2023年8月27日日曜日

出雲仏像の旅③(仏国寺の仏像郡)


今日(8月26日)で出雲最終日、松江の田舎、美保関町の仏谷寺に向かう。松江からバスでターミナルで降り、コミュニティバスに乗り換え美保関の港に着き、歩いて仏谷寺へ。こちらは案内の女性が説明してくれたが、手の長い出雲様式の仏像であったり薬師如来が他の仏像より材が硬いこと。普賢菩薩が足を前に出し一歩踏み出した珍しい姿勢であることを丁寧に説明頂いた。ありがたく御朱印を頂き、境港行きのタクシーとまちあわせている美保神社に向かった

出雲仏像の旅②(大寺薬師仏像郡)

出雲の旅で最初に訪れたお寺が大寺薬師(萬福寺)だった。四軀の菩薩と四天王が安置され、いずれも重要文化財に指定されている。大寺薬師は無人のお寺さんで、近所の人らしき人に連絡をとり、拝観の約束をとりつけていた。管理人が流したテープによると大寺薬師は推古天皇発願で、行基作とのこと。真偽のほどはわからないがかなり古くからのお寺のようだ。薬師如来は内ぐりがあり背板もあることから平安時代10世紀は降らないだろう。松江にある島根県立博物館で開催された祈りの仏像図録によると、薬師如来四菩薩四天王が作風が似通っているから同時期に同じ仏師が作ったのだろうとのこと。管理人の叔父さん説によると地元の仏師が中央仏師の作風を学び作ったということになるようだがここにも郷土愛が出るのが、面白かった。書き置きの御朱印をいただき。お寺を後にした。

出雲仏像の旅①(上乗寺千手観音)


昨日(8月24日)から出雲に来ている。今日から仏像巡りだ。朝からタクシーで大寺薬師を拝観し駅に着いたので、観光案内所に仏像が見れるお寺はないかと相談したら一番見たかった上乗寺に連絡がつき、許可を得て拝観した。タクシーで15分ほど行くと無人のお寺が見えてきた、住職の話しでは扉が空いているとのこと。開けると正面に鎌倉時代の仏像がいらっしゃった。右脚を上に結跏趺坐する。現地ではよく見えなかったが、髻頂に仏面、地髪部二段十面を戴く。天冠台は紐二条の上に列弁帯。天冠台上正面に立像化仏を置く。頭髪は毛筋彫り。白毫相を表す。鼻孔を穿つ。合掌手・宝鉢手脇手左右各三列、計四十二手。重厚な顔立ちの仏像に魅了された。ゆっくり拝観しお賽銭を出して上乗寺を後にした。こんな形で仏像に出会う感動を胸にして出雲を後にした、

2023年8月20日日曜日

特別展『聖地 南山城』⑤(朱智神社牛頭天王)

 

今回の特別展「聖地 南山城」では9年前の京都展と違い神像に近い仏像や神像も展示されている。私の訪れた神童寺も北吉野の山号を持ち、ここで紹介する朱智神社は山城・河内・大和の三国の境界線の山城国側に位置する。高ケ峰山上に位置する朱智神社に祀られているのが牛頭天王像だ。三面いずれも忿怒の相で炎髪を立て、頭頂には牛頭をあらわし、筒袖衣と大袖衣を着け、右足を少し上げて岩座上に立つ。左手に宝珠をのせ、右手の第二指・第三指を立てて剣印を結ぶが、両手は後補のため当初の手勢は明らかでない。天冠台上の地髪部には、正面の左右に各1両脇面上に各1の枘穴がある。「牛頭天王御縁起」に赤い角を有するとあるのことと関連がいちおう考えられる。牛頭天王はもともと災厄をもたらす疫神だったようだが、社殿を設けてうやうやしくまつることで防疫神に転ずるという信仰があった。三国境界に位置する朱智神社で外部からの邪鬼の侵入を防ぐために本像が祀られたと推察される。私もコロナ禍発生の折には友人から教えられ岡寺に「悪疫悉除祈祷」のお札をいただいたものだがどの時代になっても日本人の根底にある信仰のあらわれだろか。

2023年8月11日金曜日

特別展「聖地南山城」④(常念寺菩薩形像)


 2017年の秋京都非公開文化財特別公開でこの仏像に初めて出会った。常念寺で説明にあたったのは「南山城の会」の方で熱心説明いただいたのを思い出した。国立博物館への出展は今回が初で、2014年の京博「南山城の古寺巡礼」には出展かなわなかった。常念寺のある精華町は奈良県境にある町で文化的には奈良に属している。祝園(ほうぞの)神社の神宮寺にあった神像で、江戸時代には薬師如来として祀られており、図録にはかつての薬壺をもった姿の写真が掲載されていた。奈良博の山口氏によると頭体幹部は両手前膞を含んでケヤキとみられる広葉樹の一材より彫りだし、体部背面に内刳りをほどこした蓋板をあてている。両手先、両足先、両手前膞外側に垂下する天衣遊離部、台座、持物は後補。眉を連ね、唇を突き出した森厳な表情や肩幅の広い堂々たる体つき胸腹の括りを深く彫り込んで充実感を強調する表現には、平安時代初期の特色が顕著で、身体に密着するように薄手にあらわされた着衣や腕前でW字状に絡む天衣に古様が認められる。天冠台や臂釧にみる花形飾りは珍しい。翻羽を交えた衣文の彫が浅く、整理が進んでいることなどから、制作は九世紀後半から十世紀初頭にかけてと推察されると解説している。紙面では語りつせない魅力ある仏像だった。


2023年8月6日日曜日

特別展『聖地 南山城』③(禅定寺十一面観音)

 

2009年発売「見仏記」ゴールデンガイド篇でこの仏像のことを知り、2011年秋に初めてお寺を訪問してから2014年に京博の「南山城の古寺巡礼」そして奈良博の本展で3回の再会となる。いつ見ても同じ印象だが大きいと感じるのは桜の古木を仏像にしたからであろう。見仏記によると「夏休みたっぷり遊んだ少年の肌」を思わせるような童顔の仏像だ。東大寺の高僧が隠棲の地として建立した禅定寺に建立当初から本尊として祀られていた平安前期の作で当初は文殊・虚空蔵菩薩を脇侍としていた記録が残されている。現在は日光・月光の両菩薩と四天王・を従えている。奈良博の山口学芸員によるとサクラとヒノキの二材を混用する点に特色があり両菩薩・四天王・文殊菩薩にも二材が混用され同時期に制作されたと思われる。見仏記がいう濃密な「藤原空間」がほぼそのまま残された稀有なお寺だ。いつか友人を誘って禅定寺の藤原空間に没入したいと思った。