2018年11月23日金曜日
2018年11月17日土曜日
六道珍皇寺の薬師如来
延暦寺で「至宝展」を見た後すぐさま京都に戻り銀閣寺道で下車、白沙村 荘や光雲寺など東山の京都非公開文化財特別公開を見て、朝日新聞にも出ていた六道珍皇寺を見るため清水道で下車、京都らしい商店街を下って六道珍皇寺へ向かった。お寺の入口に「六道の辻」という石碑が立っていた。平安時代、東山山麓は鳥辺野と呼ばれる葬送の地で、六道珍皇寺のあたりは、六道への分かれ道になっていたという。重文の薬師如来は入口近くの小さなお堂にあり、敷居の下から覗き見る拝観の方式となっている。いつもの若い案内人が施無畏印で結跏趺坐しているという説明を一生懸命にしゃべっていて好感がもてた。このお寺の特徴は閻魔大王が祀られていること。夜、閻魔庁に仕えた平安時代の貴族小野篁の像も特別公開されていた。本堂では「熊野観心十界図」という地獄絵の説明を聞いて、小野篁が地獄に通った「冥途通いの井戸」と「黄泉がえりの井戸」を拝観してお寺をあとにした。京都の不思議を体感できるお寺だった。
2018年11月11日日曜日
三十三年に一度の大開帳
京都・近江旅行の最終日の最後のお寺は「日本最大座仏観音秘仏本尊十一面 観世音菩薩三十三年に一度の大開帳」という長いタイトルがついた、いちいの観音櫟野寺だ。櫟野寺は訪れるのは二度目だが、通常の1日の御開帳は近隣の町の人のお祝いだったが、三十三年目は甲賀市のイベントになっている。駅にはポスターが張っており臨時送迎バスもでて、お寺の入り口はお祝いの門が立っていた。薄汚かった仁王門のガラスもきれいになっており、東博の展覧会のおかげで立派な本堂に建て直しされ、中に入ると誇らしげに住職の説教が始まっいた。本堂から収蔵庫は見れない造りになっており、窓からご本尊の顔を仰ぎ見る仕掛けとなっている。今日は御開帳日のためチケットをもぎりしてもらい中に入った。前にも感じたが狭い厨子の中では東博のような大きさを感じることは出来なかったが照明も展覧会のノウハウを取り入れて良くなっていた。これが滋賀県の田舎のお寺と感じさせない宗教空間となっていた。御朱印を頂いて臨時バスで駅に着き、一時間に一本の電車を待って京都に戻り新幹線で帰宅した。
2018年11月10日土曜日
比叡山延暦寺至宝展
今日から京都近江の仏像巡りに来ている。朝、京都に着いたら真っ先に向か ったのは比叡山延暦寺だ。現在延暦寺国宝殿では「延暦寺至宝展」が開催されており、普段非公開や初公開の仏像が目白押しだ。中でも素晴らしかったのが、初公開の平安時代の四天王だ。普段は非公開の法華堂に保管されいるため拝めない仏像だ。持国天・増長天・広目天・多聞天それぞれよかったが、私は「動」の持国天よりか「静」の増長天のほうが断然よかった。力強さの中に穏やかさがあるなど、平安後期の作風がよく表れている。長年秘仏になっていたためか、赤黒い色も新鮮だった。他にも江戸時代だが、六観音の座像がずらりと並んでおり興味深かった。帰りに至宝展のカレンダーを購入して京都の雑踏に向かった。
2018年11月4日日曜日
多摩武蔵野仏像巡り
本日、文化の日「東京都文化財ウィーク」の指定文化財特別公開として東京 昭島市拝島の「普明寺大日堂」と東村山市の正福寺地蔵堂に仏像クラブで出かけた。拝島駅より大日堂に着くと住職の説明が始まっていた。大日堂の創建は平安時代で天正年間に北条氏の重臣石川土佐守によって娘の眼病平癒のため再興されたとのこと。中には定朝式の平安時代後期の大日如来が祀られており、身を浄めて堂内内陣に入った。像高1メートル半の寄木造りでU案内人によると唇に薄く朱が残っていたとのこと。本来は平安時代の釈迦如来と江戸時代の阿弥陀如来が祀られているが京都仏像修理所にて修理中で写真のみの展示だった。寺院関係者によるとこれから大日如来が修理にだされ平成33年まで修理にかかるとのこと。三尊が揃ったら、また見に行きたいとおもった。その後ボランティアの案内で仁王門の鎌倉時代の金剛力士像や天井後や装飾がきれいな日吉神社を巡った。東村山に向かい昼食後2時半からの正福寺地蔵堂開帳に立ち会った。正福寺は文化の日を「地蔵まつり」として多くお寺関係者が境内にあつまり賑やかだった。正面の地蔵堂は鎌倉時代の建築で東京にある唯一の国宝建築とのこと。中に江戸時代の地蔵菩薩と奉納の千体地蔵が祀られていた。今回は盛沢山で大満足な東京都文化財ウィークの仏像鑑賞会となった。また今度計画してお参りしたいと皆で話帰路についた。
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