仏像クラブブログ
2025年3月29日土曜日
2025年3月20日木曜日
特別展「ハッケン!上田の仏像」③(神畑薬師堂の薬師如来)
特別展「ハッケン!上田の仏像」のポスターやパンフレットに大きく掲載されていたのがこの神畑薬師堂の薬師如来だ。会場で見て驚いた。像高59センチ弱平安時代の小さな仏像だった。小さいながらもとても珍しい薬師如来で吉祥天などの天部の姿をした「吉祥薬師」と呼ばれる特異な姿であらわされた上田市最古の木彫像で平安時代の作だ。唐風の服に絡腋を着け、左手を少し下げて薬壺をとる。ヒノキの一材より掘り出し内刳なし。両手先、両足を矧ぐ神畑薬師の本尊だ。寺の記録によれば、寺より東南にある薬師台の山の中にあり、雨乞いや疱瘡除けの薬師如来として信仰があった。この種の天部形の薬師如来は広隆寺などの例があり、本像の鉢の広がった大きめな頭部、丸い頭頂部と髻や屈曲する幅広な天冠台は特徴的で、類例は少ないが九州や松代の清水寺聖観音などの例があり九世紀の余風を残した十世紀前半ごろの作と考えるのが妥当であろう。ハッケンしてすぐ上田市指定文化財に指定された、展覧会を象徴する仏像だった。
2025年3月15日土曜日
洛陽三十三所観音霊場①(清水寺善光寺堂如意輪観音)
清水寺は「JRディスティネーションキャンペーン京の冬の旅2025」の随求堂大随求菩薩目当てで訪問する予定だったが、出発前日に「別冊旅の手帳京の冬の旅」を読んで見ると、清水寺善光寺堂・朝倉堂・本堂・奥の院・泰産寺も御開帳が行っているとの情報が記載しており、急遽午前中に予定していた禅寺訪問を取りやめ午前中は清水三昧にコース変更して出かけた。清水道から長い清水坂を登り切ると、清水寺仁王門と三重塔が見えてきた。左に小さなお堂が見えてきたが、いつもは通りすぎるがこれが地蔵院善光寺堂だ。入口にお地蔵さんがあったが、あとで知ったが首振り地蔵といって江戸期の幇間(太鼓持)鳥羽八を写したものとのこと。善光寺堂に入ると像高94センチの木造如意輪観音が鎮座していた。如意宝珠と宝輪の力で、苦を除き、利益を与える玉眼入りの鎌倉時代の仏像だ。私は一目でこの仏像が好きになってしまった。まさにみうらじゅんが言う「法輪ラブ」状態になってしまった。一面六臂のヒノキ材の寄木造で目尻を少し上げた顔立ちや髪の毛筋彫りの装飾的表現などから、鎌倉時代後半に造られたものとみられる。首をわずかに傾げ、右膝を立てて座る六臂の複雑な動作が破綻なくまとめ上げられている。清水寺の奥深さに驚愕し次のお堂に向かった。
2025年3月8日土曜日
京の冬の旅2025②(地蔵院の五劫思惟阿弥陀如来)
祇園で昼食の牛すき焼きをいただき、北野の地蔵院に向かった。ここも「京の冬の旅」非公開文化財特別公開寺院で「世界遺産登録30周年」と「洛陽三十三所観音霊場再興20周年」を記念し、特別公開されている。どうやら午後巡る地蔵院・六角堂・平等寺はテレビで放送されたらしく地蔵院には長蛇の列ができていた。ここ地蔵院は「椿寺」の愛称で親しまれる浄土宗の寺院。なかに入るとこじんまりした境内に本堂と観音堂・地蔵堂が建っている。列を並んでいると窓から元本尊の地蔵菩薩立像があった。地蔵院の名前の由来になる仏像だ。本堂では小人像にわけて参拝となる。五劫思惟阿弥陀如来は江戸時代の作。東大寺から来たとのこと。五劫思惟阿弥陀如来は長い年月の修行の期間を髪の毛長さであらわしたもの。奈良五劫院の鎌倉時代の仏像が有名だがあちらは木造、地蔵院は銅像だ。「おたふく阿弥陀」の愛称で親しまれている。観音堂の説明も本堂で行われ、慈覚大師円仁の作と伝わる一木造の平安時代の観音像が雨宝童子、春日龍神とともに祀られており、洛陽三十三所観音霊場30番札所になっている。帰りに地蔵・観音の絵はがきと京の冬の旅ガイドブックを呼び御朱印をいただき、急いで六角堂に向かった。
2025年3月3日月曜日
京の冬の旅2025①
今日(3月2日)、初参戦のJR主催京都 デイティネーションキャンペーン「京の冬の旅2025」において京都非公開文化財特別公開が実施されている清水寺に向かった。観音霊場のひとつである「洛陽三十三観音霊場」再興20周年記念として非公開文化財特別公開をやっており、観音様も公開していた。清水寺善光寺堂・朝倉堂・本堂・奥の院・泰産寺が公開しているという触れ込みだった。普段は見向きもしない善光寺堂を覗いてみると、なんと鎌倉時代の如意輪観音がさりげなく祀られていた。その観音にパンチを食らった私はその後、各お堂を巡るのだが、それは後日。午後は地蔵院、北野天満宮、六角堂、平等寺と駆け足で巡ったが、それぞれ個性豊かなお寺の物語にみるべき価値があった。また、次回も行きたいと思った。
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