2025年4月29日火曜日
2025年4月26日土曜日
京の冬の旅2025⑤(平等寺の薬師如来)
4時ギリギリ10分前に平等寺についた。ちょうど案内人が本日最後の説明が始まるところだった。まず皆さんを本尊薬師如来のある収蔵庫に招いた。以前も平等寺には京都非公開文化財特別公開のおりに拝観しているので今回二回目の訪問となった。案内人はお寺の創建に関わる橘行平について語り始めた。村上天皇の命で因幡の国(現在の鳥取県)に赴いた橘行平が、夢告により海中から薬師如来を引き上げ、草堂を建てて供養したが、行平が京都へ戻るとその薬師如来が行平のもとに飛来。行平はこの像を安置するため自邸を改造して「因幡堂」とした。その後歴代天皇が「薬師詣で」に参じ高倉天皇から「平等寺」の名前を下賜されたとのこと。案内人は行平とお薬師さんとのやりとりをコミカルに語る名調子で参拝者を喜ばせた。案内人が質問形式で厨子の火災から逃れる滑車を説明し場を大いに盛り上げた。別のお堂には都の東西南北の神社仏閣を経て、ここ因幡堂に祀られた二体の十一面観音や如意輪観音、清凉寺式釈迦如来などみどころが多い。「因幡堂縁起」絵巻の展示を見て戻ると丁度時間になりお開きとなっていた。今回の京の冬の旅2025で最後に訪れたのが平等寺でよかった。ひとつひとつのお寺にストーリーがあるのだなと感じながら四条のお菓子や「鼓月」におみやげを買いに向かった。
2025年4月19日土曜日
京の冬の旅2025④(六角堂の毘沙門天)
地蔵院は参拝客が多く予定より時間がかかったので、六角堂と平等寺を急いで見ることになった。阪急電車で烏丸駅につき阪急電車のお兄ちゃんに道を聞き六角堂に向かった。洛陽三十三所観音霊場でもある六角堂は正式名称は紫雲山頂法寺といい、飛鳥時代の用明天皇2年四天王寺建立資材を探しに京都を訪れた聖徳太子が夢告によって堂を建て念持仏を安置したのが始まりと伝わる、京都屈指の古刹。JR京都ディスティネーションキャンペーンおなじみ案内人はお堂の中には入らず、外で公開場所だけ案内してくれた。なかに本尊前立伝弘法大師作如意輪観音鞘仏・毘沙門天・地蔵菩薩は拝観できたが、建礼門院徳子念持仏如意輪観音は見逃した。毘沙門天については2020年京都国立博物館で開催された特別展「聖地巡礼」で拝観しておりその図録の解説によると、「現状では香煙によるものか、表面が黒ずんだ古色を呈しているが、もとは彩色が施されていた。また、よろいの端正な彫りもみどころである。太造りながらも穏やかな作風からみて、制作年代は十一世紀のおわりから十二世紀のはじめころにかけてかと考えられる。腰高なプロポーションで、わずかに腰を左に入れる。(中略)個人的には円派仏師の作、それも円勢周辺の仏師によるものとみたい」本尊を池坊ビルで見てから六角堂を出たのが3時半を過ぎており、急いで平等寺に向かった。
2025年4月13日日曜日
特別展「ハッケン!上田の仏像」④(前山寺大日如来)
特別展「ハッケン!上田の仏像」のパンフレットを手に取ったのが、昨年東京国立博物館のことであった。そのパンフレットで気になった仏像がこの前山寺大日如来だ。人目見て慶派の仏像ではないかと思ったが、まさか信州上田まで確かめに行くとはその当時は思わなかった。2017年に信州の仏像を見る旅をした際、別所温泉の近くの前山寺を訪れ、立派な五重塔が印象的なお寺だった。前山寺本堂に本尊として安置される金剛界の大日如来。前山寺は弘法大師空海の創建と伝わる信州の古刹。高髻を結い、腕前で智拳印を結ぶ金剛界の大日如来で条帛を懸け、折り返し付きの裙・腰布を着け、右足を上にして結跏趺坐する。高髻を結い、毛筋を細かく刻んだ頭髪、やや胸を引いて両腕前に空間をとった姿勢、両腕前に深く刻んだ円弧状の衣紋など本像の形式や表現は、鎌倉時代前期の慶派の大日如来の系譜を引くものといえる。現地でこの仏像を見て初めて運慶の大日如来を見た感動がよみがえった。両大腿部脇に腰布のたわみをつくる表現は石山寺大日如来像など快慶作品に特徴的にみられるものであり、耳の形状は快慶の弟子行快のそれに近い。表面を金泥塗り切金文様仕上げとし、像内は黒漆塗りとするなど、きわめて入念に仕上がられた本像は、上田の地に伝わる鎌倉時代の優品のひとつとして評価すべきものなのだろう。上田市仏像悉皆調査に立ち会った萩原玉川大学教育博物館准教授ならではの図録解説であった。玉川大学教育博物館でも上田の仏像を紹介する展覧会開催があったら行きたいと思った。
2025年4月4日金曜日
京の冬の旅2025③(清水寺随求堂大随求菩薩)