趺坐し厚い胸板が肉感的だ。胸の飾りや腕かざりなどにガンダーラ美術最盛期の特徴がみれる。それにしても日本の弥勒菩薩との違いに驚かされた。インドのそれがシッダルタ王子の貴族の姿を意識したものに対し、日本の仏像はブッタを意識した弥勒如来の姿で描かれるからであろう。いずれも正解で二つの文化を比較でき興味深く拝観できた。他の展示を見にその場をあとにした。

2015年6月13日土曜日

九州仏⑥大悲王院の千手観音

浮嶽神社を参拝したあと、タクシーで大悲王院千如寺に向った。お寺につくと若
い僧が応対してくれて、参拝者がくるたびに厨子の扉を開けて御開帳をしていただける。厨子の中には高さ5メートルの千手観音観音が祀られていた。後で「芸術新潮」を見て知ったのだが、この仏像も大仏師西村公朝氏による修理が施されている。修理を終えて立てかけようとした矢先、厨子の金具がはずれ落ちてきた角材を合掌する中指で飛ばし、村人たちを守った観音様の奇跡がおこったことが記載されていた。室町時代の作だが、たしかに修理後のきれいに整っている仏像との印象を持った。西村公朝によると事故の際、修理前に魂抜きをした仏様が危険をみて、仏のほうからこの木像に飛び込んでくれたのだろうかと著作のなかで記載してあるとのこと。この話を事前に知っていれば、どいだけ感動したことだろうかとあとで思った。拝観を終えて博多に帰るためタクシーに乗り込んだ。

2015年6月6日土曜日

インドの仏展④ロリアン・タンガイの仏坐像

インドの仏展1番のイケ仏がこのロリアン・タンガイの仏坐像であろう。ロリアン・
タンガイはガンダーラに残るおびただしい数の仏教遺跡のひとつで、発掘当時の写真が会場や図録でもみることができたが、どれも一級品のガンダーラ仏が30体以上ならぶ様は圧巻だ。それがすべてコルタカ・インド博物館に所蔵されているという。その中の選りすぐりの仏像が今回展示されている。衣は偏袒右肩で結跏趺座し、深い瞑想の中で微笑みを湛えた顔つきは女性ファンをうっとりさせる仏像だ。会場にはインド土着の顔つきのマトゥーラの仏像も展示されており比較しておもしろっかった。いつかコルタカ・インド博物館に行って、ロリアン・タンガイの仏像を全部みたいと思った。

2015年5月31日日曜日

九州仏⑤無動寺の仏像郡

国東半島を巡っているタクシーの運転手よりいい仏像があるお寺があると言わ
れ急遽「無動寺」に向った。お寺に到着したが不在で連絡がとれない。これはダメかと思われたとき、福耳の男性がお寺のご親類とのことで連絡をとってくれた。地獄に仏とはこのことだ。昼食後再度お寺に向った。本堂内に入ると本尊の不動明王坐像をはじめ十六体の仏像郡が処狭しと安置されていた。ここ無動寺は六郷満山の中山本寺で、盛時には末寺十二坊をかかえ、つねに多くの僧が修行に励んだといわれる天台の名刹であった。中央の不動明王坐像は像高115センチの平安時代の一木造。火炎光背には迦楼羅炎(かるらえん)の浮彫も見える。脇侍は二童子で赤い制叱迦(せいたか)童子と白い矜羯羅(こんがら)童子。共に江戸期の補作だがよく本尊とマッチしている。元ご本尊と伝わる薬師如来坐像は像高155センチの平安仏。いいお顔をしており十二神将を従えている。1番大きい像高178センチの大日如来坐像や伝弥勒仏と伝わる像高135センチの平安仏が圧倒的な迫力で私に迫ってきた。近くで見てよいとのことで内々陣にあがる作法を学び、右足からなかに入った。その後先ほどの福耳の男性との仏像談義となりおだやかな時間をすごした。よく出来たA4の絵葉書を購入しお寺を後にした。

2015年5月23日土曜日

インドの仏展③仏伝「誕生」

インドの仏展では最初の仏像誕生以前のコーナーの次が「釈迦の生涯」のコー
ナーで多くの仏伝図が展示されていた。その中で私が気になったのが、仏伝「誕生」という作品で釈迦生誕の場面を表している。釈迦の母マーヤ夫人の脇の下から生まれたという釈迦が誕生した瞬間が劇的に描かれている。夫人がアショーカの木に手を伸ばすと枝は自然と下がり、そこに手を掛けた瞬間産気づいたという。マーヤ夫人の立ち姿はいわゆる三屈法で、日本の観音菩薩にもよく見られるものでここに原点を見たと感じた。また図録によると本作は仏教以前に崇拝されていた樹神ヤクシニーとの共通性が見出せ、豊穣をつかさどる女神のように、豊かで健康的な体つきをしている。脇の下から生まれた釈迦が、生まれてすぐ立ちあがった様子もまるで四こまマンガのように描かれているのも興味深い。このレリーフにはお馴染みの梵天・帝釈天も描かれており、いつまでも見てていたいが、次の展示室に向った。


2015年5月16日土曜日

九州仏④観世音寺の兜跋毘沙門天

宇佐の仏像を見て、昼食後特急で博多に向かい、西鉄で大宰府の手前の駅で
おり、観世音寺に向う。隣の戒檀院の仏像を窓越しに見て、観世音寺の宝物館に向った。観世音寺は若いころ一度訪れているので、今回はじっくり見ようと思った。事前に「福岡の仏像」という本を買い込み、現地で解説を読みながら拝観した。やはり気になっていたのが「兜跋毘沙門天」だ。U案内人が昨年行った「九州仏展」のチラシに大きく取り上げられてており、その造形のすばらしさに虜にになった。観世音寺の巨大仏のなかで、ニメートルとみたない仏像だが、非常に洗練された技術で作られており、彫刻としてだけでも、うなりながら見ざるを得ない迫力がある。平安時代前期の作で、お馴染みの地天女が両手で足元をささえている。見仏記によると「その女性は波の中から上半身を出していた」と書かれていたが、そのようにも見えた。今回の兜跋毘沙門天は今回旅行を思い起こさせた仏像のひとつだ。満足して観世音寺をあとにした。

2015年5月10日日曜日

日向薬師展

本日(9日)仏像クラブで県立金沢文庫に「日向薬師展」を見に行った。本堂の
平成大修理記念として秘仏鉈彫本尊が開帳されているからだ。2011年仏像クラブで行った「白洲正子展」のおり出展されるはずだったご本尊が東日本大震災の影響でとりやめになった。その後仏像クラブで伊勢原の日向薬師を訪れた際も本尊の厨子がしまっており、見れなかった。一階で特別出展の龍華寺の脱活乾漆菩薩像などを見ながら二階にあがった。私は真っ先に本尊の薬師三尊の前に向った。たぶん「仏の瀬谷さん」が執筆したと思われる図録作品解説によると、三尊とも桂の一木造りで、内刳りは施されていない。三尊は一面にノミ目が整然と横縞状に表され、いわゆる「鉈彫」だ。U会員も以前仏像クラブで行った弘明寺やみちのくの仏像展の天台寺聖観音をあげて夢中で食い入るように見ていた。かの白洲正子も「これ以上手を加える必要はない、手を加えれば全体がこわれてしまう、そういうぎりぎりのところまで到達しているように思われる」と日向薬師本尊を見た感想をのべている。それ以外の展示品では慶派の飛天像が残欠ながら迫力がありよかった。日向薬師で見た鎌倉時代の薬師如来か阿弥陀如来の光背の飛天だという。興味を惹かれたのは金沢文庫所蔵ガラス乾板写真で、収蔵庫にうつる前の仏像の写真が展示されていた。仏像クラブの面々も満足したらしく、本堂が来年完成したあとまた日向薬師を再訪しようということになった。充実した展覧会を見てツツジが見ごろな鎌倉のお寺へと向う仏像クラブの面々だった。

2015年5月6日水曜日

インドの仏展②サルナートの仏立像

インドの仏展で最初に出会うのが、このサルナートの仏立像だ。サルナートはブ
ッダ(釈迦)が初説法を行った初転法輪の地だが、その姿を描いているのだろうか。右手は施無畏印(せむいいん)、指にある水かきに似た縵網相(まんもうそう)、華麗な植物文様によって装飾された光背は日本の仏像でも馴染み深いもので、インドから一気にアジアを抜けて日本へのつながりを感じさせる仏像だ。おだやかに半分閉じた目の表現やふっくらした唇に惹かれた。深い瞑想の静けさを感じる仏教彫刻は理想的な完成美として東アジア美術に大きな影響を与えたという。奈良薬師寺の薬師如来につながる作品だ。いとうせいこう氏が「シースルー」と呼んだ薄い衣の表現も見事だ。材質は砂岩のため、石彫刻でしか表現できない制約があるがそれを感じさせない見事な彫刻だ。この作品をきっかけに「インドの仏」の世界に導かれる、オープニングにふさわしい作品だった。

2015年5月4日月曜日

かんなみ仏の里美術館で十二神将に再会する

今回(4月21日)の静岡小旅行で午後に訪れたのが、かんなみ仏の里美術館だ。
以前も開館当初、仏像クラブで訪問したが、今回は写真集が発売されるとのことでそれを目的に出かけた。美術館につくとボランティアのガイドがつき丁寧に説明してくれた。十二神将には以前は腕が無くなっていたと思われていたが、その後大量に見つかりほとんどすべてが保存されていることがわかり復元したなどの説明をじっくり聞くことができた。平日閉館間近ということもあり、展示室には私と仏たちだけになった。ここと修禅寺にしか作品を残していない、仏師実慶の阿弥陀三尊や霊験あらたかな薬師如来に囲まれて静かなときをすごした。十二神将の中では因達羅大将(巳像)が凛々しい顔をしており1番気に入った。帰りの山道を歩いていると親切な地元の方が声をかけていただき駅まで送っていただけた。とても充実した一日を過ごせて満足して帰路についた。

2015年5月1日金曜日

国宝醍醐寺の虚空蔵菩薩に再会する

本日(4月30日)、東博に新指定国宝・重要文化財展を見にでかけた。すでにネットにて醍醐寺の虚空蔵菩薩(旧聖観音)と東大寺の試みの大仏と呼ばれる、弥勒仏坐像が国宝に指定されたことを知っていたが、今回東博に指定された作品が展示されている(一部はパネル展示)。上野東京ラインで上野に行き、東博本館の第11室に向う。入ってすぐのところに展示されていたのが、この醍醐寺の虚空蔵菩薩だ。カヤの一木造で平安時代前期の代表的壇像彫刻だ。風をはらんでなびくような天衣の表現がみごとでみとれた。大きな目とほほのふくらみはやんちゃ坊主のようだと井上正氏は「続・古佛」の中で書いている。また「続・古佛」では「本像の手練の技の奥に感じられる奇抜な発想と冴えた造形力は呉道玄(中国唐の画家)の才に帰せらるべきであろう」と述べている。聖観音といわれていた本像が、醍醐寺に伝来した版木に書かれた絵と同じのため虚空蔵菩薩での国宝指定となった。国宝・重文に指定された他の作品を見て、来月から約1年間休館となる法隆寺宝物館に向った。

2015年4月29日水曜日

甲斐善光寺の阿弥陀三尊

今週の日曜日に山梨県の甲斐善光寺に仏像クラブで出かけた。今年は七年に一度の善光寺式阿弥陀の御開帳の年にあたり、4月から5月まで全国の善光寺で行われる。JRの酒折駅を降り甲斐善光寺に向った。善光寺につくと写真でよく見かける信州善光寺とそっくりの本堂が見えてきた。寺伝によると戦国武将の武田信玄が川中島合戦のおり、信州善光寺に戦火が及ぶのを恐れ、甲斐の地に本尊と宝物を移したという。さっそく本堂にあがると奥の高いところに厨子があり、阿弥陀三尊が祀られていた。甲斐善光寺の阿弥陀三尊は信州善光寺の絶対秘仏の本尊を模したと伝えられていて、像高150センチ足らずで銅造の鎌倉時代の仏像だ。双眼鏡で覗いたU案内人が少年のようなお顔をしているとつぶやいた。私も双眼鏡で覗いたが写真でみるより実際は美少年の顔だちをしておられた。胎内めぐりをして宝物館にある阿弥陀三尊を鑑賞して甲府へ向った。


2015年4月22日水曜日

九州仏③浮嶽(うきたけ)神社

私が九州仏探訪のきっかけとなったのが、井上正氏の『続・古佛』という本に出会ったからだ。サイトで紹介されて知ったのだが、たまたま近くの本屋にあり購入した。浮嶽神社の欄には白黒だが、仏像の写真があり神像のような雰囲気の像だった。その後九州仏展の図録や実際に現地に行って来た人のブログを見て実際に会いたいと思っていた。神社に予約して収蔵庫を開けてもらった。立像の菩薩と地蔵尊、座像の伝薬師如来と阿弥陀仏があり、圧倒的迫力で迫ってくる。右端の如来立像は「続・古佛」によると頭部が小さく、腰以下を長く設定した異常なプロポーションで、唐招提寺木彫像や元興寺薬師如来などにみられる典型的な奈良式のプロポーションに属するとある。このことから著者の井上氏は製作年代を八世紀とみている。地蔵の袖口は、大きな口をあけて風をはらむかのようである。如来坐像は左側面から背面にかけての衣文はダイナッミックな動きを見せる。ここ九州で1番大陸の風を感じた仏像郡だ。じっくりと拝観し次のお寺に向かった。

2015年4月21日火曜日

九州仏②龍岩寺

今日の午前中は大分の宇佐を中心に回った。最初に訪れた龍岩寺は十代のこ
ろ一度訪れたお寺だが、その時の印象が強烈でいまでも覚えている。朝一番でタクシーで向かい山中にある奥院礼堂を目指して、急な山道を登って行くこと10分、木々の間に岩に張り付いた奥院礼堂が見えた。喜びいさんで中に入ったが、中は以前より暗かったが、意外なことに、仏像の座るあたりは明るかった。昨日の大雨で外陣の窓を締め切っていたためだ。格子越しに内陣を覗いて息を飲んだ。三体の巨像が白い体躯から淡い光を放って鎮座している。向かって右から薬師・阿弥陀・不動の三体でどれも三メートル弱の坐像で、しかも簡素な木彫りである。螺髪の表現のない頭はこけし状になっており、彩色もなく彫りの浅い三体はまるで神像のようだ。神仏習合の宇佐にふさわしい仏像だ。三体の目の表現もシンプルながら巧みで、中央の阿弥陀は上まぶたのみが彫りだされ、いわばその影が思索にふけるような半眼に見える。思い切って訪ねてよかったと思った。立ち去りがたい気持ちのまま、宇佐の次のお寺に向かった。

2015年4月20日月曜日

九州仏①真木大堂

本日より九州仏鑑賞の旅に出かけている。きっかけは、昨年U案内人が買って来てくれた九州仏展の図録を見てからだ。本日は仏像の宝庫、国東半島にあるお寺を巡った。午前中に二箇所午後に二箇所周り、最後に真木大堂にたどり着いた。中に入ると中央に阿弥陀仏と四天王。隣は大威徳明王と不動明王と二童子がいらした。阿弥陀如来は指先と耳に若干の金が残る他は、その肌は漆黒に染まっている。四天王はみな一様に外側に開いた格好で置かれ、本尊を守っている。大威徳明王の色の剥げた顔は紫に近い色に染まり、牙をむいている。帰宅して見仏記を読み直してみると、みうらじゅん氏が700年前に火災で燃える前は五大明王全部そろった立体マンダラ状態だったのではないかと発言している。たしかにうなずける。不動明王は二童子を従え、後補の迦楼羅炎(かるらえん)に守られて立っている。大威徳・不動どちらも日本最大の木彫仏との事。ガラスごしながら充分の迫力で迫って来た。明日は宇佐を周り、午後から日本最大の馬頭観音に会いに観世音寺に向かう予定だ。

2015年4月19日日曜日

インドの仏展①

本日(18日)東博に「特別展インドの仏」を見に行った。インドの仏展は古代イン
ド美術コレクションで名高いコルカタ・インド博物館からインド仏教美術の至宝が来日して開かれる展覧会だ。インド仏像大使にみうらじゅん氏・いとうせいこう氏が任命されて話題にもなっている。展示会場は東博平成館休館のため、普段入れない表慶館で開催された。ドーム型の屋根の表慶館の中に入ると日経デジタルの記事にあったいとうせいこう氏が言うところ、「シースルー」と呼ばれる「仏立像」が出迎えてくれた。「仏像誕生以前」のコーナーにはブッダの姿を象徴的に法輪で表したレリーフがあり、みうらさんが「フォーリン(法輪)ラブ」と呼ぶ浮彫が展示してあった。「釈迦の生涯」のコーナーではマーヤ夫人の脇の下から生まれるブッダの姿を表したレリーフや釈迦の出家のシーンを彫刻のように表した浮彫がよかった。表慶館には2階の展示室があり、順路に沿って進むと弥勒菩薩坐像が迎えてくれた。2階も見所が多く、ストゥーパや絵つきの経典などが展示されていた。最後のコーナーが「密教の世界」のコーナーで魔利支天やターラ女神の展示があり、特に気に入ったのがカサルバナ観音立像だった。一時間以上かけて鑑賞したがそれでも時間が足りないほど内容が充実した展覧会だった。記念のグッズの「インドの仏」カレーを購入して会場をあとにした。

2015年4月17日金曜日

運慶国宝仏と再会する

本日(16日)、休暇中を利用して静岡伊豆の国市の願成就院と、かんなみ仏
の里美術館を巡った。願成就院は仏像クラブで数回訪れたことはあったが、昨年国宝に指定されてからは初めてで、山本勉先生とその恩師である水野氏の共著であるお寺発行の解説本を購入するのが目的だった。昨年夏に山本勉先生のツィッターで発刊されていたことは知っていたが、お寺でしか購入できないため手に入れるのが本日になってしまった。歩きなれた道を願成就院に向うと、受付でご住職自ら対応いただき、国宝指定を機にお寺の解説本を一新されたとのこと。郵送の依頼が多く困っているご様子だった。先に解説本を購入してから大御堂に入り国宝運慶仏の阿弥陀如来・毘沙門天・不動明王及び二童子と再会した。以前のように仏像の真下に立つことは出来なくなっていたが、危惧していたようなガラスケースはなく、両脇からではあるが、近くから拝観できた。お堂の照明も増え仏像のお姿もよく見えるようになっていることにホットした。水野氏執筆の大御堂の運慶作諸尊像を読みながら見ていくと、毘沙門天に踏まれている邪鬼が手を伸ばして戟(げき)の柄の尻をつかんでいるとの記述があり、今まで気がつかなかったことに気づかされてより有意義に鑑賞できた。いい解説本が入手でき満足して、新緑に映えるお寺をあとにして「かんなみ仏の里美術館」に向った。

2015年4月12日日曜日

みちのくの仏像展⑤秋田小沼神社の聖観音

今回開催された「特別展みちのくの仏像」の出展作品の多くは、2012年に刊行さ
れた「別冊太陽みちのくの仏像」にて紹介されてている。展覧会図録によるとこの別冊太陽の監修者がこの展覧会にもかかわったとのこと。ここで紹介する小沼神社の聖観音も大きく取り上げられた仏像のひとつだ。小沼神社はその名前の通り、山の中にある小さな沼のほとりにある神社だという。以前ネットで小沼神社の写真を見たが、きれいな緑に囲まれた素敵なところで、神社には十一面観音とこの聖観音が祀られており、特に今回出展された聖観音は神像の雰囲気を醸し出している仏像だと感じた。他の仏像に比べても細身で伸びやかな仏像だ。像高170センチとほぼ等身大の仏でケヤキの一木造りの平安仏。東博でも紹介していたが、頭上にゆきんこのようなめんこい化仏を乗せているのが特徴的だ。以前からみちのくの仏像に注目してきたが秋田にこのような仏像が祀られているとは知らなかった。いつか機会があれば小沼神社を訪れたいと思った。

2015年4月4日土曜日

世田谷観音寺の不動明王及び八大童子

仏像クラブで先週の土曜日午前中に淨眞寺の九体阿弥陀を拝観し、昼食後
希望者のみで世田谷観音寺のご開帳に立ち会った。渋谷乗換えで三軒茶屋に向かい、世田谷観音寺に向った。初めに観音堂に入ると中央に安土桃山時代の聖観音と南北朝時代の院派の日光・月光菩薩が祀られており、しばらくしたあと簡単な読経が流れた。お寺の方のありがたい法話のあと不動堂に向うよう促された。不動堂のなかに入ると、康円の不動明王と八大童子が祀られていた。お寺の僧が護摩をたき、密教法具を振りかざし、檀家の方がお経を読む厳粛な雰囲気が過ぎると、順番に間近で拝観できた。中央の不動明王と八大童子すべてが運慶の弟子康円作。周りを思い思いの姿をした八大童子が囲んでいる。威厳より親しみやすさを重視し、仏と一体の気分になれるよう表現上の工夫が凝らされたいるあたりに、康円の個性が発揮されている。お寺の方のご配慮でゆっくり鑑賞ができ不動堂をあとにした仏像クラブの面々だった。


2015年3月29日日曜日

淨眞寺の九体阿弥陀

本日(28日)仏像クラブで初めて世田谷の淨眞寺を訪れた。淨眞寺は世田谷の
閑静な住宅街に広大な敷地を有するお寺で、江戸時代の九体阿弥陀如来が有名だ。東急大井町線の九品仏で降りすぐ近くの淨眞寺に向う。広い境内に桜が咲き始めておりその中を本堂へ向う。本堂には像高3メートルの釈迦如来が座しており、本体から光背、荘厳具に至るまで、金箔が残されていた。まさに仏の世界を実感するつくりとなっている。本堂には他にも江戸時代の五劫思惟阿弥陀如来もあり、見るべき仏が多い。三仏堂にはこちらも江戸時代の九体阿弥陀が祀られており、九体それぞれの阿弥陀様がすべて表情が違い楽しめた。私は下品中生の阿弥陀如来のお顔が凛々しくてよかった。U案内人も興奮したらしく、盛んに双眼鏡を片手に夢中で拝観していた。他の会員が購入した案内には「二十五菩薩来迎会」が3年に1回(次回は平成29年5月5日)模様されるとのこと。またその機会に訪ねてみようと仏像クラブの面々で語り合った。