2013年12月28日土曜日
2013年12月21日土曜日
室生寺の十一面観音
今回の奈良旅行のハイライトが紅葉に真っ赤に染まる室生寺だ。
室生口大野からバスで室生寺へ向う。紅葉に染まる門前を抜けてまっすぐ金堂に向う。お目当ては彩色がよく残る十一面観音と表情豊かな十二神将だ。本日は秋の特別公開として金堂外陣からの拝観となっており、仏像との距離が近い。金堂に入ると左端に安置されている十一面観音が眼に飛び込んで来た。肉付きがよい豊満な顔立ちというよりか、やや「しもぶくれ」したように見える十一面観音。天衣や条帛の襞(ひだ)を平行線で刻むと、全体に装飾的な傾向がつよく、女性的なやさしさが漂っている。唐草文様の光背も素晴らしく平安時代の初めの製作でありながらよく彩色が残っており、なまめかしい。私はしばらくたたずんで、十一面観音の前を離れることができなかった。
2013年12月14日土曜日
正暦寺の孔雀明王
今回の奈良旅行は11月後半だったため、あらかたの秘宝・秘仏特別開帳は終わっていた.
ここ正暦寺は鎌倉時代の孔雀明王と白鳳時代の薬師如来がご開帳とのこと。紅葉の名所とガイドブックにも書いていたので急遽コースに入れた。近鉄奈良駅から乗り込んだ臨時バスは、予想通り混在していたが、お寺につくとすばらしい紅葉で今日が1番の見ごろだという。清酒発祥の地の石塔を見てまずは孔雀明王がおられる福寿院客殿に向う。須弥檀中央に孔雀明王、脇侍が愛染明王でかためれれていた。孔雀明王は毒蛇を喰らうという孔雀を神格化したほとけで、真言密教では息災や雨ごいのお経の本尊として重要視された。明王は通常恐ろしいお顔をしているが、孔雀明王は例外で慈悲相の菩薩形に表現され、四臂(しひ)で右手に蓮華と法輪を持ち、左手にザクロと孔雀の尾羽を持つ。翼を広げた孔雀の背に乗せた蓮華坐上に座り、大きく丸く広げられた尾羽が光背になる。来年には東京に来る高野山の快慶の孔雀明王が見られる。その快慶作と甲乙つけがたいすばらしい仏像だった。私は借景のすばらしい紅葉の中でたたずみ、穏やかな気分になっていった。
2013年12月7日土曜日
橘寺の如意輪観音
奈良一日目の午後は飛鳥を巡った。鬼の俎板や亀石などを見てから、 田園風景に浮かぶ橘寺に向った。平日で静かな境内を観音堂に向う。橘寺でのお目当ては平安時代後期の如意輪観音だ。雑誌の表紙で見た写真のイメージと違い、その大きさに驚かされた。半丈六(はんじょうろく)より大きく(170センチ)6本の腕を持ち、両足裏を合わせた如意輪観音だ。密教像らしい神秘的な姿ながら、平安時代後期の繊細優美(せんさいゆうび)と形容される定朝様式を示し、抑揚の少ない体つきに丸顔で伏し目がちの穏やかな表情が、拝する人を和ませる。堂内は私一人だけだったので、しばし静かな時間を過ごす事ができた。他の参拝客がこられたので、お堂を出て境内にある謎の石造美術「二面石」を見てから橘寺をあとにした。
2013年11月23日土曜日
当麻寺の広目天
今回の奈良旅行の最後に訪れたのが、当麻寺だ。春の奈良博の展覧会では持国天一体しか出 展されなかったが、今回は四体すべて見ることができた。金銅に輝い弥勒仏の4隅に安置され4体とも2メートルを超える巨像で、東方に持国天、南方に増長天、西方に広目天、北方に多聞天が配される。静かな堂内にピンと張り詰めた空気が流れ、四天王がひっそりとたたずんでいる。Ledの光も押さえぎみなのが良かった。この四天王は法隆寺の次に古く、東大寺の四天王の前に造られたものだ。中でも広目天がよくヒゲをはやして大陸的風貌の顔付きをしている。鎌倉時代の後補の一体を除き、白鳳時代の脱活乾漆像だ。服装も古様で、襟の高い甲(よろい)をつけ、肩に布をかけて正面で結び、袖と裳裾を長く垂らし、静かな表情で直立している。四天王の姿を目に焼き付けて当麻寺を後にした。
2013年11月22日金曜日
1400年前の飛鳥大仏
今日から奈良の仏像めぐりをしている。奈良の紅葉の名所を見てから飛鳥に向かった。飛鳥で私が一番期待していたのが飛鳥大仏だ。推古天皇創建のお寺で飛鳥大仏は創建からずっと同じ場所にあったと言うから驚きだ。飛鳥大仏はそのほとんどが後補だと言われてきたが近頃早稲田大学の発表で像全体の約80パーセントは当初の姿を留めるとのこと。また今年の9月に早稲田大学が発表した内容によると、後補といわれてきた、左脚前部分にX線をあてたところ、火災で焼けた成分が見つかったとのこと。これは驚くべきことだ。いわれてみれば北魏の影響があるアルカイックスマイルや厚い衣など思い当たるふしがある。このことが学会の通説になれば、興福寺の仏頭に次ぐ破損仏での国宝指定も夢じゃない。飛鳥寺の僧侶も1400年前そのままの仏像であることをを誇らしげに語っているのが印象的だった。飛鳥大仏の土鈴を購入して飛鳥寺をあとにした。
2013年11月16日土曜日
リップグロスの観音様
今週の日曜日に東博本館に仏像を見に行った。 一階第11室の彫刻のコナーと第14室の特集陳列「運慶・快慶とその後の彫刻」を拝観するためだ。出かける前に「1089(トーハク)ブログ」をチェックして仏像情報を仕入れてきた。浄瑠璃寺の地蔵菩薩を見たあと、東博所蔵の菩薩立像を拝観した。この仏像は東博でおなじみだか、塗った上に唇の形をかたどった水晶板を貼ったまるでリップグロスのようなつやのある観音様だ。その他に康円がわずか10日で作成した愛染明王などを拝観した。これも1089ブログに記載してあったが、展示の方法を工夫することにより邪気の顔がよく見えるようになった毘沙門天を拝観したあと第14室特集陳列「運慶・快慶とその後の彫刻」を拝観した。おなじみの真如園の大日如来を360度堪能したあと、今回初出展快慶の大日如来などを鑑賞した。いつもより充実して見れてよい東博訪問となった。今回は「1089(トーハク)ブログ」で事前に菩薩立像の情報を入手したので、今後も1089ブログはチェックしてから出かけたいと思った。最後に平成館に置いてある「仏女新聞」を入手して東博をあとにした。
2013年11月9日土曜日
林小路町自治会の弥勒菩薩立像
今年の春、奈良国立博物館で印象に残ったのが、この弥勒菩薩立像(みろくぼさつ りゅうぞう)だ。鎌倉時代の仏像の像高の計り方は、髻の天辺まで数えて3尺(1メートル余)あり、蓮華の台座が二つに割れる踏割蓮華(ふみわりれんげ)に乗っている。踏割蓮華は仏が歩いたところに花が咲くことを表現した台座で、東博の観音菩薩立像も踏割蓮華だ。髪などを除きほぼ全身、快慶が得意とする金泥(きんでい)塗りで、そこからも快慶工房の作風に近いといわれている。着衣部分には繊細な切金文様を施している。この仏像は林小路自治会から奈良博に預託されている仏像で、鎌倉国宝館の十二神将のように人々により大切に守られてきた仏像なのだろうか。来春には休館中の鎌倉国宝館の十二神将が奈良国立博物館で展示される。ふたつの仏像の競演が楽しみだ。
2013年11月3日日曜日
観福寺の懸仏
本日(2日)千葉県佐原にある観福寺に懸仏(かけぼとけ)を見に仏像クラブの面々とでかけた。 佐原の町外れにある観福寺は大きなお寺ですばらしい堂宇がそこかしこにたっている立派なたたずまいをしていた。ご住職に案内され、裏庭にある収蔵庫をあけてもらった。そこにあったのはガラスケースに収まっていた四体の懸仏だった。釈迦如来・十一面観音・阿弥陀如来・地蔵菩薩で写真でみるより大きく感じた。懸仏は香取神宮の神宮寺に元はあり明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)のおり観福寺に流れてきた客仏で重要文化財に指定されている。製作は鎌倉時代後期で元寇あった弘安年間に造られている。異敵調伏のため製作され、鏡板の割りに像が大振りでほぼ完全な丸彫りの形で残されている。特に真ん中の2体が出来栄えがよかった。神仏混交の代表的な仏像で懸仏とは神道の鏡と仏像が一体となったものだ。すばらしい懸仏に一同感動した仏像クラブの面々であった。
2013年10月27日日曜日
康円の愛染明王
昨年の東博特別展示「運慶周辺と康円の仏像」でこの神護寺の愛染明王(あい ぜんみょうおう)を見た。康円は運慶の孫弟子にあたる仏師で、たった10日間でこの仏像を製作したという。台座に墨で書かれているという。像高は40センチと小像だが、驚くべき制作の速さと出来栄えで迫力がある。憤怒の表情や細工の精密さに舌を巻く。愛染明王とは愛欲の力を悟りへと昇華させる仏で、庶民から恋愛成就の仏様として信仰があつい仏像だ。恋愛成就というと西洋のキューピットを思い浮かべるが、姿かたちはまったく違うものの、両方とも弓矢を持っているのが興味深い。以前山梨で天弓愛染明王という天に向って矢をつがえる仏像を見たが、この作品は6本の手に弓と矢、仏具や花を持ち実にバランスがよい。今年は本館彫刻のコーナーに展示されているので、スポットライトと蛍光灯の微妙なライティングで光る愛染明王を期待している。
2013年10月20日日曜日
室生寺の未神
奈良国立博物館には多くの「寄託品」(よたくひん)と呼ばれるお寺から預かった 仏像がある。昔は興福寺の阿修羅や法隆寺の百済観音などが預けられていたが、お寺の展示施設が充実するとともに、減ってきているとのこと。そのなかでもまだ奈良国で見れるのが、この室生寺の十二神将のうち2体の未神と辰神だ。室生寺の十二神将をこよなく愛したのが、写真家の土門拳だ。土門拳はおのおの特徴をつかんでニックネームをつけていたとのこと。この未神は「はてな」とつけたそうだ。奈良国の図録によるとそれぞれ干支を頭に乗せている十二神将だが、この大将たちは顔まで干支の動物に似せてあるとのこと。この秋室生寺を訪れる予定だが、大将のそれぞれの特徴と顔に注目して拝観したいと思う。
2013年10月14日月曜日
特別展東大寺
本日、県立金沢文庫で開催されている「東大寺展」に出かけた。パンフレットに は運慶作の国宝「重源上人像」(ちょうげんしょうにんぞう)が表紙を飾っており、散歩がてら金沢文庫まで足を運んだ。1階で運慶の「大威徳明王」(だいいとくみょうおう)を見てから、2階の特別展会場に向かった。まず眼に飛び込んできたのが、運慶の「重源上人像」だ。平家の焼き討ちにより消失した東大寺を、鎌倉時代に再建した高僧が重源上人だ。亡くなってまもなく製作された上人像で、リアルを超えたリアリズムを追求する運慶らしい作品だ。像は背をまるめてうずくまるように座り、それでもぐいと首をあげて正面を見据え、両手で数珠を持つ老いさらばえた僧侶の姿だ。山本勉先生によると、運慶は頭と体という二つの単純な塊として大胆にとらえ、その二つを頸部でつないでいるという。他にも東大寺千手堂の邪鬼がえらく踏まれっぷりがよい彩色が残る四天王や試みの大仏、東博の「東大寺大仏展」で見た快慶の切金が美しい地蔵菩薩が展示されており、出展数はすくないが充実した展覧会だった。東大寺のクリアファイルを購入して、夕暮れの称妙寺をそぞろ歩いて家路へと向った。
2013年10月5日土曜日
大善寺の薬師如来
今日仏像クラブで山梨を訪れた。快慶風の三尺阿弥陀がある九品寺で、金が残 る鎌倉時代の仏像に感動し、そこからタクシーで大善寺に向かった。大善寺では5年に一度の「ぶどう薬師」の御開帳が行われており、国宝の本堂の中には大勢の善男善女でごったがえしていた。順番に並んでぶどう薬師の参拝が行われていた。薬師如来と厨子の外に祀られている、日光・月光菩薩は平安時代前期の作。薬師如来の左手には薬壷がなく、伝承どおりぶどうを手にしてお厨子のなかにおられた。両脇には鎌倉時代の像高2メートル50の日光・月光菩薩と十二神将が控えていた。日光・月光は平成23年度に保存修理がされ、面目を一新した。特に月光菩薩がよく、下から見上げる。十二神将も鎌倉時代の作で、それぞれ一メートル40前後の甲冑に身を固める武将の姿で表されている。鎌倉時代の十二神将の特徴である十二支をそれぞれ頭にのせ、憤怒の形相をしてこちらを睨みつけているが、どこかユーモラスで、興福寺の十二神将よりどこか素朴な感じの仏像だ。仏像クラブの面々おおいに感動し、遅めの昼食をとった「ぶどうの丘」でワインを片手に盛り上がった。
2013年9月28日土曜日
康弁の龍燈鬼
興福寺国宝館は慶派仏師の作品の宝庫だが、なかでもユーモラスなのが、運 慶の三男康弁が造った龍燈鬼だろう。胎内より康弁作との書付がでた仏像だ。みうらじゅん氏によると、四天王に踏まれていた邪鬼が、「ソロデビュー」したのがこの天燈鬼・龍燈鬼だそうだ。龍燈鬼は頭上の灯籠をのせ、上目づかいにそれを見る表情がなんともユーモラスだ。のこぎり状の眉は銅版を切ったもの、眼はもちろん牙も水晶製だ。あごにはひげを生やした穴があるという。康弁にはこの像の他に現存する作品は知られない。若くして早世したのか、慶派を放逐されたかはわからないが、彼の作品をもっと見たかった。いずこの寺にひっそりと残されている彼の作品が発見される日を夢見て阿修羅の待つ八部衆のコーナーに進んだ。
2013年9月21日土曜日
厨子入り木造弥勒菩薩半跏像
今回の仏頭展で第一会場の最初の展示がこの「厨子入り木造弥勒菩薩半跏像 」だ。会場ではスペースの関係か仏像が前、厨子が後ろに展示していた。髪を垂髪に結い、中央に宝珠形を透かし彫りにした銅性鍍金の宝冠を戴く。今年の五月に興福寺国宝館に行ったとき気がつかなかったが、すばらしい仏像だ。銅成鍍金で吹玉の垂飾をあしらった華麗な胸飾・瓔珞(ようらく)をつける。あとで図録を見て解ったが、多種多様な截金や彩色文が像全体を埋め尽くしていてみごとだ。慶派の多い興福寺だがこの美しさは院派だろうか。うしろの厨子には無著・世親をはじめとするインドの祖師から四天王・維摩・文殊から三蔵法師までが描かれており、すばらしかった。最初から圧倒されながら次の展示に移動した。
2013年9月14日土曜日
興福寺板彫十二神将
今回の「国宝興福寺仏頭展」では、日本の国宝十二神将四つのうち二組の十二 神将が出展されている。ひとつは慶派が製作した鎌倉時代の東金堂の十二神将。もうひとつがここで紹介する板彫十二神将だ。大きさは1チメートルあまりで、厚さわずか3センチの檜材の板にレリーフされている。十二神将とはもともとインドの神様が仏教に帰依して薬師如来の守護神となったもの。因達羅大将はサンスクリット語でインドラで帝釈天のこと。宮毘羅(くびら)大将は金比羅大権現と日本人になじみの神様が姿を替えたもので、それぞれ見ごたえがある。平安時代後期の興福寺薬師如来は、かの定朝が作成したとの説があり興味がつきない。今回の展覧会では柱にガラスケースをつけて拝観する展示方法がとられていて、かつて台座の周りに貼り付けていた平安時代のご本尊を想像させる仕組みとなっている。平家の焼き打ちの際、はずされて持ち出されたために今に伝えられている。当時のことを想像しながら拝観し、慶派の十二神将が待つ三階にエレベーターで向かった。
2013年9月8日日曜日
国宝興福寺仏頭展
本日(9月7日)上野の芸大美術館で開催されている、国宝興福寺仏頭展に仏 像クラブの面々と出かけた。会場は地下一階と三階に分かれており、地下に向かうとまず出迎えてくれたのが、鎌倉時代につくられた厨子入り木造弥勒菩薩半跏像だ。その後ろに納めれていた厨子も展示されており、絵がみごとだった。奥へ進むと板彫十二神将のコーナーがあり、柱状の展示ケースに収められておりどれもみごとだった。いよいよ第二会場の三階にエレベーターで進むと、そこには山田寺の仏頭と東金堂の十二神将が控えており、すべて露出展示で360度から鑑賞できるようになっている。音声ガイド番外編の仏頭大使1号みうらじゅん氏が語っていたが、東金堂では正面からしかみれず、普段暗く隠れている十二神将があるが、会場では一体一体の仏像が360度堪能できる。バックルや鎧の飾りなどの違いがよく見れてよかった。なかでも、因達羅大将がすばらしく仏像クラブの面々も大絶賛していた。興奮冷めやらぬ会場をあとに帰路についた。
2013年8月31日土曜日
慈光明院の阿弥陀如来
山形最終日温泉宿から山形に戻り、まず向かったのが山形市内の慈光明院だ 。仏壇屋の前に、ご年配のご婦人が待ったいてくださり、庭を過ぎてお堂に入った。そこは土蔵造りの本堂で、聞けば明治のころ先代のご主人が慈恩寺別院より仏像を譲り受け、寺を作ったとのこと。ご婦人も比叡山大学で仏教を学ばれたそうだ。仏像の螺髪(らほつ)は旋毛形(せんもうけい)で、肉髻相(にっけいそう)・白毫相を表し、肉髻珠・白毫は水晶がはめ込まれている。印相は説法印で、カツラまたはホウノキの寄木造だ。脇侍の観音と勢至菩薩もあり、その他の仏像は雑然と並んでいた。じっくりと仏像を拝観しご婦人のお話を聞いた。聞けば後継者問題で悩まれているご様子だった。この仏像もいずれ博物館行きかなどを思いながら、お茶とお菓子を用意していただいたのでいただき、丁重にお礼を言って寺を後にした。
2013年8月24日土曜日
大蔵寺の千手観音
みちのく仏像めぐり最初に訪れたのが、福島市近郊にある大蔵寺にある千手観 音だ。お寺のご住職らしき人が案内してくれており、むかしは観音堂にあった仏像は今、収蔵庫に納められている。像高は4メートルぐらいあり、大きな体に不釣合いな細い腕は江戸時代の後補で、よく残っている。ご案内の男性のお経のような説明が終わり、千手観音をじっくり鑑賞する。頭上に十一の化仏をいただき、多くの破損した仏像に囲まれてたっている。聞けば重要文化財指定のおり京都にてかの「西村公朝」が修理に携わったとのこと。どうりで何の違和感なく綺麗に仕上がっていた。古色の出し方も絶妙だ。まわりの仏像についてもじっくり拝観した。破損仏の中でも帝釈天がよかった。福島には他にも見るべき仏像が多く、さすが徳一僧正が足跡を残した地だなと感心した。次回機会があればゆっくり仏像めぐりをしたいと感じた。
2013年8月21日水曜日
慈恩寺の十二神将
みちのく仏像めぐりのラストを飾るのは寒河江の慈恩寺だ。慈恩寺口のバス 停からかなりの距離を歩き、やっとの思いで慈恩寺山門に着く。本堂の中に入ると参拝客は私一人で係りの女性が案内してくれた。本堂には御前立ちの虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)と左右に二天像・聖徳太子像などがあり、秘仏の弥勒菩薩(みろくぼさつ)はパネルでの展示がなされていた。聞けば来年ご開帳とのこと。私の目的は薬師堂の十二神将なので本堂の拝観を早々に切り上げ薬師堂に向かった。中央に薬師如来。左右に日光月光がならび、本尊の薬師は院派の作。脇侍は山形の素朴な顔つきをした仏像なので土地の仏師の作か。奥に入ってよいとのことで、十二神将を間近に鑑賞した。像高90センチ足らずの仏像だが、それぞれ迫力がある。十二支の順番にコの字型に並んでおり、鎌倉時代のヒノキ寄木造だ。いずれの像も玉眼で、甲冑や衣の表現が興福寺の十二神将と似ているので慶派仏師の作だといわれている。頭にウサギを乗せた摩虎羅(まこら)大将がとくに気に入った。左手を高く上げ右手を下に下ろし拳を力強く力む様がすばらしい。満足するまでゆっく鑑賞し、外へ出た。お寺の方の御好意で7月までやっていた秘仏展のポスターを譲り受け寺を後にした。
2013年8月19日月曜日
吉祥院の千手観音
本日二日目は山形の仏像をめぐった。温泉宿にタクシーを呼んで、一路山形 へ。向かったのは山形市の北のはずれの漆山だ。ここにある吉祥院は出羽一佛と呼ばれる千手観音が祀られている。地方のお寺にしては立派なかまえで池の蓮の花もよく手入れされている。住職に収蔵庫を開けてもらい中に入った。そこにはなんと平安仏7体が祀られいた。狭い厨子の中に手がまったくない千手観音、手がない薬師如来と阿弥陀如来が向かい合った状態で祀られていた。いずれも170センチ以上で、双眼鏡で覗くとふくよかな丸いお顔にホット癒やされた。その他の4体も損傷が激しいが、よく残っている勢至菩薩から名作であったことがうかがえる。仏たちの苦難の歴史を思いながら今一度合掌した。
高蔵寺の阿弥陀如来
本日からみちのくの仏像めぐりをしてる。午前中福島の千手観音を見て、阿武隈急行でのんびり角田に向かう。こちらには奥州藤原氏の三代秀衡夫妻が建てた阿弥陀堂が残る高蔵寺がある。林の中を進むと優美な曲線の屋根の阿弥陀堂が現れた。中に入ってみると丈六の阿弥陀如来がおられた。思った以上に大きい定朝風の阿弥陀如来だ。以前は金色だったようだが、小豆色になり切れ長な目頬の自然な丸み、流麗な衣紋線の流れなどが魅力的だ。わざわざ遠くから見に来て良かった。一人感動しながらもお寺を後にし温泉宿に向かった。
2013年8月17日土曜日
浄土寺の阿弥陀如来立像(裸形像)
なら仏像館で金剛寺の降三世明王の次に出会いを楽しみにしていたのが、 兵庫県浄土寺の「阿弥陀如来立像」(裸形像)だ。平成22年に浄土寺を訪れた際、快慶の阿弥陀三尊像に感動したが、この裸形像も快慶作とのこと。切れ長の眼の形づくる理知的な風貌(ふうぼう)や、みずみずしい張りのある肉身表現に、快慶の作風が顕著(けんちょ)に示されている。金というより、独特な黄色を感じさせる鎌倉時代作。像高は200センチを超えるものの、どこか誕生仏を思わせる上半身裸体の仏像である。現在はなら仏像館に預託されているが、西日があたるこの阿弥陀如来が光輝く様を想像しながら、拝観した。
2013年8月10日土曜日
興福寺の帝釈天
興福寺国宝館には阿修羅や仏頭のような有名な仏像ばかりではない。今回
見たこの慶派の帝釈天も傑作といえよう。東金堂に安置されていたと伝わるこの帝釈天は細身で動きが少なく、衣文も浅い点から、従来慶派とは異なる仏師による作と考えられてきたが、特に帝釈天の意志を感じさせる表情は慶派だろう。運慶の嫡子湛慶(たんけい)がこの仏像を参考にして、京都・三十三間堂の帝釈天を製作したと伝えられている。運慶の兄弟子定慶あたりの製作だろうか。鎌倉時代の興福寺は慶派の仏師集団が技を競い合った場所になっていただろうか。この秋、東金堂の十二神将が興福寺仏頭と一同に会する「国宝興福寺仏頭展」が上野の芸大美術館で開催される。慶派の競演が見られるいい機会なので、今から楽しみにしている。
2013年8月3日土曜日
三蔵法師の十一面観音
今週の日曜日今年リニューアルオープンした東京国立博物館東洋館に出か けた。新装された東洋館の地下には「ミュージアムシアター」が併設されており、特別展や展示品をより深く知るための、バーチャルリアルティなVR作品が上映されている。今回の上映作品は奈良県多武峯(とうのみね)に伝わる十一面観音を「三蔵法師の十一面観音」と題してデジタルアーカイブをVR技術で可視化した映像が映し出される作品だった。入り口で入場券とシアター鑑賞券のセット券を購入して東洋館に向かった。まずは仏像発祥の地「ガンダーラ」の仏像が展示されている2階に向かった。2世紀のクシャ-ン朝時代の如来立像で、螺髪(らほつ)の原型のヘアースタイルを見たり、西域のベゼクリク千仏堂の「衆人奏楽図」(しゅうじんそうがくず)に感動しながら、1Fの中国の仏像コーナーに向かった。そこにお目当ての「三蔵法師の十一面観音」の現物が展示されていた。像高42センチで思った以上に小さい仏像だった。典型的な壇像(だんぞう)で、彫刻も細かかったが現物ではわかりにくかった。VR作品に期待が膨らむ。会場に着席するた「ナビゲーター」の男性が映像を写しながら語り始めた。三蔵法師は多くの経典をインドから持ち帰ったこと。その中には仏像の造像法があり、この観音がそれに基づいて製作されたこと。三蔵法師やその弟子に仏教を学びに行った藤原鎌足の子「定恵(じょうえ)」や日本僧がいたこと。彼らの持ち帰った経典から薬師寺の薬師三尊やその他の仏像に影響を与えたことなどがテンポよく語られていった。ひとつの展示作品より深く知ることができて、大満足な上映会だった。
2013年7月27日土曜日
中禅寺の立木観音
先週土曜日都会の猛暑を逃れて仏像クラブで日光にでかけた。竜頭滝で涼 を楽しみ中禅寺湖畔をハキングして中禅寺に到着。僧に導かれ立木観音堂に向かう。中に入って驚いた。5メートルほどする立木観音が現れた。桂の立木に彫ったことから「立木観音」と通称される巨像だ。観音は典型的な十一面千手観音(じゅういちめんせんじゅかんのん)で手に多くの持物をもち中央で蓮の花を二本持ち、合掌しているのが実にバランスがよい。「立木観音」は平安時代の作で日光最古の仏像だ。中禅寺は輪王寺(りんのうじ)の別院で大きな寺だ。五大堂・鐘楼・仁王門などの堂塔が立ち並ぶ。参拝を終え、日光名産のゆばをいただき、日光レークサイドホテルの温泉日帰り入浴を楽しんだ。仏像クラブの面々も大満足な仏像鑑賞会であった。
2013年7月14日日曜日
弥勒寺弥勒仏坐像
奈良国立博物館では、金剛寺の降三世明王以外にも特別公開された仏像 がある。それがこの弥勒寺(みろくじ)弥勒仏坐像だ。平成21年奈良教育委員会による調査で、見出された仏像だ。昨年一気に重要文化財までスピード出世し開催された新指定重要文化財展が上野の東博で開催されたおり展示されたようだが、見逃してしまった。やっとここ奈良博でのご対面となった。像高1メートル50センチの大きな仏像で、いわゆる半丈六(はんじょうろく)だ。羅髪が青紫色なのは後世の補色なのか。一木彫像で、太い造りであるが彫口は穏やかで、表情もやさしい。印相は施無畏・与願印(せむいよがんいん)で左手に宝塔を持つ。「なら仏像館」図録によると「重量感のある造形だが、ロープ上の衣紋(えもん)を整然と配する形式や、小さめな目鼻を顔の中央に寄せて表す点、足首を膝頭より奥にぐっと引くところなど、平安時代中期の作風が顕著である。」とのこと。私の好きな新薬師寺の薬師如来に続く秀作だ。大きな仏像に圧倒されいつまでも見入っていた。
2013年7月7日日曜日
東大寺不空羂索観音菩薩
奈良へ出掛ける数日前、東大寺法華堂の一般公開が3年ぶりに開始され、 その仏像修復の様子を伝えるテレビ番組を見た。明治以来の修復で、仏像も綺麗に修復された画像に目を見張った。当初予定していないかった法華堂に興福寺拝観を終えて向かった。平成20年に修復前の法華堂に行って感動したが、その時おられた不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのんぼさつ)の脇侍の日光・月光菩薩は保存のため東大寺ミュージアムに移っていたので、堂内の印象では仏像と仏像のあいだに隙間があると言われていたが、さほど気にならなっかた。ほこりが落ち輝きを増した不空羂索観音菩薩は三目八臂(さんもくはっぴ)でひたいにある目は真実を見抜く目だろうか。特異な造形ながら不自然さを感じさせない。今回の修復で、基壇のあとから8体の仏像がかつて乗っていたことが解った。秘仏の「執金剛神像」と「日光・月光菩薩」そして戒壇堂の「四天王」だ。今回はかつての光景を想像しながら鑑賞した。法華堂には他に見るべき仏像が多い。天平の鳳凰の彩色がほどこされた梵天。イラン人の風貌を持つ金剛力士阿形は逆毛だった怒髪も補修されてきれいになっていた。LEDが入っていないので、うす暗いお堂の中を目をこらしてリニューアルした法華堂の諸像に酔いしれて、東大寺をあとにした。
2013年6月22日土曜日
光の仏
興福寺国宝館を拝観したあと、南円堂創建1200年記念南円堂・北円堂同 時開帳が6月2日までだったので、南円堂に向かった。一度南円堂の不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)は拝観しているので、山本勉先生が運慶作を唱える四天王を中心に拝観した。南円堂を出て北円堂に向かった。ここは運慶の最高傑作である弥勒如来(みろくにょらい)や無著・世親像が祀られているところだ。北円堂の入り口からなかを覗くと、なんと弥勒如来が輝いているではないか。近頃お堂の内部照明にLEDを採用したとのこと。ここまで違うのかと感動した。創建は光明皇后の父藤原不比等だが、鎌倉時代に運慶により再興され、無著・世親像が加えられた。やはりここにも解脱上人貞慶(じょうけい)の影響力が感じられるのではないか。堂内には多くの人がつめかけており、運慶一門の最高傑作に見入っていた。立ち去りがたい思い出堂内を後にした。これから多くの寺で照明にLEDが採用されるたびに一度見た仏像が違った印象で見れることに期待している。
2013年6月15日土曜日
山田寺の仏頭に再会する
奈良国立博物館の後、昼食をすませて興福寺に向かった。まず最初に向か ったのがリニューアルした興福寺国宝館だ。以前奈良を訪れたときも入ったが、その後「国宝阿修羅展」を機に館内の照明や展示方法をリニューアルし、生まれ変わった。館内に入るとまず探したのが、あの山田寺の仏頭だ。白鳳時代の青年貴族の面影が漂う名品だ。国宝館では露出展示されており、劇的な照明に映し出されて、輝いて見えた。山田寺は大化の改新の功績があった蘇我倉山田石川麿の創建と伝えられる寺だった。しかし蘇我倉山田石川麿が暗殺されたため、その後寺は荒廃し、鎌倉時代に興福寺の僧たちにより盗まれた薬師如来が日光・月光菩薩とともに興福寺に移されたいわくありげな仏像だ。その後火災で焼失した際、奇跡的に頭部だけが残り、昭和12年に発見されるまで500年もの永きにわたって忘れ去られた存在だった。女帝の思い・寺院勢力による強奪や火災など数多の苦難がその顔に刻み込まれており、それでもなお遠くを見据え続ける凛(りん)とした表情は多くの仏像ファンを虜にする白鳳時代の逸品だ。この秋東京芸大美術館で「興福寺仏頭展」が開催され、東金堂の十二神将と一緒に上野で会えることになっている。みうらじゅん氏やいとうせいこう氏が仏頭大使に任命されキャンペーン展開中だ。上野で十二神将に囲まれた仏頭を今から楽しみにしている。
2013年6月8日土曜日
金剛寺の降三世明王
特別展「當麻寺」のあと、地下道のミュウジアムショップで図録を購入した あと、「なら仏像館」に向かった。「なら仏像館」は奈良博の旧本館を一部改装してリニューアルした施設で奈良の各寺院からの奇託品の仏像が多く展示されている美術館だ。私が注目したのが特別公開されている南河内金剛寺の降三世明王だ。お寺では、大日如来・不動明王とともに三尊形式で、祀られている。最近不動明王から快慶の弟子「行快」が作者であることが判明している。通常は多面多緋(ためんたひ)で表されているが、金剛寺降三世明王は二眼二匪だ。第三室に入ると降三世明王がライトに照らされて、目の前に現れた。すばらしいの一言に尽きる。左手は拳を結び、右手は五鈷杵を持つ。きりりとした眉が印象的だ。私はしばらく見入ってその場を動けなっかた。午後の拝観もあるので、昼食をとりに奈良博をあとにした。
2013年6月1日土曜日
當麻寺の持国天
今日仏像クラブで奈良国立博物館で開催の當麻寺展と南円堂北円堂同時開帳で沸く興福寺、三年ぶりに拝観が再開した東大寺法華堂を見に奈良へ出かけた。午前中は奈良国立博物館で當麻寺展を鑑賞した。入るとすぐ目の前に白鳳時代の當麻寺四天王持国天が迫って来た。像高ニメートルはゆうに超える飛鳥時代後期の脱活乾漆像だ。図録によると、明治時代に大幅な修理が施され、その前の状態は惨憺(さんたん)たる状態であったというのが信じられないくらいすばらしい。一体でもこの迫力だから四天王が揃ったらどうなるのだろう。當麻寺はこの展覧会を期に本堂内にLEDを導入したらしい。當麻寺に行く機会があったら、光り輝く仏像郡を見に行きたいと思った。展覧会を見終え、同じ敷地内にある「なら仏像館」の入場券もチッケットについていたので、そちらに向かった。
2013年5月26日日曜日
伊豆下田で丈六の阿弥陀如来に出会う。
本日(25日)は仏像クラブの面々と伊豆の下田と河津の仏像めぐりを行った 。天気は快晴で初夏にしては涼しく爽やかな風が吹き、仏像めぐりにはもってこいの一日だった。下田に朝集合して駅前の稲田寺(とうでんじ)に向かった。ここには平安後期の丈六の阿弥陀坐像(約二メートル)がのこされており、本堂のお参りをすませ、いつでも拝観できる阿弥陀堂に向かった。扉を開けたとたん丈六の阿弥陀坐像が見え、一堂感嘆の声を上げた。宇治平等院の阿弥陀如来に匹敵する大きさで、伊豆最大の古代仏と言われている。温和な丸顔と浅く優美な衣のひだは、平安後期の特徴。脇侍(きょうじ)の観音・勢至菩薩は後補ながらユーモアのある顔つきが魅力的だ。その後河津に戻り昼食をすませた後、「ならんだの里河津平安の仏像展示館」によった。拝観後、昨年行った温泉に入り一同大満足な伊豆仏像めぐりの旅だった。
2013年5月18日土曜日
願成就院の不動明王
大神社展を拝観したあと、このたび新たに国宝・重要文化財に指定された 仏像を見に東博の本館に向かった。今年国宝に指定を受けた仏像は、快慶の文殊菩薩(もんじゅぼさつ)と眷属・願成就院の運慶阿弥陀如来・毘沙門天・不動明王及び脇侍像だ。残念ながら快慶の文殊菩薩はパネル展示だが、願成就院の仏像のうち不動明王・矜羯羅童子(こんからどうじ)制吨迦童子(せいたかどうじ)は出品される。東博本館の2階にあがり運慶仏と対面した。運慶が東国武士のイメージで作成した不動明王は力強くすばらしかった。フィギアースケートの真央ちゃんに似た矜羯羅童子・今にも走り出しそうな制吨迦童子も健在で、お寺で拝観するより明るい照明で近くでみれてよかった。よほど慌てたのか不動明王の光背をつけずに置いてあった。運慶の空間を巧みに使った演出は相変わらずで、空間にドラマを造りだしていた。最後に運慶仏をじっくり見て東博をあとにした。
2013年5月11日土曜日
醍醐寺の聖観音菩薩立像
国宝大神社展の神像の興奮冷めやらぬまま、本館彫刻室の仏像を見に行 った。お目当ては京都醍醐寺の聖観音菩薩立像だ。醍醐寺創建以前から伝わっているこの像は、神護寺の薬師如来に代表する、この当時はやった壇像(だんぞう)形式で作成されている。かの鑑真(がんじん)が当時はやっていた白檀の代用品として、「仏像はかやの木でつくるべき」といったという。壇像の雰囲気を出すために、表面を淡紅色で彩色している。像高は50センチと小像だが一木造りだが、すばらしい仏像だ。本体と両腕から垂れる天衣の表現がすばらしく、平安時代前期の特徴が表れた仏像だ。私は夢中でカメラのシャッターをきった。
2013年5月5日日曜日
大神社展で出会った神像
先月の仏像半島展鑑賞の折、U案内人と「千葉の神像もみたい」と話していた が、丁度いいタイミングでNHK Eテレの「日曜美術館」で東博開催の「国宝大神社展」の特集がやっていたので視聴した。ゲストの雅楽士東儀秀樹氏や司会の井浦新氏が好きな神像を選ぶコーナーがあり、ひきつけられた。早速私もその神像に会いたくなり、本日「国宝大神社展」に出かけた。古神宝や平家納経も素晴らしかったが、第二会場に「神々の姿」と題し神像が集められていた。この会場で1番素晴らしかったのが、東儀秀樹氏お気に入りの京都にある松尾大社(まつのおたいしゃ)の女神坐像だった。以前この女神坐像には白洲正子展にてお会いしたことはあるが、今回は男神坐像二体と合わせて三神坐像セットでの展示だった。男神坐像も女神像に劣らぬ迫力がある神像で、東博で購入した「すぐわかる日本の神像」によると「松尾の猛神」と崇められた猛々しい姿だ。製作は貞観年代で神護寺の薬師如来に通じるような霊的な威厳に満ち溢れている。松尾大社には神像専門展示施設である「神像館」なるものがあるという。やはり神像も京都なのか大将軍八神社にも神像が80体あるという。この二つの神社は京都を訪れた際拝観しようと思った。会場にはみうらじゅん氏推薦の福井八坂神社の十一面女神坐像も展示されており、2時間じっくりと鑑賞して東博の本館で展示されている新指定国宝・重文展の運慶仏を見に会場をあとにした。
2013年5月4日土曜日
古都鎌倉で青蓮寺十一面観音菩薩に出会う
本日(3日)、鎌倉国宝館で開催されている、「特別展鎌倉の至宝」を見に出 かけた。鎌倉はGW後半の人ごみでごった返していたが、館内はさほどではなかった。特別展と同時開催されている「鎌倉の仏像」から見ていったが、久しぶりに見る辻薬師堂の十二神将や、甲冑に身を固めた仏教界一の俊足ボーイ韋駄天、運慶の影響バリバリの十王像の傑作初江王は健在だった。今回のお目当ては、後半に展示されている青蓮寺の十一面観音だ。鎌倉時代に造られた仏像だが、特徴は観音に珍しい四本の腕を有している。十一面観音の化仏はあえてきちんと整列しておらず、雑然と頭の上に乗っけてある雰囲気だ。全体的には鎌倉時代後期にはやった宋風の影響があると見た。水鋲を持つ手以外は何を持っていたかは、わからず想像するだけだが、写実性と装飾性をそなえた鎌倉時代後期の優品だ。帰りに辻薬師堂の十二神将と本尊の絵葉書を購入し鎌倉を後にして帰路についた。
2013年5月1日水曜日
「仏像半島ー房総の美しき仏たちー」展③
今回の展覧会では多くの門外不出の仏像が出展されている。ここに紹介す る龍角寺の薬師如来もそのひとつでお寺を出た記録がない仏像だ。顔のみが白鳳で胴体は元禄に修復されたとのこと。興福寺の仏頭・深大寺の釈迦如来と並び称される名品である。関東に伝わる数少ない大型の古代金銅仏の優品である。展示会場の1番初めにあり、仏像半島の始まりを告げる記念碑的な仏像だ。面長で釣り目気味なきりっとした顔だちで、深大寺より山田寺の仏頭に近い表情をしている。くしくも今年は東京芸大美術館で「国宝興福寺仏頭展」の開催が予定されており、会場には深大寺の釈迦如来像も出展される。できれば、興福寺・深大寺・龍角寺の三体が並んで展示されればよかったのではないだろうか。図録の写真はお寺にあったときのだが、展示会場には光背なし展示されているのが残念だ。ご住職の英断ですばらしい仏像に出会えたことに感謝したい。
2013年4月29日月曜日
県立金沢文庫で天平仏と出会う
本日(28日)県立金沢文庫に出かけて。昨晩サイトをチェクして金沢文庫の 特別展「瀬戸神社」の紹介ページを見ていたら、「天平脱活乾漆菩薩坐像特別公開」の記載があり、急遽でかけた。以前金沢八景の龍華寺から発見された天平仏の記事は読んでから、どうしてもひと目会いたいと思っていた仏像だ。関東唯一の天平仏を近くで見られるまたとないチャンスだと思い、心躍らせて県立金沢文庫へ向かった。展示ガイドが始まるまでじっくりと一階に展示されている菩薩坐像と対面した。像高は90センチ余だが、お顔は阿修羅や五部浄を思わせる童子形で、胸の瓔珞(ようらく)の金が鮮やかですばらしい。手の表現も見事で、水瓶(すいびょう)はないが指が細く繊細だ。右足のみ下げる半跏のポーズも素晴らしい。実際発見されたのは頭部から腰・右脛部・左足先のみとのこと。修復され部分が多いとは言え素晴らしい出来ばえだ。江戸時代に兵庫から龍華寺に入ったという。奈良にしかない天平仏を近くで見られる喜びを噛み締めながらいつまでも、見入っていた。
2013年4月27日土曜日
「仏像半島ー房総の美しき仏たちー」展②
会場で2番目に展示されているのが南房総にある古刹小松寺の薬師如来だ 。今回の展覧会の特徴である立体的な展示方法である薬師如来を十二神将がずらっと取り囲んでいた。開催以前にWEBでも注目されていた秘仏だ。そのお顔を見て驚いた。神像とも見まごうような厳しい厳かな雰囲気を漂わせている。切れ長な目、唐招提寺伝薬師如来像に見られる胴部のY字型衣文から平安時代初期か奈良時代末期の作ではないかとのこと。材質はかやの一木造りで、鑑真来日以降に作られた仏像だろう。その薄さも特徴で、正面からは堂々と見える体躯も横になると異常に薄く10数センチしかない。首を前に突き出した奇妙な姿勢とともに一種恐ろしげな印象する与える。千葉の仏像の奥深さを垣間見せた仏像だ。私は圧倒されながら立ち尽くした。
2013年4月20日土曜日
「仏像半島-房総の美しき仏たちー」展①
本日仏像クラブで千葉に仏像を見に出かけた。午前中は市原市の「橘禅寺 」に参拝し昼食後、千葉市立美術館で開催されている「仏像半島ー房総の美しき仏たちー」展を鑑賞した。この展覧会では千葉の北から南までのお寺が所蔵している飛鳥仏から鎌倉・南北朝時代までの仏像が150体展示されており圧巻だった。展示方法にも工夫が見られ、仏と菩薩、本尊と眷属(けんぞく)の関係を配慮した立体的な展示方法となっており、ポスターにもなっている東明寺(富津市)の薬師如来立像を十二神将が取り囲む展示になり、興味深い。入場券もお寺にある散華(さんげ)をかたどった形になっており、単なる美術品の展示としてだけでなく、信仰の対象としての仏像を意識した主催者側の意図が感じられておもしろかった。仏像も素朴でほほえましい仏像から2メートルを超える迫力ある四天王まで実に多彩であきさせない。季節はずれの寒い日だったが千葉までわざわざ見に行くだけの価値がある仏像展だった。
2013年4月13日土曜日
山田寺から移された化仏のある菩薩
平成20年秋に訪れた奈良興福寺で南円堂特別公開を見た後、向かったの が東金堂だった。東金堂には各時代の仏像が所狭しと安置され拝観することができる。室町時代の本尊薬師如来や平安時代の四天王、鎌倉時代の慶派の十二神将が並んでいる。その中で注目すべきは奈良時代の日光・月光菩薩だろう。そもそもここにある仏像の一部は鎌倉時代に山田寺から移されたものであの有名な「山田寺の仏頭」もそのひとつだ。山田寺とは大化の改新で功績のあった蘇我倉山田石川麿が創建した寺で、鎌倉時代になって廃寺同然に寺から興福寺僧兵により仏像が移された。その際一緒に移されたのがこの日光・月光菩薩だ。少し変わっているのが両像とも頭に化仏のせていること。「興福寺の仏たち」(東京美術)に記載がされていたが、大きい写真がなかったためよくわからなかった。最近買った別冊太陽「仏像」に掲載されており、はじめて化仏を載せた写真が載ってた。たしかに日光・月光の頭上には化仏が載っている。なぞが多い興福寺だった。
2013年4月6日土曜日
特別展「飛騨の円空」⑦
会場でひときわ大きな展示品がこの千光寺の金剛力士立像吽形(うんぎょう )だ。円空が立ち木(自然木)に梯子をかけ掘り出したという言い伝えが残る像高2m強の作品だ。円空は木に宿る仏を見て彫ったといわれるが、まさにこの作品はその典型だろう。会場では一緒に江戸時代に刊行された「近世畸人伝」(きんせいきじんでん)の挿図も一緒に展示されており、立ち木に梯子をかける円空の姿がおさめられている。伝記には「二王を彫る」との記述があり会場を探したが阿形の金剛力士は見つからなかった。後で購入した「美術手帖」では漫画「バカボンド」の作者井上氏が千光寺を訪ねたとき円空寺宝館に展示されている「阿形」の金剛力士の写真が掲載されており、顔が二つに割れ金剛杖を持った金剛力士だった。保存のために東博の展示を控えたようだが、できれば二体並んだ姿を見たかった。この像からは、自然と一体となった円空仏の真髄を見る思いがした。
2013年3月30日土曜日
特別展「飛騨の円空」⑥
円空は奈良に遊学し多くの古典な仏像を学んだと伝えられる。実際に法隆 寺の百済観音を彷彿(ほうふつ)とさせる仏像も彫っており、古典の影響が彼の作風に出ている。しかし円空がすごいのは古典の仏像を彼なりに大胆にデフォルメしたり省略するところだ。愛染明王は西大寺像が有名だが、彼が飛騨に残したこの像は、持物に弓矢ではなく金剛杵と金剛鈴を握っている。獅子冠もどこかユーモラスであり心なごませる。顔も口の端をきゅっとあげていて不適な笑みをうかべているがどこか癒される。心疲れた方は是非会場に足を運んでみることをお勧めする。
2013年3月23日土曜日
特別展「飛騨の円空」⑤
円空は歌人としても知られていて千七百余の和歌を集めた「円空歌集」が残されている。その円空が歌聖としてあがめていたのが、奈良時代の歌人柿本人麿だ。円空は生涯多くの柿本人麿像を彫って自ら寄進したという。荒子観音寺の人麿像には長いひげが彫られているが、この像にはない。この像の何と言ってもいいところは、その微笑である。それは展覧会図録を見てみるとよくわかる。ほとんどの仏像が微笑んでおり、会場全体がやさしい雰囲気につつまれる不思議な空間になっている。幼い頃母親をなくし、つらい目にあったからこそ多くの微笑みの仏像をのこしているのではないか。円空の人柄さえも感じられる展覧会場であった。
2013年3月16日土曜日
特別展飛騨の円空④
以前紹介した如意輪観音に並んで展示されていたのが、この弁財天立像だ。円空の特集を組んでいる「美術手帖」でこの弁財天がある飛騨国分寺のレポートが載っていて、厨子の前で御前立ちのように展示されている写真を見たが、会場でもその存在感は十文発揮している。「バカボンド」の作者井上氏によると、「マンガの表現と近い。省略して図案化しているし、彫られた線にスピード感がある。」とのこと。むしろ私はその表情にグッときた。円空は数多い癒しの表情の仏像を残しているが、この弁財天は1番だと思う。会場でその表情にみとれていつまでも立ち去りがたい気持ちになった。これから「癒しの表情の仏像」を求めて全国の円空仏を訪ねる旅にいつか出ようという衝動にかられた。
2013年3月10日日曜日
快慶様式な阿弥陀如来に出会う
本日仏像クラブで神奈川県大磯に出かけた。他の方のブログに写真が掲載されていた快慶風な阿弥陀如来がある善福寺と慶派の地蔵菩薩がある、慶覚院に向かった。善福寺は大磯の風情ある松並木を過ぎた町はずれにある、趣がある木造の本堂があるお寺だ。ご案内の方より本堂が開いているとのことで、中に入ると目の前にご本尊がおられた。合掌をしてから近くで見てもよいとのことでじっくりと鑑賞できた。像は体の均整もよく、顔だちも張りと若々しさを表したいい仏だ。像高は1メートルでいわゆる三尺阿弥陀立像だ。これは快慶が最も得意とする仏像で、東大寺の快慶作阿弥陀如来が有名だ。ご案内の方から配られた資料には、快慶の弟子の作品ではとの見解であった。善福寺には親鸞聖人像と伝えられる上人像もあり玉眼のみごとな上人像だった。善福寺を出て慶覚院で慶派の地蔵菩薩を見てから平塚で食事をして解散した。このたびの大磯の仏像めぐりはとても心洗われる時間だった。
2013年3月2日土曜日
祝。新指定国宝
今週の水曜日に文化庁のサイトを見たら、新指定の国宝・重要文化財の報道発表が掲載されていた。その発表文を見て驚いた。私が2010年奈良に行ったとき訪ねた安部文殊院の快慶作文殊菩薩及び眷属と仏像クラブで何回も訪問した伊豆願成就院の運慶作薬師如来・毘沙門天・不動明王及び眷属他計3点が国宝指定の答申がなされたとの発表だった。特に願成就院の5体の仏像については、彫刻の部では中部地方初とのこと。誠に喜ぶべきことだ。特に願成就院はU案内人と平成20年に初めておじゃましたとき、お寺の奥様が運慶の仏像が国宝に指定されていないことを残念がっていたことを昨日のことのように思い出される。願成就院のある韮山は堀越公方がいたところで、戦国の混乱期によく仏像を護ってくれたものといまさらながら関心する。本尊はもとは玉眼が入っていたが今はなく、手も一部破損していていたいたしいが、「深く彫られ奔放に乱れてうねる衣文の趣は、平安時代の作品とは隔絶したもの」と山本勉先生も別冊太陽仏像で書いている。例年4月に東博で「新指定国宝・重要文化財展」が開催されるが、今年は快慶や運慶が展示されるのだろうか。吉報をまとう。
2013年2月23日土曜日
特別展飛騨の円空③
東博本館の円空展会場の入り口に展示されているのが、この「賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)坐像」だ。円空の自刻像ともいわれているが、よくみると両肩を覆う布をつけ禅定印を結んでいる。小首をかしげかわいらしく微笑んでいるのが愛らしい。高さは47センチで信者が痛いところや病んでいる所を撫でると治ると信じられているため黒光りしている。伊豆の南禅寺でも賓頭盧尊者を見たが汚れが人々から愛され親しまれている証だろうか。最初から引きこまれる印象的な仏像だ。会場にはフィギアも売っていたが、あまりかわいくないので買わずに会場をあとにした。
2013年2月16日土曜日
特別展飛騨の円空②
特別展「飛騨の円空」を鑑賞するにあたり、数冊の雑誌や本を読んだがその中で気になっていたのがこの「如意輪観音」だ。如意輪観音は通常6臂(ろっぴ)で手に如意宝珠と輪宝を捧げもつが、この如意輪観音は持物が省略され頬に手をぴったりとつけ静かにほほえんでいる。円空得意の簡略した表現だが、十二分に如意輪観音だということがわかる。有名な大阪観心寺の如意輪観音に似た雰囲気をかもし出している。「見仏記」でみうらじゅん氏は「円空仏とは過去の仏教美術を研究した上で生み出されたオリジナル仏だ」とのべているが、もしかしたら大阪観心寺の如意輪観音を円空も見てこの仏像を彫ったのではないか。仏教美術の研究の上に立って突き抜けるほど自由で先進的な造形に心動かされるため、会場では遠くから見ても近くで見ても美しいと感じた。迫力ある表現で解らなかったが、わりあい薄い木に彫られていた。いつまでも見飽きない仏像をながめながら会場を後にした。
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