2011年4月30日土曜日

癒しの仏(法界寺の阿弥陀如来)

平成21年に紅葉に染まる京都を訪れた。1日目は大原、2日目は山科の寺を回り伏見日野の法界寺にむかった。お目当ては平安時代後期の阿弥陀如来だ。定朝様式阿弥陀でしかも丈六だ。「TV見仏記」ではご住職が堂内の壁画を赤外線をあてて説明されていたが、あいにくご不在とのこと一人静かに阿弥陀堂に入った。堂内は暗かったが、しだいに目が慣れてくると、上品上生(じょうぼんじょうしょう)の印を組んだ阿弥陀様の顔がうかんだ。期待通りの名品でふっくらとした頬とかわいらしい口元でまるで赤ちゃんのお顔のようでとても癒された。豪華な天蓋の下、阿弥陀は光背に飛天を配していた。光背は飛天の衣のみで出来ているこったつくりで、印象としてはさわやかな風を背負っているように見えた。全体の雰囲気は定朝様式でまとまっており、若いころ見た平等院の阿弥陀如来より私は好きだ。飛天は壁画や柱にも描かれており、双眼鏡でじっくり堪能した。ここ法界寺は団体で訪れるような観光客もなく静かに阿弥陀と対峙ししばしの極楽浄土を味わった。大きな仏像の写真が売られていたので購入し秋深まる境内をあとにした。

2011年4月29日金曜日

白洲正子神と仏、自然への祈り展②(神像のような十一面観音)

白洲正子神と仏、自然への祈り展で私が期待していた仏像が、神奈川伊勢原宝城坊の薬師三尊、海住山寺の秘仏十一面観音とこの三重観菩提寺の十一面観音だ。残念ながら伊勢原宝城坊の薬師如来は地震の影響か出展されなかったが、この仏像は三十三年に一度の御開帳が昨年にあたり、そのまま展覧会に出展されることになった。思ったより顔が小さかったが、2メートルある堂々とした観音だ。白洲正子も代表作「十一面観音巡礼」のなかで「***神秘的な印象を受けた。仏像というよりも神像に近い感じだ。」とのべている。私が見入っているとU案内人がぽつりと「くちびるに色が残っている」とつぶやいた。平安仏だがいまでも色が残るのは秘仏だからだろう。ふだんは木津川沿いの古刹観菩提寺の厨子の中にあり、展覧会に出展されなければまずおめにかかれない仏像だ。私は飽くことなくこの十一面観音をながめていた。

2011年4月24日日曜日

白洲正子神と仏、自然への祈り展①(ノーブルな十一面観音)

昨日、暴風雨の中世田谷美術館の「白洲正子神と仏、自然への祈り」展に仏像クラブのメンバーで行ってきた。この展覧会は随筆家白洲正子が後半生を通して出会った仏像・神像や面など120点を一堂に会し白洲正子の紀行文とともに見られるユニークな展覧会だった。私はこの展覧会のために白洲正子の「十一面観音巡礼」を読み込んでいたのでゆかりの仏像や神像を目の当たりにできてとてもよかった。展示構成は「自然信仰」「かみさま」「西国巡礼」「近江山河抄」「かくれ里」「十一面観音巡礼」「明恵」「道」「修行の行者たち」「古面」とエッセイの表題ごとになっている。展示品の横には必ず白洲正子のエッセイの一文が添えられており多くの文章と展示品を鑑賞しながらであったためゆっくりと鑑賞できた。NHK「日曜美術館」でも番組をやっていたので展覧会場の様子がわかっていたのでよかった。特に「十一面観音巡礼」のコーナーではいずれも正子独自の美意識に基づいた観音がところせましと並んでいて圧巻だった。中でも正子個人で所蔵していた平安時代の十一面観音はすばらしくテレビで言っていたが、「ノーブル」(気品があり高貴なさま)であるという言葉がぴったりな作品である。化仏が顔も判別できないほどすりへっており、それがこの仏像になんと言えない「気品」を漂わせている。帰りに二子玉川の高島屋のそばやで昼食をとりながら、白洲正子の愛した仏像について熱く語る仏像クラブの面々だった。

2011年4月16日土曜日

光の中の仏たち(奈良 西大寺)

昨年の7月、奈良国立博物館で「聖地寧波(ニンポー)展」を鑑賞したあと西大寺に向かった。本堂に入るとあたり一面、オレンジ色の光に覆われていた。無数の燈籠が壁のように並び、堂内を光で染めていたのだ。その先に仏像郡がたたずみ穏やかな眼差しを向けていた。正面に釈迦如来像があった。先ほど見てきた清涼寺の釈迦如来の摸刻像だ。私はこちらの仏様の方が日本的な穏やかな顔つきをしており、気に入った。右には鎌倉時代の高僧叡尊三十三回忌のためにつくられた大きな弥勒菩薩がありこちらもすばらしい。「見仏記」でいとうせいこう氏が愛してやまない文殊菩薩があったが、さほどのの感動はなかった。獅子に乗り、四人の眷属を従えた坐像である。右下には善財童子があり、灰谷健次郎の「兎の目」において、童子が美しい子供のイメージで描かれている。本堂を出て四王堂を拝観した。こちらには4メートルをこす平安時代の十一面観音が中央にあり、奈良時代創建の四天王がまつられていた。創建当時の四天王は焼け鎌倉から室町に再興され、下の邪鬼だけが奈良時代から残っている。展覧会の帰りに寄った西大寺は見ごたえがある寺だった。

2011年4月9日土曜日

鎌倉極楽寺の二つの釈迦如来


今日は鎌倉の極楽寺で御開帳があるということで仏像クラブで出かけた。小雨が降るあいにくの天気だったが、お寺につくと御開帳のため受付の準備がされているのでひと安心した。転法輪殿(宝物館)に入ると中央に秘仏の釈迦如来立像、右に釈迦如来坐像と十大弟子像がおかれていた。釈迦如来立像はいわゆる清涼寺式釈迦如来で鎌倉時代の作だという。奈良の国立博物館でみた京都清涼寺の釈迦如来に比べて和風な感じがする仏像だ。右におかれた釈迦如来坐像は鎌倉時代善慶の作と伝える名作だ。お寺の方の説明によると極楽寺の十三重塔の二層目に安置されていたという。印相は説法印で転法輪印とも呼ばれていおり、悟りを開いた釈迦が始めて説法をしたときに、心理を説くことを車輪が回ることにたとえたた姿だ。一方の手は弟子たちにもう一つの手は釈迦自身に向けられている特徴のある印相だ。本堂でも不動明王や文殊菩薩像も今日は間近で拝観できてよかった。会員でお昼にちらし寿司を食べながら極楽寺の仏像について熱く語った。

2011年4月2日土曜日

深大寺の釈迦如来

平成21年の盛夏の7月に仏像クラブで深大寺を訪れた。深大寺のお目当ては、「釈迦如来倚像(いぞう)」という像高わずか60センチの白鳳時代の仏像だ。関東最古の仏像といわれるだけのことはあり、白鳳時代の仏の表情をしており、優美に座すお姿を拝するだけで心が洗われる。椅子に座り静かに微笑む表情がとてもよい。大きな眉が円を描き上瞼(うわまぶた)が弧を造り、小さな口が童子のような表情を示す。同じ白鳳仏では興福寺の仏頭が有名だが、興福寺の仏頭は青年のような凛々しいお顔しているのに対し、深大寺の釈迦如来は幼子のようなあどけない表情だ。指はかけているが、他はほぼ完璧に残っており白鳳仏なのにあまり古さを感じなかった。一説には土の中に埋まったものを掘りだしたといわれている。
苦難の末に、悟りを開いた釈迦は清純な微笑をその顔にたたえるという本に解説されていたが、改めて釈迦の一生について知りたくなった。今年の春に「手塚治虫のブッダ」が映画化され、東京国立博物館でも記念の展覧会が開催される。本作も出展され近くで拝する機会に恵まれるらしい。釈迦の一生を知るいい機会なので足を運んでみようと思った。