2021年8月28日土曜日
2021年8月21日土曜日
特別展「聖徳太子と法隆寺」③(菩薩立像)
聖徳太子と法隆寺展では前に見たことがある懐かしい仏像も数多く展示されていた。この菩薩立像は2010年夏の暑い日に友人と日本橋三井記念美術館で開催された「奈良の古寺と仏像」展に出展されていた仏像だ。その後の日本の仏像とは違い明らかに大陸の風を感じる止利仏師の仏像だ。図録によると夢殿の救世観音観音と同じく腕前に両手で宝珠をとることから観音菩薩としてつくられたとのこと。高い山型の宝冠を戴き、面長のやや角ばった顔に大振りの眼鼻立ちで、見開いた眼、わずかに口角を挙げた微笑みをたたえる。最初に見た10年前にはアルカィクスマイルばかり気になっていたがよくみると宝冠の頭部にササン朝ベルシャの王冠由来の太陽と三日月のモチーフが見いだされ、宝冠全体に雲気文などのモチーフが見いだされる凝ったつくりになっている。鰭状の衣など止利派の金銅仏らしい威厳をもった仏像だった。
2021年8月14日土曜日
特別展「聖徳太子と法隆寺」②(聖霊殿の如意輪観音)
特別展「聖徳太子と法隆寺」の展示室に入りまず初めに見れるのがこの法隆寺聖霊殿の如意輪観音だ。この仏像は平安時代の太子像の近くに祀られている。四天王寺本尊の模刻像と伝えられた定朝風の平安時代の古像だ。太子信仰では太子は観音の化身とされており救世観音と太子ゆかりの寺では呼ばれている。しかし経典には救世観音という尊名がなく中国皇帝が「国主救世菩薩」と呼ばれ、太子直筆の「四天王寺縁起」に金堂にある仏像・宝物の筆頭にあげられるのが「金堂救世観音一体」と記されているが、経典に沿って如意輪観音と呼ばれている。像高126センチあまりの仏像で台座に腰かけて左足を降ろして右足を大腿部の上にのせて半跏し、右手の指先を頬にあて、広袖付きの貫頭衣を着用して平帯で腰を締める特異な像容をもつ。これは図像集「別尊雑記」に記載された四天王寺救世観音の姿に似ている。七回火災にあい戦後再建された昭和の四天王寺救世観音が施無畏与願印であるのに対しもとの姿を今に伝えるものだとU案内人と小声で話しながら、次の展示に向かった。
2021年8月8日日曜日
特別展「聖徳太子と法隆寺」①
今週の日曜日(8月1日)U案内人と東京国立博物館開催の特別展「聖徳太子と法隆寺」を見にでかけた。猛暑の中、平成館に入場し2Fの会場に入るとまず迎えてくれたのが如意輪観音だった。この仏像は四天王寺の救世観音の模刻像と伝えられる仏像だ。第一章「聖徳太子と仏法興隆」では旧一万円札に採用された聖徳太子二王子像(模本)や十七条憲法版木・太子が書いたと伝えられる三教義疏のひとつ法華義疏も展示されていて、太子を身近に感じる展示となっていた。そのなかで法起寺如来像とX線写真が展示されたいて興味深かった。第二章は「法隆寺の創建」で前期の目玉の天寿国繡帳で后橘大郎女が太子の死後大使が住む天寿国の姿が見たいと推古女帝に訴えて作成された刺繍だ。1400年前の刺繍が今に伝えられるのは奇跡的なことだと思った。第三章は「法隆寺東院とその宝物」で仏舎利が展示され、第四章「聖徳太子と仏の姿」では聖霊院に祀られている平安時代の太子像や仏画・地蔵菩薩が展示されていた。第五章は「法隆寺金堂と五重塔」で金堂から四天王のうち広目天・多聞天、薬師如来が展示されていた。展示品が多いので2時間かかったがもりだくさんの展示だった。かえすがえすも残念だったのが先行で行われた奈良展には出展されたが東京展で展示されなかった五重塔内部の羅鑑像や夢違観音などの仏像に出会えなかったことだ。帰りにグッズ売り場で図録とクリアファイル、シークレットキーホルダーを購入して上野のとんかつやで太子話で大いに盛り上がった。
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