2021年9月5日日曜日

特別展「聖徳太子と法隆寺」⑤(法起寺の如来立像)

 

2010年の秋奈良を旅した際、法起寺を訪問したが、収蔵ケースに仏像がひしめいていたのを思い出した。聖徳太子と法隆寺展に出展された法起寺如来像もその中にあったのかもしれないが、覚えていない。奈良博の山口学芸員のコラムによると平成5年に「わが国最古の弥勒如来」と評価された仏像だ。ただこの仏像にはいわくがあり、今回の展覧会が奈良博で開催されるにあたり、X線CTスキャン調査を行った顛末が書かれている。それは、昭和11年刊行の古写真と面相が違うとされたことだ。それにより同年以降の補作と訂正され仏像は日の目を見る機会がなかったが今回のX線CTスキャン調査で顔と背中は後補だが後頭部から前面の指先まで飛鳥時代の特徴を表し、特に腰帯は法隆寺献納宝物の四十八仏に似たものがあり、衣文の階段状の表現や後頭部で頭髪を左右に分ける表現からも飛鳥時代の製作であることは造形の面からも疑いないとのこと。「わが国最古の弥勒如来」かどうかは異論が分かれるが、類まれな飛鳥時代の如来立像であることは今後注目すべき作品であると結んでいる。昭和になってから後補された事実に驚いたが、法起寺の仏像はまだまだ調査すればなにか出てくるのではないか。今後の調査を待ちたい。


2021年8月28日土曜日

特別展「聖徳太子と法隆寺」④(如来像及び両脇侍像【法隆寺献納宝持】)

 

「聖徳太子と法隆寺」展は奈良と東京で開催されたが、東博では法隆寺献納宝物の小金銅仏が展示されていた。2013年に法隆寺宝物館で初めて見たが、昨年も「出雲と大和」展で拝観したが、聖徳太子をテーマとした本展では仏教公伝と結び付けて考えられる。東博学芸員の三田氏が図録に書いた論文によると、太子の祖父欽明天皇の時代百済の聖明王から(中略)「釈迦仏の金銅像一躯」が送られそれを見た欽明天皇がそれまでなかった金色に輝く仏の姿を見て驚いた点が「日本書紀」に記載されている。この如来像及び両脇侍像はまさにこの頃、百済で製作された可能性が高く、日本仏教の黎明期を偲ばせるとのこと。また図録解説によると、近年の科学調査により中尊と脇侍の材料の成分が異なることから、中尊は百済製脇侍は日本製と考えられるがうまく一光三尊形式にまとまっている。光背に巻き付くような蔓(つる)が巻き付くよう植物表現は百済仏との共通性が見られるとのこと。東博出身の鎌倉国宝館山本館長の解説動画で芸人「みほとけ」がそこまでわかると驚いていたが、学芸員の解説により深くこの仏像のことがわかり、次回法隆寺宝物館を訪れる際、よく見てみようと思った。

2021年8月21日土曜日

特別展「聖徳太子と法隆寺」③(菩薩立像)


 聖徳太子と法隆寺展では前に見たことがある懐かしい仏像も数多く展示されていた。この菩薩立像は2010年夏の暑い日に友人と日本橋三井記念美術館で開催された「奈良の古寺と仏像」展に出展されていた仏像だ。その後の日本の仏像とは違い明らかに大陸の風を感じる止利仏師の仏像だ。図録によると夢殿の救世観音観音と同じく腕前に両手で宝珠をとることから観音菩薩としてつくられたとのこと。高い山型の宝冠を戴き、面長のやや角ばった顔に大振りの眼鼻立ちで、見開いた眼、わずかに口角を挙げた微笑みをたたえる。最初に見た10年前にはアルカィクスマイルばかり気になっていたがよくみると宝冠の頭部にササン朝ベルシャの王冠由来の太陽と三日月のモチーフが見いだされ、宝冠全体に雲気文などのモチーフが見いだされる凝ったつくりになっている。鰭状の衣など止利派の金銅仏らしい威厳をもった仏像だった。

2021年8月14日土曜日

特別展「聖徳太子と法隆寺」②(聖霊殿の如意輪観音)


 特別展「聖徳太子と法隆寺」の展示室に入りまず初めに見れるのがこの法隆寺聖霊殿の如意輪観音だ。この仏像は平安時代の太子像の近くに祀られている。四天王寺本尊の模刻像と伝えられた定朝風の平安時代の古像だ。太子信仰では太子は観音の化身とされており救世観音と太子ゆかりの寺では呼ばれている。しかし経典には救世観音という尊名がなく中国皇帝が「国主救世菩薩」と呼ばれ、太子直筆の「四天王寺縁起」に金堂にある仏像・宝物の筆頭にあげられるのが「金堂救世観音一体」と記されているが、経典に沿って如意輪観音と呼ばれている。像高126センチあまりの仏像で台座に腰かけて左足を降ろして右足を大腿部の上にのせて半跏し、右手の指先を頬にあて、広袖付きの貫頭衣を着用して平帯で腰を締める特異な像容をもつ。これは図像集「別尊雑記」に記載された四天王寺救世観音の姿に似ている。七回火災にあい戦後再建された昭和の四天王寺救世観音が施無畏与願印であるのに対しもとの姿を今に伝えるものだとU案内人と小声で話しながら、次の展示に向かった。



2021年8月8日日曜日

特別展「聖徳太子と法隆寺」①


 今週の日曜日(8月1日)U案内人と東京国立博物館開催の特別展「聖徳太子と法隆寺」を見にでかけた。猛暑の中、平成館に入場し2Fの会場に入るとまず迎えてくれたのが如意輪観音だった。この仏像は四天王寺の救世観音の模刻像と伝えられる仏像だ。第一章「聖徳太子と仏法興隆」では旧一万円札に採用された聖徳太子二王子像(模本)や十七条憲法版木・太子が書いたと伝えられる三教義疏のひとつ法華義疏も展示されていて、太子を身近に感じる展示となっていた。そのなかで法起寺如来像とX線写真が展示されたいて興味深かった。第二章は「法隆寺の創建」で前期の目玉の天寿国繡帳で后橘大郎女が太子の死後大使が住む天寿国の姿が見たいと推古女帝に訴えて作成された刺繍だ。1400年前の刺繍が今に伝えられるのは奇跡的なことだと思った。第三章は「法隆寺東院とその宝物」で仏舎利が展示され、第四章「聖徳太子と仏の姿」では聖霊院に祀られている平安時代の太子像や仏画・地蔵菩薩が展示されていた。第五章は「法隆寺金堂と五重塔」で金堂から四天王のうち広目天・多聞天、薬師如来が展示されていた。展示品が多いので2時間かかったがもりだくさんの展示だった。かえすがえすも残念だったのが先行で行われた奈良展には出展されたが東京展で展示されなかった五重塔内部の羅鑑像や夢違観音などの仏像に出会えなかったことだ。帰りにグッズ売り場で図録とクリアファイル、シークレットキーホルダーを購入して上野のとんかつやで太子話で大いに盛り上がった。