2025年12月20日土曜日

企画展「しずおかの古仏たち」③(鉄舟禅寺菩薩座像)

 

企画展「しずおかの古仏たち」の第1章は「久能寺とその仏像」だ。久能寺は現在日本平と呼ばれる地区のほど近くにあった山でそこにあった天台宗の寺院が戦国時代武田氏の山城久能城の築城にあたり清水に移転し明治に廃仏毀釈で廃寺となったが旧幕臣山岡鉄舟により鉄舟禅寺として再興された寺院だ。往時には寺内に三百以上の僧坊を持つ駿河有数の寺院だった。そこに伝わるのがこの両腕にない菩薩座像で2017年に奈良博で開催された快慶展に出展されていた。奈良博の山口学芸員によると、いちじるしい損傷をこうむりながらも、なお鎌倉時代初頭の清新な作風をしめす菩薩像。ヒノキ材の割矧造で、玉眼を嵌入する。両肩以下を欠失し、両腰部及び両脚部、髻の下縁、左耳上半を含む側頭部の一部などを後補とするほか、像表面は古色に覆われている。頭部から胸部は製作当初の姿を伝えている。顎の張ったふくらみの強い面相や、両目の見開きの精悍な表情は快慶が「安阿弥陀仏」と称した無位時代の作品に通じ(中略)髻は髻頂の髪束を大きく華やかにあらわす形式は安部文殊院菩薩騎獅像あたりから顕著になるが、本像もそうした傾向に沿うもので、快慶の筆頭格の弟子行快の作風に通ずるところがある東大寺聖観音(内山永久寺伝来)に比較的近いかたちが認められる。快慶派の活躍が伊豆山を中心に考えられることから快慶派の作品とみてよいだろう。平安・鎌倉時代の静岡に思いをはせながら次の作品に向かった。

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