2021年7月31日土曜日

ニコニコ美術館「奈良博三昧」(如意輪観音)

 

昨日ネット番組ニコニコ美術館で奈良国立博物館開催の特別展「奈良博三昧」の番組を視聴した。ニコニコ美術館は博物館所属の学芸員の解説付きで4時間という長時間で展覧会を紹介する番組で、いつも楽しみにしている。今回はコロナ禍でなかなか行けない奈良国立博物館の特別展「奈良博三昧」がやっていた。さすが奈良だけに多くの仏像が紹介されたが、その中で印象に残ったのがこの如意輪観音だ。如意輪観音といえば南河内弾丸ツアーで南大阪の観心寺を訪れたが、学芸員の話によるとそれよりあとの時代の平安時代一木造りの仏像とのこと。学芸員の話でおもしろかったのは江戸時代に丹後の海中より発見されたという伝承を紹介されず、仏像の印象の説明に終始した点だった。顔が大きくつくられどっしりとしているとか一木造りで重そうとか自由な紹介の仕方がこの番組の特徴でおもしろく拝観できた。また図録は通販でも買えるというちゃっかりとした宣伝もよかった。またニコニコ生放送のお馴染みの視聴者からの質問で「なぜ手が六本あるの」というのに多くある方が便利という回答もユニークだった。私も「なら仏像館」でこの仏像を拝観したが、大ぶりの筒形の宝冠や眉のつらなった厳めしい表情にみょうに魅かれた。また奈良博や京博の展覧会の番組があれば視聴したいと思った。

2021年7月24日土曜日

特別展「聖林寺十一面観音」~三輪山信仰のみほとけ④(大国主大神像)

 
会場に大神神社所蔵の大黒天に似た神像が置かれていたが、案内には大国主大神とのこと。出雲の国譲りに登場する大国主だが大神神社とのかかわりは、疫病を蔓延させる恐ろしい神、大物主大神が大国主の国造りを助けるため三輪山に自身を祀らせたという話だ。大国主は大神神社の創建に深くかかわった重要な存在なのである。後世、大国大神を大黒天で姿で表す例が多く、大国と音写が大黒となったとのこと。神像は平安時代に造られた全面古色仕上げで会場では気が付かなかったが唇にわずかに朱色が残る鎌倉時代に多くの作例がある大黒天の先駆けとなる貴重な作例だ。

2021年7月18日日曜日

特別展「聖林寺十一面観音~三輪山信仰のみほとけ」③(大御輪寺日光・月光菩薩)


会場の隅に展示されていたのが、大御輪寺から正暦時に移座された日光・月光菩薩だ。 正暦寺は奈良訪問の際訪れたが、孔雀明王など名仏を多く境内が広いお寺だったが、この仏像を見るのは初めてだった。日光・月光といっても東大寺の日光・月光菩薩のようにとても一対には見えなかったが図録を読んでよくわかった。近年の修理前まで両手先が欠失しており造立当時の尊名は不明。材質・構造技法、作風も異なり本来一具ではなかったとのこと。日光はケヤキ材で月光は檜材。日光は一木造で、内刳りを施し、月光も一木造だが内刳りはない。ただし両像とも、高い宝冠や胸から腹にかけて細かく絞り腰を強くひねる姿勢、量感ある下半身に平安時代前期の様相が見られるとのこと。日光は目鼻立ちが大振りで耳の張り出しも大きいので細面の月光より私は気に入った。やはり十一面観音の素晴らしさにはかなわないのでU案内人と私はまたもどって近くや遠くから眺めて会場をあとにした。

2021年7月10日土曜日

特別展「聖林寺十一面観音~三輪山信仰のみほとけ」②(大御輪寺地蔵菩薩)

 

会場では十一面観音の存在感が他を圧倒しているため目立たないが、大神神社の神宮寺であった大御輪寺で十一面観音の横に不動明王と一緒に祀られていたのがこの地蔵菩薩である。奈良博の山口学芸員によると地蔵菩薩と言うよりも神像として祀られていたのだろう。像高172センチ余りのヒノキの仏像で明治の初めの神仏分離令のおり一度聖林寺に入りその後法隆寺に移され釈迦三尊と背中合わせに祀られていたが、その後法隆寺大宝蔵院に移された仏像だ。一木造りで翻羽式衣文や茶杓型衣文を交えた着衣表現は平安時代の特徴をあらわし、制作は遷都まもない平安時代初期に制作されたのであろう。一木彫像の実在感にあふれ、大ぶりな目鼻立ちは平安時代初期の特徴を表しているとのこと。確かにすばらしい仏像で会場で鑑賞したがまた十一面観音の前に戻ってしまう二人であった。



2021年7月3日土曜日

特別展「聖林寺十一面観音~三輪山信仰のみほとけ」①

 

今週の日曜日、U案内人と東博開催の特別展「聖林寺十一面観音~三輪山信仰のみほとけ」を鑑賞しに出かけた。昨年から事前予約制となった東博だがスムーズに入場することができた。開催場所は東博本館1Fの特別5室、音声ガイドを借りて開催のあいさつをゆっくり聞いていたが、U案内人は中央にある十一面観音のガラスケースに吸い寄せられていた。私もつられて十一面観音の前に立ちガラス越しであるが、わずか数センチの近さで拝観した。私は2010年に聖林寺を訪れて少し離れた展示ケース越しに拝観したが、東博ではみうらじゅんがいう360(さぶろくまる)鑑賞でき、後ろも鑑賞できるようになっている。随筆家白洲正子が奈良に十一面観音を訪ねた際、聖林寺を訪れ「さしこんで来るほのかな光の中に、浮かび出た観音の姿を忘れることが出来ない。それは今この世に生れ出たという感じに、ゆらめきながら現れたのであった。その後何回も見ているのに、あの感動は二度と味わえない。世の中にこんな美しいものがあるのかと、私はただ茫然とみとれていた。」とエッセイ「十一面観音巡礼」に書いている。他の観音にない男性的な感じに白洲正子は引き寄せられたのだろう。雑誌でお孫さんの白洲信哉氏と対談した金沢文庫のほとけの瀬谷さんが「ゆらめきながら現れた」の一文に注目し「十一面観世音神呪経」に十一面観音が出現する時に仏像がゆらぐと書かれていて、それが十一面観音の造形化に影響を与えていると指摘していた。U案内人をみると初めて見た聖林寺十一面観音にいたく感動したらしく会場を出て他の仏像の展示を見ているとき椅子に崩れ落ちるほど感動したらしい。私も東京初公開の十一面観音の展示の素晴らしさに感動し、何度もU案内人と見入ってから会場をあとにした。