特別展「運慶」~興福寺北円堂祈りの⑤(弥勒如来その二)
前回の半蔵門ミュージアム山本館長の講演の続きだが、弥勒仏像(弥勒如来)の体躯について、運慶作品の壮年期の願成就院像・浄楽寺像が豊満で量感あふれる姿であるのに対し、北円堂が痩せ身であることにふれ、定朝が確立した和様以前の豊満な体躯から定朝様への回帰を果たしているとの解説だった。顔つきについても滝山寺まであった甘さが影をひそめたのは、宋風をふまえて独自の境地にいき、人間ならざるものとなったとの説明だった。浄楽寺像に見える玉眼を多用した表情がくずれ、人間味がなくなったのは、そのころ日本に入った宋風が影響したのかと納得した。弥勒仏像の胎内仏についても「弥勒仏像の納入品」の章で触れ、昭和9年の解体修理時に内部の厨子に弥勒如来と厨子絵に不動明王・薬師如来・地蔵菩薩と弘法大師空海・鑑真和上があり、奉籠願文は北円堂の勧進上人で正暦寺の僧専心の名前があり白檀の弥勒菩薩を持っており納入したと書かれており、正暦寺の弥勒菩薩を運慶がつくった記録から36体の運慶仏であるという大胆な説が発表された。その後、飛鳥仏との類似性や東大寺中性院・東博菩薩像などに展開されたとのこと。その後心月輪の話、そして衲衣のおなかのでっぱりは心月輪の蓮華を暗示しているとの説を披露した。弥勒仏だけでも、こいだけの刺激的な講演がなされ、聞き応えがあった。次回は四天王について触れる。
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