2020年5月8日金曜日

特別展「毘沙門天」⑨(東大寺勝敵毘沙門天)

2月に行った「毘沙門天」展で毘沙門天三尊像の次のコーナーが双身毘沙門天
だ。二体の毘沙門天が背中を合わせて立つ特異な仏像だ。その中で私が興味をひいたのが東大寺に残された「勝敵(しょうじゃく)毘沙門天」だ。鎌倉時代の作で像高37センチの小像ながらその迫力に目をみはった。2体の武装天部形が背を接し、各1体の腹ばいになった邪鬼の上に立つ。一方は宝塔と法棒を、もう一方は羂索と戟を執ったとみられる。注目すべきは口許から長い牙が伸び、2体のそれが連続している。13世紀前半の慶派仏師の作と思われる。銘記がないので断定できないが、記録によると後鳥羽上皇が起こした承久の乱の年(1221年)の五月に清水寺の僧が勝敵毘沙門天を作り供養の法会を行っている。その法会に後鳥羽院の近臣も列席しており、その願意に幕府調伏があったと思われると図録では記載してあった。よく調べてみるとそのような単純なことではなさそうだ。乱がおこる三年前に暗殺された源実朝は早く父頼朝をなくし右大臣の官位を賜った後鳥羽上皇を父のように慕っていたとの学説がある。そのため実朝暗殺まで幕府と朝廷の関係は良好で、北条義時と内裏再建で対立したのち義時を除き幕府を意のままに操ろうとしたのではないか。結果は御家人大江広元の進言で幕府に攻撃され配流の身となったが、そうするとこの仏像は北条義時調伏のため造られたこととなる。歴史の面白さに思いを馳せながら、仏像鑑賞に浸った。


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