2015年5月1日金曜日

国宝醍醐寺の虚空蔵菩薩に再会する

本日(4月30日)、東博に新指定国宝・重要文化財展を見にでかけた。すでにネットにて醍醐寺の虚空蔵菩薩(旧聖観音)と東大寺の試みの大仏と呼ばれる、弥勒仏坐像が国宝に指定されたことを知っていたが、今回東博に指定された作品が展示されている(一部はパネル展示)。上野東京ラインで上野に行き、東博本館の第11室に向う。入ってすぐのところに展示されていたのが、この醍醐寺の虚空蔵菩薩だ。カヤの一木造で平安時代前期の代表的壇像彫刻だ。風をはらんでなびくような天衣の表現がみごとでみとれた。大きな目とほほのふくらみはやんちゃ坊主のようだと井上正氏は「続・古佛」の中で書いている。また「続・古佛」では「本像の手練の技の奥に感じられる奇抜な発想と冴えた造形力は呉道玄(中国唐の画家)の才に帰せらるべきであろう」と述べている。聖観音といわれていた本像が、醍醐寺に伝来した版木に書かれた絵と同じのため虚空蔵菩薩での国宝指定となった。国宝・重文に指定された他の作品を見て、来月から約1年間休館となる法隆寺宝物館に向った。

2 件のコメント:

  1. このような肉質的な仏像は、日本各地に見られます。当然ギリシャ彫刻の影響を受けて日本に伝来したので当然でしょう。ただ、本来仏は肉から離れる存在でしょう。それと宗教性の関連についていかがでしょうか?密教仏は密教の性格上肉質的なのはわかるのですが、そのあたりをやまちゃんは、どう解釈しますか。

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    1. するどいご指摘ありがとうございます。改めて「続・古佛」を読み直してみました。貴殿のおっしゃる仏は肉から離れるとは、人間のもつ生なましさを棄て、仏菩薩の相の枠内で作られるべきとの意味を言っていると解釈しました。「続・古佛」の筆者も「醍醐寺像の童顔にみられる人間らしさは異例のものだ。」と書いています。これは盛唐の気風を感じた呉道玄があえて時代にあわせた表現で仏画を書き、それを本像の作者が忠実に再現したからではないでしょうか。こんなところで勘弁願います。

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