2016年7月9日土曜日
ほほえみの御仏ー二つの半跏思惟像ー
今週の日曜日梅雨の晴れ間の猛暑日の中、東博に特別展「ほほえみの御仏ー
二つの半跏思惟像ー」を見に行った。日韓国交樹立50周年記念の展覧会で5月に韓国ソウルの国立中央博物館で開催されたあと、6月から東博で開催されている展覧会だ。展覧会には日本からあの剛力彩芽が涙した中宮寺の菩薩半跏像が、韓国からは国宝78号半跏思惟像が出展された。韓国の仏像を見るのは初めてだったが、国宝78号半跏思惟像は頭に日月の宝冠をかぶった高さ83センチ余の金銅仏だがやわらかい腰つきをしており頬にそっと手をそえる姿勢がすばらしく美しい。この像は内部に土を込めた技法で出来ており胴の厚さは5ミリでしかないとのこと。この薄さが柔らかい木彫像のような金銅仏をつくりあげた秘密だろう。中宮寺の菩薩半跏像は目の輪郭を描かない特徴があるがこの国宝78号半跏思惟像も薄目をあけた表現になっており似ている。韓国には見仏記海外編に出てきた金銅三山冠半跏思惟像があるがこちらは京都広隆寺の弥勒菩薩に似ており、二組の仏像の共通性に韓国と日本のつながりが感じられる。残念ながらもうひとつの半跏思惟像は出展されなかったが、見仏記海外編をたよりに韓国仏像めぐりをしたいものだ。平常展示の11室の仏像を見てから東博をあとにした。
2016年7月2日土曜日
「仏像半島-房総の美しき仏たち-」展④
平成25年4月に千葉市美術館で開催された「仏像半島-房総の美しき仏たち-」 展のパンフレットに載っていたのが千葉県富津市の東明寺から出展された薬師如来と十二神将だ。近頃せんとくんの生みの親藪内芸大教授の「仏像風土記」でも紹介されていたが本尊は平安時代後期、十二神将は鎌倉時代の製作で、細かい螺髪や丸みを帯びた輪郭など平安時代末の様式を持っているが、カヤ材一木造の地方色豊かでおおらかな顔つきは、平安時代前期の名残を感じさせる。この展覧会を通じて千葉独自のオリジナルティがある仏像が多いと感じたが、都の仏像のデザインが時差をもって伝播し、前代の様式と折衷されている作例が多く見られるとのこと。十二神将も後世の彩色が施されているが、独自のポーズがうまくまとめられており、中央の正統な仏師の手になるものとのこと。機会があればお寺を訪問したいと思った。
2016年6月18日土曜日
観音ミュージアムの如意輪観音
3月まで開催されていた観音ミュージアム「長谷寺仏教美術の至宝-彫刻編-」で は見たことが無い仏像が展示されていたが、そこで気になったのがこの如意輪観音だ。鎌倉の如意輪観音といえば、来迎寺の観音が有名だがここ長谷寺にもあるとは知らなかった。観音は室町時代の寄木造で如意輪観音の特徴である如意宝珠や輪宝などの持物が失われているのが残念だ。伝快慶作だといわれるが、一面六臂の体躯、足裏を合わせて座る「輪王座」など通例の姿で表現されるとともに、卵型の面部、やや高めに結われた髻、抑え気味ではあるものの動きのある衣文の作りこみなどから宋風の作例を意識して製作された尊像といえるだろう。また目にする機会があればそこらへんを意識して鑑賞したいと思う。
2016年6月12日日曜日
雪蹊寺の毘沙門天
若いころ四国を香川から徳島・高松と旅したとき最後に向かったのが高知市の 雪蹊寺だ。あまり期待しないで霊宝殿に向かいそこで出会ったのが運慶の長男湛慶の毘沙門天だ。このような都から離れた寺に湛慶の仏像がなぜあるのかと思った。毘沙門天の像高は166センチのほぼ等身大で残念ながら両手は失われているが、脇侍もすばらしい。毘沙門天像といえば運慶の願成就院の仏像が有名だが、湛慶の作風は運慶の力動観と快慶の絵画的な整斉感の融合にあり、さらに繊細・優美な王朝文化の伝統が加えられているといわれるが、有名な三十三間堂の千手観音などがその代表作だろう。本作も端正で迫力ある顔に優美さと柔和さを兼ね備えた名作だ。本作は来月イタリア開催の「日本仏像展」に出展され多くのイタリア人の心をつかむことだろう。
2016年6月4日土曜日
よみがえる仏の美展①
先週の土曜日仏像クラブで二子玉川の静嘉堂文庫美術館に「よみがえる仏の美」 展を見に出かけた。静嘉堂文庫美術館には近頃、山本勉先生が唱えた運慶の十二神将のうち7体が所蔵されており、そのうち4体が修理完成し披露されるという。美術館の周りは緑豊かな環境に恵まれていて別世界にまい込んだようだった。会場の中央のガラスケース4つに像高80センチぐらいの十二神将がそれぞれ展示されていた。1番右側の寅神の右手を高く振り上げたポーズを見て、U案内人は「運慶作であることを確信した」とやや興奮して語っていた。この十二神将は昨年拝観した京都浄瑠璃寺から流出したもので、秘仏薬師如来を守る十二神将として製作され、明治になり流失した仏像だ。今回は「修理完成披露によせて」との副題がついていたように展示品の修理過程もパネル展示されていた。十二神将も「静嘉堂120選」図録の写真に比べても色彩がよく修復されこくなっていた。若冲が手本にした「文殊・普賢菩薩像」などの仏画を鑑賞して展覧会をあとにした。昼食で寄ったおそばやで食事をしながら運慶についておおいに語り合った仏像クラブの面々であった。
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