京都・奈良2021⑤(薬師寺東塔の水煙)
「すいえんのあまつおとめがころもでのひまにもすめるあきのそらかな」と会津八一が歌った薬師寺東塔の水煙が役割を終え塔からから降ろされ一般公開されているので、薬師寺に向かった。薬師寺で「東塔水煙降臨展」のチッケットを買って展示している食堂に向かった。切手にもなった横笛を吹く奏楽天人像はあまりにも有名だが、中央の飛天は腰を「く」の字に折り曲げた格好で、頭を下にして舞い降りてくる姿を表している。片手で両端を尖った船形の物を持っているが、この持物が散華するため花びらを盛るための皿(華籠)だという。両端がとがっていて皿に見えないが、この船形の華籠こそ、水煙が白鳳美術であることを雄弁に物語っている。華籠は飛天に広く見られる持物で法隆寺金堂の壁画にも見られる。金堂壁画が完成した時期が七世紀末から八世紀初頭と考えられるが水煙飛天の華籠はそれより古様な表現であると考えられる。その後の奈良正倉院が御物に見られる飛天は皿の上に花を盛っており、船形に表現され華籠は白鳳時代に流行した形式である。天平時代に建立された東塔に白鳳時代の水煙が掲げられているのは、藤原京の本薬師寺から移築されたか、藤原京時代の形式を踏襲したかはわからないが、きわめて興味深い事実だ。水煙飛天の華籠から薬師寺薬師三尊の鋳造時期にまで影響することの歴史の面白みを感じながら興福寺に向かった。
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