2021年9月25日土曜日
2021年9月18日土曜日
特別展「聖徳太子と法隆寺」⑦(法隆寺聖徳太子像【二歳像】)
聖徳太子展ならば欠かせないのが南無太子像と呼ばれる二歳像や孝養像だが、先行で開催された奈良展では聖霊会で10年に一度行われるパレードでお出ましになる聖徳太子七歳像は出展されなかったが、二歳の太子の手の中で発見された仏舎利は出展されていた。第四章「聖徳太子と仏の姿」では三田学芸員の構成で太子信仰発祥の法隆寺東院の太子像も何点か鑑賞することができた。実は2019年から私の中では太子ブームとなっており、きっかけは2021年の太子イヤーの先駆けの展覧会がその年に県立金沢文庫で開催され、翌年元興寺の南無太子像に心奪われ本展の開催を楽しみしていた。この法隆寺太子二歳像は鎌倉時代の作で直線状に切れ上がる眉と鋭い目が印象的な太子像だ。太子が数えで2歳の春に東方を向いて「南無仏」と唱えたという姿だ。上半身は裸で下半身は緋色の長袴を着け、腕前で合掌する通例の姿で表されている。ヒノキの寄木造で割首し玉眼が嵌入されている。張りのある頬や精悍な表情、充実した肉どりの体つきなど南無太子像の優品だ。文芸春秋にもキリリッ度ナンバーワンとの記載があるがまたお気に入りの太子像に出会って満足して次の展示に向かった。
2021年9月11日土曜日
特別展「聖徳太子と法隆寺」⑥(伝法堂阿弥陀三尊)
東博の三田学芸員がNHK日曜美術館や日テレ「ぶらぶら美術館」で聖徳太子と法隆寺展を紹介するときふだんお目にかかれない秘宝や金網越しにしか見られない仏像を間近に見れるまたとない機会といっているが、この普段非公開伝法堂の阿弥陀三尊もこのひとつだ。東京美術の「もっと知りたい法隆寺の仏たち」によると伝法堂の内部は中の間、東の間、西の間にそれぞれ阿弥陀三尊が安置され、前には梵天と帝釈天、如来が4体、地蔵菩薩一体、四隅に四天王が配されたにぎやかなお堂だ。中の間西の間の阿弥陀三尊は脱活乾漆造だがこの東の間阿弥陀三尊は木心乾漆で奈良時代の製作だ。第三章法隆寺東院とその宝物では奈良時代の聖武天皇周辺の女性から太子信仰の拠点東院へ献納された宝物を中心に展示されている。図録解説の執筆者奈良博山口学芸員によると伝法堂は聖武天皇の夫人橘古那可智(橘諸兄の娘か?)の邸宅を仏堂に転用したもので、展示品の阿弥陀三尊が当初より伝法堂にあったとのこと。腕前で説法印を結ぶ阿弥陀如来を中心に腰を内に捻った両脇侍が随侍するが以前は45度内向きに安置されていた。頭部の小さい均整のとれたプロポーションや両脇侍にみるしなやかな身体表現に奈良時代の典型が示されている。隣に展示されていたのは本尊の光背で宝相華文を透かし彫りにし、周辺に火焔上の唐草をあしらった豪華なつくりで奈良時代の光背が残る貴重な展示品だ。伝法堂にはまだま魅力的な仏像が多く展示され奈良大和路カレンダーに掲載された梵天など一度は目にしたいものだ。太子イヤーの今年の公開を願うばかりだ。
2021年9月5日日曜日
特別展「聖徳太子と法隆寺」⑤(法起寺の如来立像)
2010年の秋奈良を旅した際、法起寺を訪問したが、収蔵ケースに仏像がひしめいていたのを思い出した。聖徳太子と法隆寺展に出展された法起寺如来像もその中にあったのかもしれないが、覚えていない。奈良博の山口学芸員のコラムによると平成5年に「わが国最古の弥勒如来」と評価された仏像だ。ただこの仏像にはいわくがあり、今回の展覧会が奈良博で開催されるにあたり、X線CTスキャン調査を行った顛末が書かれている。それは、昭和11年刊行の古写真と面相が違うとされたことだ。それにより同年以降の補作と訂正され仏像は日の目を見る機会がなかったが今回のX線CTスキャン調査で顔と背中は後補だが後頭部から前面の指先まで飛鳥時代の特徴を表し、特に腰帯は法隆寺献納宝物の四十八仏に似たものがあり、衣文の階段状の表現や後頭部で頭髪を左右に分ける表現からも飛鳥時代の製作であることは造形の面からも疑いないとのこと。「わが国最古の弥勒如来」かどうかは異論が分かれるが、類まれな飛鳥時代の如来立像であることは今後注目すべき作品であると結んでいる。昭和になってから後補された事実に驚いたが、法起寺の仏像はまだまだ調査すればなにか出てくるのではないか。今後の調査を待ちたい。
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