特別展「横浜の仏像」⑯(龍華寺の阿弥陀三尊)
山本館長の講演に戻ると中世仏の諸相といって運慶後の鎌倉時代後期の仏像について話が及んだ。鎌倉後期は善光寺式阿弥陀三尊・清凉寺式釈迦如来・両者の合体・応用及び聖徳太子などの肖像彫刻が流行したとのこと。特に善光寺式阿弥陀三尊・清凉寺式釈迦如来は霊験像・生身像として敬われた。生身像とは現世に具体的な姿を現した仏の身体を指し、生身の三如来として有名なのが嵯峨の釈迦(清凉寺釈迦如来)因幡堂の薬師(平等寺薬師如来)善光寺の阿弥陀(善光寺阿弥陀三尊)で清凉寺釈迦如来と善光寺阿弥陀三尊は多くの模造が大流行した。善光寺阿弥陀三尊は伝承では天竺で釈迦が門前に現れた姿を金銅で鋳写しそれが百済に伝来し欽明天皇仏教公伝時に伝わり、推古天皇の時代に信濃に移したとの伝承があり模造の大流行により善光寺式阿弥陀如来が各地に残っている。龍華寺阿弥陀三尊も一光三尊像の形式でまぎれもなく善光寺式阿弥陀三尊だが、龍華寺以前に鎌倉公方の祈祷所である光徳寺にありどのような経緯で本尊として龍華寺に安置されたかは金沢文庫の仏の瀬谷さんも不明とのこと。昨年の夏一光三尊像を求めて尾道や鞆の浦を廻ったが関東にもしっかり来ていたことが展覧会で解った。
0 件のコメント:
コメントを投稿