2025年1月11日土曜日

特別展「眷属」②(興福寺東金堂の安低羅大将)




2013年の芸大美術館開催の「興福寺仏頭展」から10年をへて今回の安低羅大将との再開である。芸大美術館では多くの十二神将と一緒に展示されていたが、改めて単独でみてもすばらしい仏像だと感じた。甲を着け、兜の頂に十二支の猿の頭部(後補)を表す。眉を寄せてにらみ、力を込めた顔面には筋肉や血管が浮き上がる。左足に重心を乗せて立ち、右手は肩の前に挙げて宝棒を執り、左手は第二指を伸ばして腰の横で軽く握る。他の十二神将の墨書より年号が発見され、抑揚に富んだ力強い造形や動的な姿勢などから、この頃の慶派の作と考えられる。安低羅大将は他の十二神将に比べ静的な印象だがかえってそれがうちに込めた力強さを表し、一緒にいった友人が惚れてしまったほどだ。鎌倉時代の「北斗の拳のケンシロウ」を思わせる十二神将だった。



2025年1月4日土曜日

影向寺に初詣


 今年の3ケ日は仏像巡りの3日間だった。除夜の鐘を鎌倉浄光明寺で白不動を拝観し、2日目は上野寛永寺で薬師如来と十二神将(?)を格子越しに初詣をし、今日( 1月3日)は川崎の影向寺に初詣特別公開に行ってきた。影向寺には2015年に実施された川崎市指定文化財等現地特別公開事業で近くの能満寺とともに予約して拝観したが、今は旅行会社の企画するツアーのみの予約で一般の善男善女は大晦日・正月3が日と秋の縁日のみ公開とのこと。影向寺バス停から歩いて10分ほどして影向寺の仁王門の前についた。以前収蔵庫で仏像群を見たので絵はがきを売っている男性に聞いて3が日はあいているといわれたので、収蔵庫にむかった。ここ10年であらたに発見された仏像があったのか収蔵庫にところ狭しと仏像が並んでいた。中央に平安前期と思われる薬師三尊その周りを十二神将が囲むのは前に通りだが、破損仏や神像と思われる像も並んでいた。郷土史家の三輪氏によれば聖武天皇が光明皇后の病気平癒を願い行基が建立というお決まりの伝承があるが、考古学の見地からも影向寺の前身寺院があり、旧本尊の破損仏と思われる像高80センチの首がなく胸部から腹部にかけて豊かな量感を持つ破損仏があり創建が奈良時代に遡るのではないかとの見解だ。また収蔵庫で見た女神と男性神はタウンニュースによれば、本尊の薬師如来から戦後発見され代々の住職が保管していたとのこと。男性神は如来像で像高8.2センチ、損傷が激しいが金箔が残る。女神像は俗体で15.5センチ、柔和な笑みを浮かべ、平安後期につくられたものと推定されるとのこと。影向寺では3が日に写真も配布されると記事にあったが、購入した書き置きの御朱印と一緒に女神像の絵はがきが添えられていた。解説付き写真集も購入しお寺をあとにした。




2024年12月28日土曜日

岩船寺の弁財天



浄瑠璃寺から古寺巡礼バスで岩船寺について早速本堂を拝観した。ここ岩船寺は聖武天皇が勅願し行基が創建したと伝わる。本堂の表におわすのが、平安時代の阿弥陀如来で二天像を従えている。最近戻られたという普賢菩薩は修復中で会えなかったが木津川市の主催する秋の特別公開にて如意輪観音や弁財天に会うことができた。奈良時代の弁財天は聖武天皇が護国思想の拠り所とした「金光明最勝王経」に基づいて八臂(8本の腕)に武器を執る姿だった。こちらの弁財天は2本で宝珠と鍵を執る姿は非常に珍しいとのこと。以前から見たかった弁財天を拝観できてよかった。団体は奈良に戻ったのか境内の人がまばらになったので、三重塔の初層開扉を見たり屋根にとりついた邪鬼を見たりして加茂行きバスがくるまでおもいおもいに過ごした。



 

2024年12月14日土曜日

特別展「眷属」①


 今年の京都仏像の旅は雨天で知恩院三門を訪問した時は皆さん観光をやめて雨宿りをしているほどの雨だった。おかげでじっくり仏像や天井画を拝観できたが、時間も三時を回っていたので、京都駅から西本願寺にバスで向かい、近くの龍谷ミュージアムに秋期特別展「眷属」鑑賞に切り替えることにした。京都駅につくと雨はやんでいたが予定していた非公開寺院に向かわず展覧会のチケットを購入して入場した。会場で最初に出迎えるのは、愛らしいけれど、よく見ると表情が対照的な二人の子供の像。四天王寺不動明王に仕える矜羯羅童子・制吨童子だ。音声ガイドもこの二人が進める進行でアニメ声優の解説ですすめるユニークなつくりだ。第一章「眷属てなんだ?」では仏画でさまざまの眷属の姿が紹介される。第二章「護法の神々」ではインド由来の神々が仏教に帰依し仏を護る護法神のコーナーで仏頭展で見た興福寺東金堂十二神将のうち安貞羅大将が展示されていた。堂内で12体一緒に展示されていた仏頭展と違い一体に注目することで、眉を寄せてにらみ、血管が浮き上がる顔つきつきがよくわかる。これからあとの章はまたの機会でのべることとした。特別展眷属の帰りに歩いて京都に戻りいったん宿にもどった。






2024年12月7日土曜日

聖地南山城リターンズ(西明寺の薬師如来)


 浄瑠璃寺・岩船寺と巡ったあと加茂でバスをおり前行った蕎麦店で昼食をとり、加茂エリアで特別開扉を行っている西明寺の薬師如来を拝観にいった。加茂駅から20分ぐらいの観光協会の案内だったが、30分以上かかってお寺に到着。住職は若い人に変わっており、仏像の制作年代も「古すぎてわからない」との回答だった。見たことがある仏像だと思ったら、2023年奈良博開催の特別展「聖地・南山城」に出展されていた。解説によると、像内墨書によると1047年の制作とのこと。瞼の抑揚が強い両眼、鼻梁の太い鼻や肉厚で引き締まった唇がつくる厳しい表情や、着衣に深く刻まれた翻波を交えた衣紋など、総じて銘記にいう年代よりもも以前の様式を留めている。像内墨書の年代は定朝が宇治平等院阿弥陀如来をつくったころだが、南山城と奈良に近い特性から前の時代の作風が影響されたと図録は結んでいる。あながち住職のいったことも的を得ていえると感じた。御朱印勉強中とのことでもらえなかったが、次のお寺へ向かった。