2024年9月23日月曜日
2024年9月14日土曜日
創建1200年記念特別展神護寺③(五大虚空蔵菩薩)
特別展神護寺の仏像展示のトップバッターはこの五大虚空蔵菩薩だ。毎年一定の期間しか神護寺では御開帳されないので私も神護寺では見たことがなかった。展覧会では1体だけ展示はあったが五大虚空蔵菩薩揃い踏みが謳い文句となっている。虚空蔵菩薩はそれぞれ名前があり宝戒・金剛・宝光・蓮華・業用虚空蔵菩薩となっておりそれぞれ色がよく残っている。みうらじゅん・いとうせいこう氏も新TV見仏記で初めてみれたぐらいの秘仏だ。みうらじゅん氏は独特の感性で色分けされた虚空蔵菩薩をレッドマン・ブラックマンと呼んでいたが、私が気に入ったのがブルーマンで宝珠を執る。神護寺の宝塔内では横一列になっているが、記録によれば今回の展示のように法界像(ホワイトマン)を中央に東北・東南・西南・西北に並んでいたという。ヒノキの一材で頭髪に乾漆をもった木心乾漆造の仏像だ。本像の造形は今回出展された高雄曼荼羅を典拠としている。神護寺にとって貴重な作例であることは間違いないだろう。クリアファイルが売っていなくて残念だったが、代わりに高雄曼荼羅の虚空蔵菩薩がアップにされたものを購入した。それによると虚空蔵菩薩に火炎光背が描かれていることから当初は立派な光背がついていたことを想像しながら会場を後にした。
2024年9月8日日曜日
成島毘沙門天に再会する
岩手仏像探訪の旅2日目最後に訪れたのが、15年前にも訪れた成島毘沙門堂だ。新花巻の駅からタクシーで東和町に向かい入口の女性に拝観料を払い三熊野神社と成島毘沙門堂の共通拝観券を購入しまず三熊野神社から拝観した。ここは坂之上田村麻呂が和歌山の熊野三山からここに移し本殿を建立したとのこと。15年前より神社がこぎれいになり神主らしき人もいるように感じた。以前はこの後ろの廃屋のような建物に毘沙門天を祀っていたが重文指定で収蔵庫に移したとのこと。そちらを目指して、さらに少しばかり山を登ると、寺男のおじいさんがニコニコして拝観券をチェックして収蔵庫に入れてた。なつかしい兜跋毘沙門天が地天女と呼ばれる女性の肩に乗り見下ろしていた。ほぼ五メートルはある一木造りだ。脇をみちのくいとしい仏たち展に出展していた尼藍婆・毘藍婆が癒やし系で固めていた。また東博みちのくの仏像展に出展された伝吉祥天の美仏がひとりたっていた。その空間に酔いしれいつまでもいたかったがタクシーを待たせているので、期間限定のすいかの絵がかわいい夏詣の御朱印をいただき新花巻に戻り新幹線で盛岡に向かった。
2024年8月31日土曜日
天台寺の聖観音
岩手仏像探訪の旅最終日、盛岡から新幹線で二戸に向かい予約したタクシーで初めて天台寺を訪れた。古代最北の寺院天台寺は当時の日本の統治領域から北にはみ出して整備された。タクシーを降りると最果ての寺院と思えないほどの立派な寺院だった。江戸時代盛岡藩主南部氏による再建だった。二つ収蔵庫や仁王門から続く灯篭群は平成の修理で作家で天台寺名誉住職の瀬戸内寂聴氏のご尽力のたまものだろう。収蔵庫には展覧会で何度かみた仏像が拝観できた。やはり魅力的なのは聖観音で116センチの小さい仏像だが鉈彫りと呼ばれる東国でよく見かける仏像様式だ。体にノミによる横縞模様が施された仏像で意図的にノミ痕を残して仕上げとした鉈彫仏は関東や東北を中心に数十体ほど確認されたいるが、ここ天台寺の聖観音が最高傑作であろう。以前は未完成仏とみる説もあったが天台寺像の背面は平彫で前面の端正なノミ痕を残している。霊木カツラに宿る神が、仏の姿を借りて顕われたようだ。あの井上正先生も鉈彫りのご本尊こそ、その化現の瞬間を彫ったものだと唱えられたとのこと。二戸にタクシーで戻りEUのバイヤーの舌をうならせた北三陸洋野町のウニを購入し盛岡に戻った。
2024年8月25日日曜日
黒石寺の持国天・増長天
予約したタクシーで黒石寺につくと受付に以前案内頂いた女性がいらしたので拝観料を支払い案内をお願いした。15年前の岩手旅行の最後に黒石寺を訪れている。黒石寺は「見仏記」に載っている寺で、持国天のイラストが妙に印象に残っていたための訪問だった。あれから15年の月日が流れ、新幹線もチケットレスに変わり、行きやすくなっていた。今回の岩手探訪はいくつか目的があったが15年前に訪れた寺を再訪することも目的のひとつだ。収蔵庫で本尊アテルイ薬師に対面したあと、本堂に向かった。本尊跡にたくさんの仏像が囲んでいる。日光・月光その周囲に大きな四天王。これが素晴らしく見仏記的に言えば異常なほどパースが狂っている。頭がやたら小さく逆に足ががっちりとしている。2015年に開催された「特別展みちのくの仏像」では出展されていない四天王の目についての考察が解説されていたが私もミウラサン同様四肢に注目した。腰から下の力強い太さ、むっくりと曲線的に掘り出された質感によって強調されている。上半身は突然細くなるものの、肩のごつさによって、全体としては力を失わない。そして、その肩にめりこんでいるのは、小さな顔だ。口をへの字に曲げ、顎を四角くして、見得を切っている。じっくりと拝観して受付で本堂で見かけた蘇民祭のポスターをいただきタクシーで次のお寺に向かった。
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