仏像クラブブログ
2024年11月16日土曜日
2024年11月4日月曜日
修復新たに九体阿弥陀如来拝観
2日目(11月3日)京都を早く出て奈良に向かい近鉄奈良で奈良交通主催の木津川古寺巡礼バスにて9時過ぎに浄瑠璃寺についた。本堂に入ると中は少し薄暗く左手で目を光らせているのが四天王の持国天・増長天だ。その横から平成30年度より五カ年の計画で実施された保存修理で新たになった九体阿弥陀が並ぶ。明治の修復から110年ぶりの大事業で、昨年3月に完成した。綺麗に修復された光背の頭光と光脚に当初の部材を残すほか、九重蓮華座も蓮弁の一部をのぞいて造立当初の姿を伝えている。ヒノキ材とみられる針葉樹林製で奈良博山口学芸員によると充実した作風の中尊は11世紀で、左右に並んで安置される定印造八体については12世紀当初に追加されたという説を紹介している。有名な浄瑠璃寺吉祥天や地蔵菩薩、鎌倉時代の個性的な不動明王・矜羯羅童子・勢多迦童子と拝観する人を飽きさせない仏像の配置が並ぶ。大判の写真を購入し本堂を出てご開帳の三重塔へ向かった。いつ来ても充実した仏像群が並ぶ浄瑠璃寺であった。
大報恩寺六観音に再会
昨日から京都仏像巡りをしている。まず最初に行ったのは、最近、六観音地蔵菩薩が国宝になった。大報恩寺だ。ここ大報恩寺は令和6年度第60回京都非公開文化財特別公開開催寺院となっておりポスターも千手観音になっている。残念ながら本堂の釈迦如来は拝観できなかったが、本堂にも女性の協会関係者が待期して本堂が洛中で現在最古の建造物だとか、おかめさんの悲しい物語を教えてくれた。宝物殿では六観音が素晴らしかった。国宝になり照明が見直され人感センサーで照明の強弱がはかられる作りがとても見やすかった。またこちらの六観音は廃寺となった北野経王堂より移されたもので、展覧会では展示がなかった竜と鳳凰の彫刻がついた大太鼓は三代将軍足利義満からの寄進という説明をしてくれた。やはり文化財特別公開はより深く公開寺院のことがわかってよかった.その後大将軍八神社、知恩院三門と巡り龍谷ミュージアムで眷属展をみた。詳しい報告はまたのブログで。
2024年10月14日月曜日
大谷寺千手観音
本日仏像クラブで宇都宮にある大谷寺に参拝に行った。朝九時に宇都宮に集合し乗り合いバスに乗りまずは大谷石の石切場跡地の大谷資料館から地下にある石切場を見学し大谷寺に向かった。拝観料を払いご本尊の大谷寺千手観音に参拝した大谷石を削り千手観音の姿に掘り出された観音様があった。ナレーションの説明では大谷寺千手観音は像高4メートルお寺の伝承では平安時代(810年)弘法大師の作と伝えられている。古くから大谷観音と称され、鎌倉時代に板東19番目の霊場となり、多くの人々に崇拝されたとのこと。最初は岩の面に直接彫刻した表面に赤い朱を塗り、粘土で細かな化粧を施し、更に漆を塗り、一番表に金箔を塗る石心乾漆づくりで最新の研究では、バーミヤン大仏との共通点が見られることから、実際はアフガニスタンの僧侶が彫刻した、日本のシルクロードと考えられているとお寺のパンフレットに記載されていた。特別展文明の十字路を見てきた私とU案内人にとってはにわかに信じがたいが日本で一番古い石仏であることは確かのようだ。お寺には他にも平安から鎌倉にかけてうがたれた石仏もあり観光地としては十分楽しめる内容になっている、バスで午後に銅像阿弥陀如来拝観のため山を下りた仏像クラブの面々だった。
2024年10月12日土曜日
創建1200年記念特別展神護寺④(薬師如来)
創建1200年記念特別展神護寺の目玉は本尊薬師如来であろう。今回は寺外初公開ではじめて厨子から出て明るい場所での拝観となった。それでもおそろしげな仏像であることに間違いない。なぜ恐ろしげかというと正面から見るのと違い側面の突き出しで正面と側面の印象が違う。また腕・足が恐ろしく太く衣紋の表現も彫りが深く波打っている。この仏像は神護寺の前身寺院河内の神願寺の本尊である。神願寺は和気清麻呂が八幡神と約束して建立した定かくじ額寺で本尊薬師如来は道鏡皇位継承を阻んだ宇佐八幡神託事件ののち、下野薬師寺に配流となり死んだあと怨霊になり和気氏をたたるであろう道鏡調伏のためといわれている。その後空海が神願寺と和気氏の私的な寺院、高雄山寺の合併に大きく関わり、皇統と和気氏守護を願って神護寺が建立されたということだろう。京都1番のパワースポットにまた訪れたいと感じた。
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