2015年5月31日日曜日
2015年5月23日土曜日
インドの仏展③仏伝「誕生」
インドの仏展では最初の仏像誕生以前のコーナーの次が「釈迦の生涯」のコー ナーで多くの仏伝図が展示されていた。その中で私が気になったのが、仏伝「誕生」という作品で釈迦生誕の場面を表している。釈迦の母マーヤ夫人の脇の下から生まれたという釈迦が誕生した瞬間が劇的に描かれている。夫人がアショーカの木に手を伸ばすと枝は自然と下がり、そこに手を掛けた瞬間産気づいたという。マーヤ夫人の立ち姿はいわゆる三屈法で、日本の観音菩薩にもよく見られるものでここに原点を見たと感じた。また図録によると本作は仏教以前に崇拝されていた樹神ヤクシニーとの共通性が見出せ、豊穣をつかさどる女神のように、豊かで健康的な体つきをしている。脇の下から生まれた釈迦が、生まれてすぐ立ちあがった様子もまるで四こまマンガのように描かれているのも興味深い。このレリーフにはお馴染みの梵天・帝釈天も描かれており、いつまでも見てていたいが、次の展示室に向った。
2015年5月16日土曜日
九州仏④観世音寺の兜跋毘沙門天
宇佐の仏像を見て、昼食後特急で博多に向かい、西鉄で大宰府の手前の駅で おり、観世音寺に向う。隣の戒檀院の仏像を窓越しに見て、観世音寺の宝物館に向った。観世音寺は若いころ一度訪れているので、今回はじっくり見ようと思った。事前に「福岡の仏像」という本を買い込み、現地で解説を読みながら拝観した。やはり気になっていたのが「兜跋毘沙門天」だ。U案内人が昨年行った「九州仏展」のチラシに大きく取り上げられてており、その造形のすばらしさに虜にになった。観世音寺の巨大仏のなかで、ニメートルとみたない仏像だが、非常に洗練された技術で作られており、彫刻としてだけでも、うなりながら見ざるを得ない迫力がある。平安時代前期の作で、お馴染みの地天女が両手で足元をささえている。見仏記によると「その女性は波の中から上半身を出していた」と書かれていたが、そのようにも見えた。今回の兜跋毘沙門天は今回旅行を思い起こさせた仏像のひとつだ。満足して観世音寺をあとにした。
2015年5月10日日曜日
日向薬師展
本日(9日)仏像クラブで県立金沢文庫に「日向薬師展」を見に行った。本堂の 平成大修理記念として秘仏鉈彫本尊が開帳されているからだ。2011年仏像クラブで行った「白洲正子展」のおり出展されるはずだったご本尊が東日本大震災の影響でとりやめになった。その後仏像クラブで伊勢原の日向薬師を訪れた際も本尊の厨子がしまっており、見れなかった。一階で特別出展の龍華寺の脱活乾漆菩薩像などを見ながら二階にあがった。私は真っ先に本尊の薬師三尊の前に向った。たぶん「仏の瀬谷さん」が執筆したと思われる図録作品解説によると、三尊とも桂の一木造りで、内刳りは施されていない。三尊は一面にノミ目が整然と横縞状に表され、いわゆる「鉈彫」だ。U会員も以前仏像クラブで行った弘明寺やみちのくの仏像展の天台寺聖観音をあげて夢中で食い入るように見ていた。かの白洲正子も「これ以上手を加える必要はない、手を加えれば全体がこわれてしまう、そういうぎりぎりのところまで到達しているように思われる」と日向薬師本尊を見た感想をのべている。それ以外の展示品では慶派の飛天像が残欠ながら迫力がありよかった。日向薬師で見た鎌倉時代の薬師如来か阿弥陀如来の光背の飛天だという。興味を惹かれたのは金沢文庫所蔵ガラス乾板写真で、収蔵庫にうつる前の仏像の写真が展示されていた。仏像クラブの面々も満足したらしく、本堂が来年完成したあとまた日向薬師を再訪しようということになった。充実した展覧会を見てツツジが見ごろな鎌倉のお寺へと向う仏像クラブの面々だった。
2015年5月6日水曜日
インドの仏展②サルナートの仏立像
インドの仏展で最初に出会うのが、このサルナートの仏立像だ。サルナートはブ ッダ(釈迦)が初説法を行った初転法輪の地だが、その姿を描いているのだろうか。右手は施無畏印(せむいいん)、指にある水かきに似た縵網相(まんもうそう)、華麗な植物文様によって装飾された光背は日本の仏像でも馴染み深いもので、インドから一気にアジアを抜けて日本へのつながりを感じさせる仏像だ。おだやかに半分閉じた目の表現やふっくらした唇に惹かれた。深い瞑想の静けさを感じる仏教彫刻は理想的な完成美として東アジア美術に大きな影響を与えたという。奈良薬師寺の薬師如来につながる作品だ。いとうせいこう氏が「シースルー」と呼んだ薄い衣の表現も見事だ。材質は砂岩のため、石彫刻でしか表現できない制約があるがそれを感じさせない見事な彫刻だ。この作品をきっかけに「インドの仏」の世界に導かれる、オープニングにふさわしい作品だった。
2015年5月4日月曜日
かんなみ仏の里美術館で十二神将に再会する
今回(4月21日)の静岡小旅行で午後に訪れたのが、かんなみ仏の里美術館だ。 以前も開館当初、仏像クラブで訪問したが、今回は写真集が発売されるとのことでそれを目的に出かけた。美術館につくとボランティアのガイドがつき丁寧に説明してくれた。十二神将には以前は腕が無くなっていたと思われていたが、その後大量に見つかりほとんどすべてが保存されていることがわかり復元したなどの説明をじっくり聞くことができた。平日閉館間近ということもあり、展示室には私と仏たちだけになった。ここと修禅寺にしか作品を残していない、仏師実慶の阿弥陀三尊や霊験あらたかな薬師如来に囲まれて静かなときをすごした。十二神将の中では因達羅大将(巳像)が凛々しい顔をしており1番気に入った。帰りの山道を歩いていると親切な地元の方が声をかけていただき駅まで送っていただけた。とても充実した一日を過ごせて満足して帰路についた。
2015年5月1日金曜日
国宝醍醐寺の虚空蔵菩薩に再会する
本日(4月30日)、東博に新指定国宝・重要文化財展を見にでかけた。すでにネットにて醍醐寺の虚空蔵菩薩(旧聖観音)と東大寺の試みの大仏と呼ばれる、弥勒仏坐像が国宝に指定されたことを知っていたが、今回東博に指定された作品が展示されている(一部はパネル展示)。上野東京ラインで上野に行き、東博本館の第11室に向う。入ってすぐのところに展示されていたのが、この醍醐寺の虚空蔵菩薩だ。カヤの一木造で平安時代前期の代表的壇像彫刻だ。風をはらんでなびくような天衣の表現がみごとでみとれた。大きな目とほほのふくらみはやんちゃ坊主のようだと井上正氏は「続・古佛」の中で書いている。また「続・古佛」では「本像の手練の技の奥に感じられる奇抜な発想と冴えた造形力は呉道玄(中国唐の画家)の才に帰せらるべきであろう」と述べている。聖観音といわれていた本像が、醍醐寺に伝来した版木に書かれた絵と同じのため虚空蔵菩薩での国宝指定となった。国宝・重文に指定された他の作品を見て、来月から約1年間休館となる法隆寺宝物館に向った。
登録:
投稿 (Atom)