2025年7月27日日曜日
2025年7月18日金曜日
令和7年新指定国宝・重文展(法隆寺献納伎楽面)
令和7年新指定国宝の法隆寺献納伎楽面を改めてU案内人達と国宝指定全件を東博法隆寺宝物館に見にいった。残念ながら酔胡従など一部は修復中で見られなかったが、京都の新指定国宝・重文展に出展された力士を始めとした国宝に指定された31面の多くの国宝が鑑賞できてよかった。全体に大づかみな造形で師子児は法隆寺金堂四天王の面貌に通じるが、抑揚のある肉取りには天智朝以降の新しい風を認めることができ、七世紀後半の法隆寺再建期の制作であると考えられるべきであろう。その他の面は筋肉の肉付けが控えめであることから、それより遡る八世紀前半の制作とみられる。伝世品としては最古の伎楽面の一群であり、仮面文化史上においてきわめて重要である。そんな国宝が東博の入場料で見られる法隆寺宝物館はなんて贅沢な空間だと思った。
2025年7月12日土曜日
特集 創建四〇〇年記念寛永寺
猛暑が和らいだ本日U案内人他1名と東京国立博物館に「特集 創建四〇〇年記念寛永寺」を見に行った。寛永寺は江戸城ひいては徳川幕府の護り、天下万民の平安祈願のために寛永二年に創建され、今年で四〇〇年を迎えるにあたり寛永寺およびその付属寺院に伝わる宝物を中心にその歴史と集積された文物を紹介する展覧会が開催された。浅草・上野が地元のU案内人にはおなじみの場所を地図や絵で紹介されているので、解説付きで鑑賞できてよかった。不忍池や清水観音堂、今はなき根本中堂は上野公園の噴水のあたりとの解説に東博と寛永寺の密接なかかわりを感じた。また展示品には鬼瓦もあり角と牙が失われたのは残念だが江戸時代に珍しい伝統的な造形だった。仏像も江戸時代の釈迦如来と鎌倉時代の観音菩薩や江戸時代の四方四仏座像4体が展示されていた。釈迦如来が小さいのは墓の上の宝塔に納めるためつくられたからで、U案内人も小さいながらその出来映えに感心した様子だった。江戸開城御蟄居した徳川慶喜の西洋画まで展示されまさに寛永寺の400年がよくわかる展示だった。今年に国宝に指定された法隆寺伎楽面を見に法隆寺宝物館に向かった。
2025年7月4日金曜日
特別展「超国宝」③(運慶の重源上人座像)
特別展「超国宝」の第一章「南都七大寺」の後半に展示されていたのが東大寺の重源上人座像だ。超国宝展の展示品の特徴はたとえガラスケースに展示された展示でもより見やすい高さに展示されているのが特徴だ。この重源上人座像もいままでよりより身近に感じる展示がせまってきた。東大寺復興を立役者と知られる重源上人だが、亡くなってまもなく、その肖像彫刻が寺に残されたとの伝記があり、それがこの像にあたるものだ。図録では作者は運慶とも快慶とも断定していないが、最晩年の重源の姿をありのまま写した、深くくぼんだ上まぶた、左右の大きな異なる目、たるんだ下まぶた、こけた頬、固くへの字結んだ口、筋と皮だけの頸など、その老いた顔つきの写実は克明だ。又、老いたとはいえ意思が強そうな数珠を持った手は銅像大仏の制作を中国人にまかせる東大寺復興にかける思いを表しており、山本先生も興福寺北円堂の無著・世親にも通じるもので、作者として考えられるのは運慶以外にない。」と著作で記載している。わたしも同意見だ。特別展「超国宝」にいってますます確信した重源像だった。
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