「横浜の仏像展」は横浜のみほとけを紹介する展覧会だがこの林際寺地蔵菩薩は静岡県河津にあり、その由来については山本館長の講演で詳しく語られていた。南北朝時代に鎌倉で活躍した仏師朝栄により関東管領上杉憲方の寄進により武蔵金沢能仁寺に造営されたと像内墨書に記載されていることが平成30年上原美術館の調査であきらかになった。文化庁の調査により何らかの事情で建長寺塔頭に移されたこの仏像が江戸時代寛文年間に林際寺に移されたことが林際寺過去帳から明らかになったと語られた。この地蔵菩薩は鎌倉から南北朝に流行った法衣垂下像ではないが、図録によると法衣垂下だった痕跡が残っているという。鎌倉幕府滅亡により流出した仏像がまだ他県のお寺にひっそりと祀られているのではないか。発見を期待したい
鎌倉地方様式として山本館長が紹介した遊戯坐(ゆげざ)像としてみほとけちゃんねるで紹介されたのが慶珊寺の十一面観音だ。 山本館長の説明によると鎌倉時代の鎌倉幕府滅亡の前年に院派の院誉によってつくられた像で、もとは十一面観音の化仏がついていたが今は欠落してあとだけが残っているとのこと。左手を地面につけるくつろいだ雰囲気の仏像で京都にはない鎌倉地方独特の宗風(中国風)の仏像だ。製作者がわかる銘文が胎内の文字がスライドで映され興味深かった。建長寺地蔵菩薩の法衣垂下像ととともに鎌倉地方を代表する仏像だ。リラックスしたポーズがとても癒された仏像だった