2015年8月29日土曜日
2015年8月22日土曜日
美濃の美仏巡り⑤岐阜大仏
下呂温泉の宿で夕食後部屋でくつろいでいたら、テレビの「ぶっちゃけ寺」という 番組で全国の大仏を紹介していた。ちょうど明日行く岐阜大仏のコーナーになり、岐阜大仏が竹や粘土やお経が書かれた美濃紙など岐阜の伝統工芸で作られていることが紹介された。岐阜大仏の近くの飛騨牛を食べさせる店がいっぱいで入れなかったので、先に岐阜大仏を見ることとなった。岐阜大仏は像高14メートル弱で、江戸時代の作の乾漆造の仏像だ。正面から見ると穏やかなお顔をしており、いやされた。預けた御朱印帳を返しに来た御住職に昨日のテレビ番組の話をすると、「テレビでは正面からのお優しいお顔が映らなかった」と残念がっておられた。あらためて携帯のカメラで正面からのお顔を写して、飛騨牛のハンバーグを食べに駅にバスで戻った。
2015年8月15日土曜日
美濃の美仏巡り④長龍寺の韋駄天
美濃の美仏めぐり2日目に向ったのが、美濃太田からローカル線の長良川鉄道 に乗って2時間の距離にある長龍寺だ。すでにお昼になっており、腹ごしらえに道の駅の食堂によった。注文したソールフードの「鶏ちゃん定食」を待っている間、ふと食堂の壁をみるとなにやら仏像の写真がここらの風景写真に並んで掛けてあった。よくみると長龍寺の四天王や石徹白大師堂の虚空蔵菩薩だった。道の駅に「白山文化博物館」が併設されていることを思い出し、拝観前に写真を購入した。長龍寺の宝物は「龍宝殿」に納められており拝観できるとのこと。中は仏堂の雰囲気を守るためか照明が落とされており、その中に華奢な顔が高貴な印象の釈迦三尊や慶派の躍動感ある四天王が展示されていた。少し明るい部屋には今年、重要文化財に指定された「韋駄天」と「善財童子」が展示されていた。今年四月の国宝・文化財展で見逃した仏像だ。中国南宋時代、13世紀製作の仏像でお経とともに中国よりもたらされたと考えられる。韋駄天は彩色が鮮やかに残り、大変美しい作品である。このような片田舎に日中交流史の遺品が残るのに驚かされた。猛暑の中、次の石徹白大師堂に向った。
2015年8月11日火曜日
美濃の美仏巡り③願興寺の釈迦三尊
美濃の美仏巡りの最後は、御嵩町にある願興寺に向かった。女性の住職に本 堂に招かれ、お経をあげてもらい、収蔵庫の仏像の前でも、般若心経を唱えて、やっと仏像拝観の運びとなった。願興寺は平安時代の一条天皇創建の由緒あるお寺で、何度かの火災に見舞われても、そのたびに信者が仏像を守ってくれたとのこと。目の前の二メートルの四天王を見ながら、よく昔の人が人力のみで運び出したと驚かされた。収蔵庫の隅に置かれていたのが、客仏の釈迦三尊で、写真で見るより小ぶりたが、眉目秀麗な鎌倉時代の秀作だ。珍しい印相をしており、鎌倉の極楽寺でもみた転法輪印だ。聞けば西村公朝氏が凄く誉めていた仏像とのこと。九州に続きまたしても、西村氏修復の仏像に、はからずも出会うこととなった。女性住職に丁重にお礼をいいお寺をあとにした。この旅は図らずも、とても充実した仏像拝観になった。みうらじゅん氏の最近出版された「東海美仏散歩」がたいへん役にたった。この本を手に東海の美仏を巡る旅に出てみてはいかがでしょうか。
2015年8月10日月曜日
美濃の美仏巡り②石徹白大師堂の虚空蔵菩薩
本日、美濃の美仏巡り二日目は郡上のお寺をまわった。今日最後に訪れたのは 、福井県に近い石徹白(いとしろ)大師堂だ。無住の寺で地元の管理人に連絡し拝観できることになった。本堂裏手の収蔵庫を開けてもらうとガラスケースの中に金色に輝く虚空蔵菩薩がいらした。平安時代末期の作だが、金胴仏でとても保存状態がよく、宝珠や宝剣、光背や台座まで当初のものが残されているのには驚かされた。発願者は奥州藤原秀衛で、源義経一行を奥州に逃すために家臣を遣わして郡上の石徹白にこの仏像を作らした伝説がある。今日案内してくれた管理人の方はその家臣団の末裔だという。素晴らしい仏像を間近で拝ませて頂いたことに感謝し大師堂をあとに温泉宿に向かった。
2015年8月9日日曜日
美濃の美仏巡り①横蔵寺の大日如来
今日から岐阜県の美仏を巡る旅に出かけている。岐阜に入って真っ先に向かったのが、美濃の正倉院とよばれる、横蔵寺だ。電車とバスを乗り継ぎやっとの思いでたどり着いた。宝物館の中には、大日如来や深沙大将(じんじゃたいしょう)など大小22体の仏像があり苦労して来たかいがあった。中でも平安末期の大日如来が素晴らしく高く結い上げた髻、流れるように表現された衣紋などに、細かな彫りの技が光る写実的な作風が特徴だ。運慶の大日如来も似た作品は筑前講師という謎の仏師の制作とのこと。発願者が平氏であることから謎が深まる。横蔵寺には他にも見るべき仏像が多く快慶作より古い深沙大将や肥後定慶作の金剛力士など見ごたえのある宝物館だった。いつまでもいたかったが、帰りのバスの時間もあるので、足早に横蔵寺をあとにした。明日は義経伝説に彩られた虚空蔵菩薩を見に行く予定だ。
2015年8月8日土曜日
奈良の古寺と仏像展の思い出②
奈良の古寺と仏像展では奈良の多くの寺から仏像が出品されていたが、ここに 取り上げる岡寺の菩薩半跏像もそのひとつだ。わずか像高16.5センチの銅造の仏像のため会場では目だたなかったが、あとで図録などで写真を確認しそのやさしい表情や自然な姿勢、装身具の細部まで見事に表現されているのに驚いた。平成25年に奈良を訪れた際、岡寺の大きな如意輪観音を見たが、その胎内仏で奈良時代の作だが、その愛らしく美しい姿は白鳳仏の影響を確実に受けていると感じた。あらためて見直した秀作だ。
2015年8月1日土曜日
奈良の古寺と仏像展の思い出
平成20年に「薬師寺展」平成21年に「国宝阿修羅展」と立て続けに行った仏像展 だが、平成22年に開催されるいい仏像展は無いかと探していたが、東京日本橋の三井記念美術館で「奈良の古寺と仏像展」が新潟・東京・奈良と巡回して開催されることを知った。その年は今年と同じく猛暑で、暑い中仏像展に出かけたのを覚えている。初めて行った三井記念美術館はかなり豪華な展覧会場で、照明も凝っており、奈良の仏像が「會津八一」のうたと共に展示されていた。最初が法隆寺のコーナーで東京展だけに出品される夢違観音や菩薩立像が展示されていた。ここで紹介する観音菩薩立像は白鳳時代の作で法隆寺金堂の阿弥陀如来の脇侍としてまつられていたというが、像容からして単独像として製作された可能性も指摘されている。二手に分かれた髻、花や葉を様式化した冠、両足まで冠の紐がU字型に垂れ下がる装飾性に富み巧みなデザインになっているところなど、白鳳美術の粋を集めた名品だ。像高が60センチの小像のため見逃しそうな一品だが、今年の七月開催の白鳳展では大きく取り上げられており、改めて見直した仏像のひとつだ。帰りに品川でよったレストランのビールが冷たくおいしかったことを記憶している。
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