2010年11月12日金曜日

遷都1300年奈良現地レポート(唐招提寺の千手観音)

今日から二泊3日の予定で奈良を訪れている。今日は西大寺と秋篠寺を訪れ、午後から西ノ京の唐招提寺を訪れてた。修学旅行の学生でごった返す境内を平成の大修理が昨年終わったばかりの金堂に向かう。お堂の中には三体の仏様がいらっしゃった。中でも千手観音は圧巻た。ほぼ千の大小の手を持ち、大きな手にはすべて持仏を持つ。天平の傑作に圧倒され薬師寺に向かった。

2010年11月6日土曜日

特別展薬師如来と十二神将(慶派の薬師如来)

鎌倉国宝館で開催されている特別展では、十二神将ばかりでなく薬師如来の名仏も出展されている。今年は寅年は薬師如来の十二年に一度の御開帳の年にあたり各地の秘仏が見られる。出展作品のなかで特に私とU案内人が注目した仏像は東漸寺の薬師如来だ。この仏像の製作年代ははっきりしないが、仏像クラブで訪れた浄楽寺の運慶作阿弥陀如来坐像に作風がにており、図録によると運慶に近い仏師による制作であると書かれている。また紙際線をわずかに波打たせたところなど、興福寺北円堂の弥勒如来に通じるところもあるという。U案内人も何かを感じたのか、「運慶の作品と見た」とひとりつぶやいていた。私も同感である。この仏像に運慶壮年期の鎌倉での活躍に思いをはせるのは私たちだけだろうか。二人はしばらくこの薬師如来に時間もたつのも忘れて見入っていた。

2010年11月2日火曜日

特別展東大寺大仏(西大門勅額)



特別展東大寺大仏は4部構成になっているが、1部の部屋は瓦の展示が多く少々あきてきたとき、突然目の前に現れたのがこの西大門勅額だ。額に刻まれてる「金光明四天王護国之寺」の字は聖武天皇の筆によるという。光明皇后1250年御遠忌記念で開催された本展にはそこかしこに聖武天皇・光明皇后ゆかりの作品が展示されている。額には上から梵天・帝釈天・四天王・金剛力士の八体の仏像をつける。


上から6対は鎌倉時代の後補で快慶の作という説がある。下の金剛力士は奈良時代と考えられ、違いが比較できておもしろい。それぞれ79.2センチと1メートルを満たない小像だが、八体もついているので額の大きさが察せられる秀作である。

2010年11月1日月曜日

丹沢大日堂の大日如来

昨日秦野の大日堂が御開帳初日のため早速仏像クラブで出かけた。当初は伊勢原の日向薬師を参拝する予定だったが、行って見ると人手不足で宝物館が開けてもらえなかった。大日堂の御開帳が初日であることを思い出した私は、U案内人と相談して急遽近くの秦野市にある大日堂に向かった。大日堂は大山詣での登山口のひとつに蓑毛口に立つ。ボランティアの仁王門の説明を聞いて本堂へ向かう。堂内には中央に大日如来・右から宝生・阿閦・釈迦・阿弥陀と五智如来すべてが平安時代の作だというから驚きだ。U案内人が気がついたが、大日如来には宝冠がなく宝髻がむき出しになっている。ジブリアニメの宮崎監督も今年9月に訪れたという。将来大日堂や大山詣でを題材にした作品が見られるのだろうか。期待したい。ここには江戸時代製作の十王もあり見ごたえがあった。

2010年10月30日土曜日

特別展薬師如来と十二神将(北条義時を救った戌神)

覚園寺戌神


辻薬師堂の戌神
 本展で私が注目した作品は戌神だ。運慶が製作したという記録がある大倉薬師堂の十二神将は現存しないが、本展に出展されている鎌倉国宝館所蔵辻薬師堂の十二神将はそれを写したと言われている。また大倉薬師堂を寺に改めた覚園寺のものもその復興像だという。
3代将軍実朝暗殺の際、太刀持ちとして付き従うはずだったが北条義時が大倉薬師堂の戌神の夢のお告げに従い、直前になって予定をとりやめて難を逃れたという。はたして義時の夢枕に立った戌神に近いのはどちらの像であろうか。U案内人は辻薬師堂の戌神が近いのではないかと言っていたが、私もそう思う。二人で運慶の十二神将について熱く語った。