2013年1月26日土曜日

法隆寺宝物館(止利派の仏N155)

48体仏には法隆寺釈迦三尊を造った止利仏師の工房の製作と思われる仏像が三体ありきわめて貴重である。N155号はその中の一体で、止利工房の優作のひとつ。48体仏の制作年代である飛鳥・白鳳時代に流行の半跏形の菩薩像であるが、右手を頬におく思惟形にはせず、掌を外に向けることが他とは異なる。抑揚のない顔のつくり、「奈良の古寺と仏像展」に展示されていた法隆寺大宝蔵院の菩薩立像でも見られる、三山形式の宝冠、髻を造らないことなどが飛鳥彫刻の特色が見られる。しかし法隆寺の釈迦三尊など止利工房の作例に多いアーモンド形の目とはせず、目尻を上げているのが魅力的だ。照明が保護のため暗くよくわからないが、日本美術全集の写真を見るとすばらしい仏像だ。保護のため照明を暗くするのはしかたがないが、写真を並べて展示したり、ネットで48体仏すべての写真を公開することなど、展示方法に工夫が欲しい。今後東博で検討いただきたいと強く感じてその場を後にした。

2013年1月19日土曜日

法隆寺宝物館(渡来系の仏N143号)

昨年末に購入した日本美術全集:法隆寺と奈良の寺院(小学館)に載っていた仏像で気になっていたのがこの如来及び両脇侍像:N143号だ。日本の仏像にない大陸の風を感じる仏像だ。法隆寺に伝わる小金銅仏は阿弥陀如来の四十八願にもとづいて、江戸出開帳の時に選ばれたもので、その中には渡来系の仏像・止利派の仏像・童子形像・インド風な仏像・半跏思惟像などに大きく分けられる。その内渡来系の仏像は3体が確認されており朝鮮三国時代の貴重な仏像だ。この如来及び両脇侍立像はその代表的なもので典型的な一光三尊像(いっこうさんぞんぞう)である。右手を広げてあげ、左手は人差し指と中指を伸ばす、法隆寺金銅釈迦三尊と同じポーズだ。光背もみごとで唐草の蓮華に化仏を配し、釈迦三尊と同じく火焔が描かれている。両脇侍も両手を胸の前で合わせ衣の下に隠す、日本の仏像にない特色がある。ここまで本尊釈迦三尊と似ていると法隆寺に早い段階で安置されており止利仏師が製作の過程で参考にしたのではないか想像してしまう。閉館の時間も迫っていたので次の仏像を見に移動した。

2013年1月14日月曜日

法隆寺宝物館

本日、東京国立博物館の法隆寺宝物館と本館彫刻の仏像を見に上野まで出かけた。法隆寺宝物館には明治の初めの神仏分離令により財政的に困窮した法隆寺が皇室に献納した48体仏を初め法隆寺の宝物が,上野でいつでもまじかに見れる仏像ファンにはたまらない展覧会場だ。仏像も飛鳥・白鳳時代のものが多く、西の正倉院に匹敵する日本古代美術工芸の一大宝庫だ。平成11年に新たに展示施設が完成し、最新の保存環境とドラマチックの演出の照明が素晴らしい。仏像のある第二室では像高30センチあまりの小金銅仏が、一つ一つガラスケースに納められ、照明をあてる演出がみごとだった。これだけの小金銅仏だけにそれぞれ特徴があり見ていても飽きない。かたや中国・朝鮮伝来の仏像もあり、仏像美術黎明期の止利仏師集団の作品もあった。これらは大きさから考えて個人が朝な夕なに礼拝した念持仏であろう。法隆寺といえば橘三千代を初めとした多くの皇室の女性たちに信仰された寺だ。太子や太子を慕う女性たちが法隆寺に納めたのではないか。法隆寺宝物館の後、東博本館の彫刻のコーナーに向かった。新春特別公開の大黒天や毘沙門天(14日まで)や京都三十三間堂の湛慶(たんけい)作千手観音菩薩立像(第40号)などをみて閉館時間がせまってきたので東博を後にした。

2013年1月4日金曜日

東京国立博物館140周年特集陳列館蔵仏像名品選⑥

昨年のことになるが、東博140周年館蔵仏像名品選で初めて見た仏像がこの文殊菩薩だ。仏師善円の初期の作例で奈良博の十一面観音、米国アジア・ソサエティ地蔵菩薩と作風が似ているといわれている。善円はかの西大寺の愛染明王や「解脱上人貞慶展」で金沢文庫に展示された東大寺指図堂の釈迦如来を作った仏師だ。春日四所明神の本地仏(ほんじぶつ)といわれる5躯一具の3体のうちのひとつである可能性があるという。波打つ衣文線などに宋画から取り入れた表現が見られ、そこには同じく「解脱上人貞慶展」で展示された東大寺中性院の弥勒菩薩像からの系統がうかがうことができるという。この仏像を見て以前ネットで紹介された、箱根・阿弥陀寺の文殊菩薩の写真を思い出した。その文殊菩薩も春日明神の関連する仏像で、その記事には頼朝と慶派の関係に関連して、箱根神社の別当と頼朝・慶派の関係性を指摘していた。私はそれではこの仏像が慶派か善派か解らなくなってしまった。これは箱根阿弥陀寺に出向き文殊菩薩を拝ませていただかなければ解決しないのではないかと感じた。いつか仏像クラブで箱根に出向こうと思う。