2013年8月31日土曜日
2013年8月24日土曜日
大蔵寺の千手観音
みちのく仏像めぐり最初に訪れたのが、福島市近郊にある大蔵寺にある千手観 音だ。お寺のご住職らしき人が案内してくれており、むかしは観音堂にあった仏像は今、収蔵庫に納められている。像高は4メートルぐらいあり、大きな体に不釣合いな細い腕は江戸時代の後補で、よく残っている。ご案内の男性のお経のような説明が終わり、千手観音をじっくり鑑賞する。頭上に十一の化仏をいただき、多くの破損した仏像に囲まれてたっている。聞けば重要文化財指定のおり京都にてかの「西村公朝」が修理に携わったとのこと。どうりで何の違和感なく綺麗に仕上がっていた。古色の出し方も絶妙だ。まわりの仏像についてもじっくり拝観した。破損仏の中でも帝釈天がよかった。福島には他にも見るべき仏像が多く、さすが徳一僧正が足跡を残した地だなと感心した。次回機会があればゆっくり仏像めぐりをしたいと感じた。
2013年8月21日水曜日
慈恩寺の十二神将
みちのく仏像めぐりのラストを飾るのは寒河江の慈恩寺だ。慈恩寺口のバス 停からかなりの距離を歩き、やっとの思いで慈恩寺山門に着く。本堂の中に入ると参拝客は私一人で係りの女性が案内してくれた。本堂には御前立ちの虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)と左右に二天像・聖徳太子像などがあり、秘仏の弥勒菩薩(みろくぼさつ)はパネルでの展示がなされていた。聞けば来年ご開帳とのこと。私の目的は薬師堂の十二神将なので本堂の拝観を早々に切り上げ薬師堂に向かった。中央に薬師如来。左右に日光月光がならび、本尊の薬師は院派の作。脇侍は山形の素朴な顔つきをした仏像なので土地の仏師の作か。奥に入ってよいとのことで、十二神将を間近に鑑賞した。像高90センチ足らずの仏像だが、それぞれ迫力がある。十二支の順番にコの字型に並んでおり、鎌倉時代のヒノキ寄木造だ。いずれの像も玉眼で、甲冑や衣の表現が興福寺の十二神将と似ているので慶派仏師の作だといわれている。頭にウサギを乗せた摩虎羅(まこら)大将がとくに気に入った。左手を高く上げ右手を下に下ろし拳を力強く力む様がすばらしい。満足するまでゆっく鑑賞し、外へ出た。お寺の方の御好意で7月までやっていた秘仏展のポスターを譲り受け寺を後にした。
2013年8月19日月曜日
吉祥院の千手観音
本日二日目は山形の仏像をめぐった。温泉宿にタクシーを呼んで、一路山形 へ。向かったのは山形市の北のはずれの漆山だ。ここにある吉祥院は出羽一佛と呼ばれる千手観音が祀られている。地方のお寺にしては立派なかまえで池の蓮の花もよく手入れされている。住職に収蔵庫を開けてもらい中に入った。そこにはなんと平安仏7体が祀られいた。狭い厨子の中に手がまったくない千手観音、手がない薬師如来と阿弥陀如来が向かい合った状態で祀られていた。いずれも170センチ以上で、双眼鏡で覗くとふくよかな丸いお顔にホット癒やされた。その他の4体も損傷が激しいが、よく残っている勢至菩薩から名作であったことがうかがえる。仏たちの苦難の歴史を思いながら今一度合掌した。
高蔵寺の阿弥陀如来
本日からみちのくの仏像めぐりをしてる。午前中福島の千手観音を見て、阿武隈急行でのんびり角田に向かう。こちらには奥州藤原氏の三代秀衡夫妻が建てた阿弥陀堂が残る高蔵寺がある。林の中を進むと優美な曲線の屋根の阿弥陀堂が現れた。中に入ってみると丈六の阿弥陀如来がおられた。思った以上に大きい定朝風の阿弥陀如来だ。以前は金色だったようだが、小豆色になり切れ長な目頬の自然な丸み、流麗な衣紋線の流れなどが魅力的だ。わざわざ遠くから見に来て良かった。一人感動しながらもお寺を後にし温泉宿に向かった。
2013年8月17日土曜日
浄土寺の阿弥陀如来立像(裸形像)
なら仏像館で金剛寺の降三世明王の次に出会いを楽しみにしていたのが、 兵庫県浄土寺の「阿弥陀如来立像」(裸形像)だ。平成22年に浄土寺を訪れた際、快慶の阿弥陀三尊像に感動したが、この裸形像も快慶作とのこと。切れ長の眼の形づくる理知的な風貌(ふうぼう)や、みずみずしい張りのある肉身表現に、快慶の作風が顕著(けんちょ)に示されている。金というより、独特な黄色を感じさせる鎌倉時代作。像高は200センチを超えるものの、どこか誕生仏を思わせる上半身裸体の仏像である。現在はなら仏像館に預託されているが、西日があたるこの阿弥陀如来が光輝く様を想像しながら、拝観した。
2013年8月10日土曜日
興福寺の帝釈天
興福寺国宝館には阿修羅や仏頭のような有名な仏像ばかりではない。今回
見たこの慶派の帝釈天も傑作といえよう。東金堂に安置されていたと伝わるこの帝釈天は細身で動きが少なく、衣文も浅い点から、従来慶派とは異なる仏師による作と考えられてきたが、特に帝釈天の意志を感じさせる表情は慶派だろう。運慶の嫡子湛慶(たんけい)がこの仏像を参考にして、京都・三十三間堂の帝釈天を製作したと伝えられている。運慶の兄弟子定慶あたりの製作だろうか。鎌倉時代の興福寺は慶派の仏師集団が技を競い合った場所になっていただろうか。この秋、東金堂の十二神将が興福寺仏頭と一同に会する「国宝興福寺仏頭展」が上野の芸大美術館で開催される。慶派の競演が見られるいい機会なので、今から楽しみにしている。
2013年8月3日土曜日
三蔵法師の十一面観音
今週の日曜日今年リニューアルオープンした東京国立博物館東洋館に出か けた。新装された東洋館の地下には「ミュージアムシアター」が併設されており、特別展や展示品をより深く知るための、バーチャルリアルティなVR作品が上映されている。今回の上映作品は奈良県多武峯(とうのみね)に伝わる十一面観音を「三蔵法師の十一面観音」と題してデジタルアーカイブをVR技術で可視化した映像が映し出される作品だった。入り口で入場券とシアター鑑賞券のセット券を購入して東洋館に向かった。まずは仏像発祥の地「ガンダーラ」の仏像が展示されている2階に向かった。2世紀のクシャ-ン朝時代の如来立像で、螺髪(らほつ)の原型のヘアースタイルを見たり、西域のベゼクリク千仏堂の「衆人奏楽図」(しゅうじんそうがくず)に感動しながら、1Fの中国の仏像コーナーに向かった。そこにお目当ての「三蔵法師の十一面観音」の現物が展示されていた。像高42センチで思った以上に小さい仏像だった。典型的な壇像(だんぞう)で、彫刻も細かかったが現物ではわかりにくかった。VR作品に期待が膨らむ。会場に着席するた「ナビゲーター」の男性が映像を写しながら語り始めた。三蔵法師は多くの経典をインドから持ち帰ったこと。その中には仏像の造像法があり、この観音がそれに基づいて製作されたこと。三蔵法師やその弟子に仏教を学びに行った藤原鎌足の子「定恵(じょうえ)」や日本僧がいたこと。彼らの持ち帰った経典から薬師寺の薬師三尊やその他の仏像に影響を与えたことなどがテンポよく語られていった。ひとつの展示作品より深く知ることができて、大満足な上映会だった。
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