今回の京都・近江の旅行の目的のひとつが、33年に一度の御開帳に沸く石山
寺を参拝することだった。例年京都で一泊した翌日は隣の滋賀県の仏像めぐりをしていたが、石山寺の如意輪観音についてはさほど興味がなかった。雑誌で魅惑の観音像のひとつに如意輪観音がとりあげられ、その詳細の写真や2002年に発見された4体の胎内仏の写真を目にし、俄然興味がわき参拝の運びとなった。早朝に京都をたって一路石山寺に向かった。長い参道を通り、本堂に向かうといきなりご本尊の如意輪観音とのご対面となった。如意輪観音は平安時代後期の寄木造の丈六仏で、左足を踏み下げた半跏像だ。現存する如意輪観音は火災で焼けた奈良時代の塑像の本尊の再興像で、胸や腰周りなど、どっしりとした重量感あふれる姿で表されている。参拝しているときは大きさに圧倒され気がつかなかったが、本当の岩で出来た岩座に座っているとのこと。これは巨岩に神々が降臨するという日本古来の神道の信仰と観音信仰が結びついたものとのこと。参拝を終えて後ろに展示してある胎内仏も拝観した。飛鳥時代から天平時代に製作された金銅仏でいずれも30センチ足らずの仏像だ。雰囲気が法隆寺48体仏ににており創建当時の塑像の胎内に納められてものと考えられる。思いのほか石山寺で時間を過ごしてしまい予定の時間を過ぎていたので名残惜しいが寺をあとにした。
今年の京都・近江旅行の最後に訪れたお寺が湖南野洲市の蓮長寺だ。2日目
の近江も今年は盛りだくさんで石山寺の如意輪観音の御開帳にでかけ滋賀県立近代美術館の「つながる美・引き継ぐ心」展を鑑賞してから、福林寺の御開帳に立会い、ようやく蓮長寺にたどり着いた。事前に予約したとき御住職が不在だがお寺のご好意で見せてもらうことになった。収蔵庫に案内されると、中に等身大の檜の一木造の十一面観音が須彌檀に安置されていた。聖徳太子が刻んだ比留田観音は腰を強く左にひねったところが特徴だ。ご案内のご夫人が井上靖先生の「星と祭り」に取り上げあられていると誇らしく語ったのが印象的だった。京都駅近くの食事処「鬼河童」に予約をいれていたので名残惜しいがタクシー駅に向かった。
今週の日曜日に仏像クラブの忘年会と称して三浦の仏像とまぐろを楽しむ会を
催した。京急みさきまぐろきっぷを利用して、三浦の天養院の仏像鑑賞と京急ホテルでの入浴まぐろづくしの昼食を楽しんだ。三崎口からぽかぽかした陽気の中お寺に向かった。ここ天養院は鎌倉幕府の御家人和田義盛の菩提をとむらうお寺で、和田合戦のおり薬師如来が和田義盛の身代わりに血を流したという伝説が伝わるところ。拝観の予約をしていたので本堂にあがると客仏の薬師三尊はガルス戸が開けていただいており御住職の心使いを感じた。薬師如来は内ぐりをしていないのか木が割れており、身代わり薬師の伝説はここから生まれたのだろう。薬師三尊は平安時代の神奈川県指定文化財であたたかい三浦の風土にぴったりの穏やかな微笑みをたたえた仏像だった。脇侍の日光・月光菩薩立像も地方仏らしい雰囲気の仏像だった。お寺をあとにし仏像クラブの面々とともにまぐろが待つ城ケ崎に向かった。
昨日、紅葉ラストの北鎌倉の建長寺に向かった。目的は法衣垂下像の地蔵菩
薩に会うためだ。ここ建長寺は鎌倉五山の第一位の寺で北条時頼創建の古刹だ。新TV見仏記「鎌倉逍遥編」でもご本尊の地蔵菩薩が紹介されており、室町時代の代表的な法衣垂下像だ。本堂の中に入るとうす暗いなりにLEDでほのかに照明されているいかにも鎌倉のお寺らしい演出でじっくりしずかに拝観できた。台座を覆い隠すように垂れ下がる台座をいれると5メートルの巨大な仏像で目が青いのが特徴だ。久しぶりの拝観であったが、ひとりでじっくりと拝観できた。紅葉は終わりで夕方になるにつけどんどん気温が下がってくるので、早々に寺をあとにして帰宅した。
現在、神奈川県立金沢文庫で特別展「忍性菩薩」が開催されているので、紅葉狩りをかねてでかけた。金沢文庫に併設されている称名寺の池のほとりの紅葉は見ごろになっており、鴨が池であそんでいる写真をSOLIVE24に投稿してから、閉館時間がせまっている金沢文庫に急ぎ向かった。忍性は密教と戒律を兼ね備えた真言律の教えを広めた叡尊の弟子で関東に下向し鎌倉極楽寺を主な拠点として教えをひろめつつ、病人のための施設を造るなど社会貢献のさきがけを行った僧だ。仏像クラブで4月8日の御開帳日にみた極楽寺の清涼寺式釈迦如来立像や十大弟師、転法林印の釈迦如来、涼しい目元が理知的な文殊菩薩が展示されていた。西大寺の末寺称名寺からは清涼寺式釈迦如来と十大弟師が展示されており、極楽寺像と比較できておもしろかった。普段金沢文庫に保管されている称名寺の像のほうが圧倒的に保存状態はよいが、釈迦如来の顔で比較すると極楽寺のほうがよかった。珍しいところでは茨城の観音寺から鎌倉時代の鉄製如意輪観音が展示されており、以前TV見仏記鎌倉編で行っていたが、京都奈良の文化に対抗すると鉄製に行き着いたという関東仏の特徴が見られる仏像だった。奈良博で展示されていた奈良般若寺の文殊菩薩や茨城福泉寺のもうひとつの清涼寺釈迦如来が展示されなかったのは残念だがそれなりに楽しめて、紅葉に染まる称名寺を抜けて金沢文庫をあとにした。
櫟野寺に伝わる仏像は甲賀様式とよばれているが前期と後期では特徴があり
前期は「よく伸びた細身の体躯」「目尻の吊り上った厳しさを残す目」「裳の折り返しや腰布を独特の衣装で飾る」などがある。今回紹介する仏像も前期の特徴がある像高168センチの観音菩薩だ。櫟(らく)普及委員会のサイトに内覧会のときに御住職がみうらじゅん氏いとうせいこう氏に仏像を説明する動画がアップされていたがこの観音菩薩は大阪の美術館に預けられていたものだった。展覧会公式サイトに掲載された真船きょうこ氏のの漫画にも、「今回は各地の博物館や美術館に寄託していたお像も70余年ぶりに集合したんですよ」という住職のせりふがあり、たしかにこの観音像は櫟野寺でも見ていないなと思った。今回の展覧会がお寺でも味わえない非常に貴重な機会だということがわかった。櫟野寺のすべての仏を堪能して会場をあとにした。
今度の京都・滋賀の旅行を11月5・6日に決めたのは、滋賀湖岸の福林寺十
一面観音に会いに行くためだった。平凡社の「日本の秘仏」の表紙にも出ており、一度は拝観したいと思っていた。滋賀県草津よりタクシーに乗り、守山市の福林寺に向かった。福林寺の十一面観音は年1回、11月の第一週の日曜日との情報を事前に調べてお寺にも確認してから訪問した。お寺の中に入ると本堂の裏手が収蔵庫になっており、須彌檀にこれまで対面してきた数々の観音像とは異なる容貌をした十一面観音が、すっくと立っていらした。お顔や手の白さが際立って見えた。あとで調べてみると、頭上面、両手首先や足先・持物と同じようにあとで補われて、幾度と無く塗り替えられたといわれている。年に一度のご開帳の日で近所の善男善女でにぎわう中、そばにいたお寺の関係者の方より住職の法話を収録したテープをご好意で貸していただき、本尊を拝観しながら聞くことができた。井上靖の「星と祭り」の話も出ており、「仏さまというより天平の貴人」と書いてあるとのこと。親しみやすい庶民のみほとけが多い近江にあって、そう感じさせないからであるが、それがこの観音像の最大の魅力であろう。御朱印をいただき次のお寺を予約しているので福林寺をあとにした。
毎年行っている京都非公開文化財特別公開を朝日新聞デジタルのサイトで調べ
ていたら、昨年十二神将で盛り上がった東寺灌頂院で見仏記でおなじみの夜叉神像が公開されていることを知った。2年連続だが、遅めの昼食をすませて東寺へ向かった。夜叉神像は像高2メートル桧材による一木造。阿形・吽形の2対の雄雌像で一説には弘法大師空海の作と伝えられている。以前は南大門の左右に安置されていたが、近頃放送したTV見仏記でいとうせいこう氏が旅人が門を通るとき挨拶しないとたたりがるといういかにもTV的なコメントをしていたが、たしかに不気味である。普段は夜叉神堂のなかに祀られているが今回は非公開文化財特別公開の一貫として暗いお堂のなかにライトアップされまわりには活花がかざられており迫力があった。いつもの学生の案内人の話によると胸にある穴は蜂が巣食ったあととのこと。改めてみると、雄夜叉は目玉が飛び出しており、腕が抜けおちていた。対面の像は雌夜叉というだけあって、くるくるパーマをかけたように巻いた髪の、五頭身ほどのやはり腕がない像であった。帰りに夜叉神のミニポスターを購入して満足して東寺をあとにした。夜叉神のキシリトールを買い忘れたのは残念だがますます東寺の魅力にはまり五条の宿に向かった。
先月のことになるが東博で開催されている「禅-心をかたちに展」を鑑賞した。展
覧会は京博が春先、東博が秋から開催され展示品を一部入れ替えながら禅宗美術の至宝を通じて禅の歴史と文化を紹介する構成となっている。禅の仏たちのコーナーもあり禅宗特有の仏像・仏画の展示もあった。展示品には近頃、重文指定をうけた静岡方広寺の宝冠釈迦如来や京都宇冶萬福寺の十八羅漢像のうち羅怙羅尊者像から鎌倉でお馴染みの跋陀婆羅尊者まで展示されており、他の宗派の仏との違いが楽しめた。以外に興味をわいたのが、臨済宗中興の白隠禅師の絵画で展覧会冒頭の達磨図や自画像など実に自由奔放に描かれていていっぺんで白隠のファンになった。一部退屈な展示もあったが全体を通しては飽きさせない展示に満足して会場をあとにした。
今回、京都・滋賀旅の目的のひとつが滋賀県立近代美術館で開催されている、
「つながる美・引き継ぐ心展」を鑑賞することだった。滋賀県には大津市歴史博物館を初め多くの仏教美術を鑑賞できる美術館があるが、老朽化で閉館してしまった「琵琶湖文化館」の全国でも有数の質と量の奇託品を展示する展覧会とのこと。入ってすぐのところには近江の正倉院とよばれる聖衆来迎寺の銅造薬師如来が展示されており、平成24年に開催された「近江路の神と仏名宝展」で気になっていた東南寺の地蔵菩薩も展示されていた。今回メインの正法寺の帝釈天はガイドブックでも見たことがない仏像で近江の奥深さを感じた。次の拝観のためタクシーを草津に待たせてあったので、ゆっくり拝観できなかったが、平成32年に新設される新美術館が開館されたらまた訪問したいと思う。
今日から京都の仏像巡りを例年通りしている。毎回ライトアップが行われいる寺院を訪問しているが、今回初めて神護寺のライトアップを訪ねた。街中のライトアップと違い山中なので、訪ねる人も少なく静かなライトアップとなった。今回の目玉は神護寺金堂のライトアップで薬師如来がご開帳された。本来、薬師如来は癒しの仏だが、本像は和気清麻呂の政敵道鏡の呪詛や怨霊を鎮圧するために造られた仏像のため相手を射すくめるような鋭い眼差しを見せ、前に突出した唇などきびしい顔だちをしている。しかしながら今回はまわりが真っ暗で内陣にほのかな灯りがついており、夜のため外陣(軒先)での拝観となったので雰囲気だけを感じ取った。素晴らしい紅葉に包まれひかり輝く仏をあとに神護寺をあとにした。
以前、櫟野寺を参拝したとき気に入ったのがこの聖観音だ。この聖観音はいわ
ゆる「甲賀様式」前期の仏像で「すらりとした長身のプロポーション」「目尻の吊り上った厳しさを残す目」「裳の折り返しや腰布を独特のデザインで飾る」などの特徴がありこの仏像もみごとにあてはまる。像高は170センチ一木造りで台座に乗っているので見上げるようだ。図録を読んで気がついたのだが、耳の形が本尊とまったく同じで本尊像を参考にしたという。興味が尽きない聖観音だった。
今回の「国宝で読み解く神仏のすがた展」で1番気に入ったのがこの迦陵頻伽(
かりょうびんが)だ。この作品はアメリカからの里帰り作品で鎌倉覚園寺の薬師三尊の日光菩薩の今は失われた光背か薬師如来の迦陵頻伽だといわれている。芸術新潮の鎌倉特集に書いてあったが、覚園寺の迦陵頻伽が見てエンジェルがいると外国人観光客が騒いだと書いてあったが、覚園寺の月光菩薩の光背には羽根突きの迦陵頻伽が見られる。本作もたぶん羽根突きだったであろう。覚園寺の薬師三尊は仏師朝祐(ちょうゆう)の作だがおそらく本作も朝祐一門の製作であろう。アメリカに帰れば二度と見れない迦陵頻伽をいつまでもながめていた。
今週の日曜日に港区のほとけさまを見に仏像クラブで、出かけた。日曜日の午前中は東京はあいにくの大雨でコンビニで休憩をとりながらお寺に向かった。長谷寺(ちょうこくじ)にある麻布観音は江戸中期の仏像が東京大空襲で焼失し昭和52年に現代の彫刻家によって再建された 。予定では三田のお寺に行くはずだったが雨が激しくなったので根津美術館に変更して中国の仏像を観賞した。その後表参道のヘルシーなおそばを食べながら仏像について大いに語る仏像クラブの面々だった。
平成24年秋に櫟野寺を訪れた際、本尊以外で1番気に入ったのがこの地蔵菩
薩だ。東博のインスタグラムに会場の様子が載っていたが、照明で金色が光る地蔵菩薩が写っていた。図録を読んではじめて知ったのだが、こちらは櫟野寺の末寺である寛沢寺(地蔵寺)の本尊で、数千人の人々に浄財を募る「勧進」により造られた仏像だ。頭から体は一木その他は別材を組み合わせた一木から寄木に移行する時代につくられた仏像だが、穏やかな表情や薄い体躯のつくりに平安風が残っているという。私もこの表情にグッときた。音声ガイドみうらじゅん・いとうせいこうの櫟野寺仏像トークの中でもこの地蔵菩薩を取り上げており、本の見仏記の挿絵で「グッとくる地蔵パワー」との紹介されている注目の仏だ。平成30年の秋に33年の一度の大開帳があるとのパンフレットを甲賀市職員の忍者から出口の甲賀市の会場特設ショップでもらったので、そのおりは甲賀三大佛とともに参拝したいと思う。日ごろの喧騒を忘れ穏やかな気持ちで会場をあとにした。
今週の日曜日、夏の頃から気になっていた県立金沢文庫の企画展「国宝でよみ
とく神仏のすがた」を鑑賞してきた。称名寺聖教・金沢文庫文書2万点が新国宝に指定されたことにより、同資料を通じて普段あまり見る機会の少ない個人蔵の神像や仏像、仏画などの仏教美術品を中心に紹介する企画展だ。金沢文庫ツイッターの情報によるとわざわざ海外から借りてきた作品もあり、この機会が最初で最後という展示品もあるという。メインイメージの弥勒菩薩の写真を見たときから、これはよさそうな展覧会だなとは思っていたが、出展数は少ないがこれほどまでよい仏が揃っているとは思わなかった。弥勒菩薩は解脱上人貞慶にかかわる仏像で興福寺の子院に伝来したが明治期に流出したものだ。仏の瀬谷さんお得意のうしろ姿が見える展示ケースの中に入っており、製作当初からの光背の装飾もみる価値がある仏像だ。またアメリカのコレクター所有の鎌倉覚園寺薬師堂の日光・月光菩薩の光背にいる迦陵頻伽(かりょうびんが)がなど見所が多く、ボランティアガイドの説明に思わず聞きほれてしまった。実に仏の瀬谷さんらしい展覧会だった。図録をかなぶんカフェで購入し、大満足で会場をあとにした。
本尊を拝観したわれわれ仏像クラブの面々は思い思いに他の仏像を拝観するこ
とになった。私は音声ガイドの順番通り展示番号2の毘沙門天像を拝観した。音声ガイドとみうらじゅん・いとうせいこうの櫟野寺仏像トークを聞きながら毘沙門天をじっくり鑑賞した。お寺での拝観の時とはことなりLED照明に照らされた毘沙門天はやたらかっこよかった。この毘沙門天は通称「田村毘沙門天」と呼ばれていて、蝦夷征伐で名をはせた征夷大将軍坂上田村麻呂の発願で鈴鹿の賊を退治した御礼に作ったといわれている。見仏記の中で前の御住職が「袖の下を絞っていないと山の中を歩けん」という説明にやけに説得力があることを仏像を見ながら思い出した。怒りにこわばらせた表情、立派な体格、堂々とした立ち姿は観音像が多い展覧会場にあってひときわ目を引いた。後で購入した図録に掲載したうしろ姿でこの像が太く立派なのには驚かされた。これは中国・唐時代の流行で比叡山根本中堂にも「身の太き者」といわれる毘沙門天があったといわれており、この仏像もその影響を受けているとのこと。古くからの比叡山とびわ湖の対岸にある山里の櫟野寺との交流に思いを馳せながら音声ガイドにそって次の仏像を拝観した。
今週の日曜日仏像クラブで東博で開催されている「特別展平安の秘仏滋賀櫟
野寺(らくやじ)の大観音とみほとけたち」を鑑賞してきた。櫟野寺は忍者の里で有名な滋賀県の甲賀市にあるお寺で、私も以前、御開帳のおり参拝したが、白洲正子のいう「かくれ里」に20体のほとけがひっそりと祀られている印象をうけた。会場に入るとどんと目の前に大きな十一面観音が展示されていた。台座をあわせると5メートルを越える日本一の十一面観音で、仏像クラブの面々もさまざまな表情をしている頭上面に興味を覚えたらしく興味深く鑑賞していた。十一面観音を囲むように19体の仏が取り囲んでおり、平安時代前期の坂上田村麻呂が戦勝のお礼に造像した田村毘沙門天や2メートルを越す薬師如来から地方色豊かな「甲賀様式」な観音まで飽きさせない展示に大満足な仏像クラブの面々だった。
三重最終日に泊まった温泉つきホテル「ドーミイン津」で朝風呂と朝食をすませて
、すぐ近くにある「蓮光院初馬寺」に向かった。早朝八時過ぎだったが予約してあったので収蔵庫を開けてもらった。蓮光院初馬寺は聖徳太子ゆかりのお寺で非常に歴史があるお寺だ。ご本尊の馬頭観音は秘仏で見れないが平安前期の傑作大日如来と平安後期の秀作阿弥陀如来を拝観した。肉付きの厚い胸をピンと張り、どっしりとした姿を見せる大日如来もよかったが、私は圧倒的に寄木造の阿弥陀如来がよかった。衣の彫りは浅めで動きが少なく、全体的に穏やかな印象を受けた。写真家の土門拳の弟子にあたる藤森武氏もこの仏像に注目しており、「2013年国宝カレンダー」にとりあげているのをお寺の方に教えていただいた。ビルの谷間のお寺でこのような名仏に出会えるとは思っていなかったので三重の歴史の深さを感じつつお寺をあとにした。
亀山を出て松阪での昼食後向かったのが、東松阪の朝田寺だ。みうらじゅん
の東海美仏散歩には駅から徒歩30分と書かれていたが、とんでもなかった。行けども行けどもお寺らしき建物も見えない炎天下を歩き続けた。やっとの思いで寺にたどりついたのは1時間ぐらいたってからだった。朝田寺の地蔵菩薩のことを知ったのは井上正氏の「古佛」だった。そこには地蔵菩薩の顔面のアップがのっていたのだがその強烈な印象にやられっぱなしだ。本堂に入ると地蔵盆の最中で読経が流れていたので、ご遺族の邪魔にならないよう脇に控えておわるのをまった。平安前期につくられた地蔵菩薩で古式の白檀の代用材カヤの一木造で豪快なクスノキの蓮華座にたっている。神護寺の薬師如来にみられるような畏敬を感じる地蔵菩薩といわれているが、私が見る限りでは穏やかな優しいお顔に見えた。お寺の方が気がついていただいて、寺院内の仏像を説明案内してくださった。どれも平安前期の古仏ばかりで寺の歴史を感じさせた。丁重にお礼をいいまた徒歩で駅まで向かった。朝田寺は伊勢の歴史を感じさせる古刹であった。
太江寺の千手観音を見てから伊勢神宮に参拝し、昼食後デザートに赤福氷をい
ただいてからタクシーで同じくご開帳している近長谷寺に向かった。覚悟はしていたが駐車場でタクシーを降り、急坂を200メートル登った。ここで思いもかけないやぶ蚊の攻撃にさらされながら、本堂へと向かった。地域の当番の方に拝観料を払い本堂の中に向かった。ここ近長谷寺は奈良の長谷寺、鎌倉の長谷寺とともに日本三観音のひとつに数えられる。奈良が10メートル鎌倉が9メートルの像高に対し6メートルの威風堂々とした観音様だが、右手に錫杖(しゃくじょう)左手に水瓶(すいびょう)を持つところは奈良の長谷寺と同じだ。奈良・鎌倉のように金箔では覆われておらず、神木を使用した一木造りで制作年代は885年と最も古い。他の長谷観音と同様後世に補修が加えられ顔の表情が変わったといわれているが、神々しさと大迫力で私にせまってきた。当番の方に案内をこい智拳院を結んだ平安中期の大日如来を見せてもらい、お寺をあとにして待たせているタクシーの駐車場までやぶ蚊と戦いながら降りていった。
平成23年に放送された「日本人こころの巡礼」という番組のなかで東寺の五大
明王とともに紹介されたのがこの普賢寺の普賢菩薩だ。いつか会いに行きたいと思っていたが、今回お寺に予約して拝観の運びとなった。伊勢神宮からタクシーに乗り山間の多岐郡の長谷寺式十一面観音がある近長谷寺に参拝してから普賢寺に向かった。普賢寺の開創は白鳳時代で普賢菩薩は平安前期に製作された仏像だ。普賢菩薩は通常「日本国宝展」で見た大倉集古館像のように白象の上で合掌し結跏趺坐するのが通例。しかし本像は横たわってうずくまる白象の上に乗るもののの、手には如意を持ち半跏趺座(はんかふざ)する非常に珍しい姿だ。大振りの宝冠や耳の後ろから肩までかかる髪、両肩にかかる衣文の表現に定朝様式以前の古い作風が感じられる。厚い胸板や直線的な鼻筋、首に刻まれた三道や引き締まった口元にたくましさと力強い意志が漂う菩薩像だ。ここでも田中ひろみ氏のブログが役立ち本堂にある半肉彫りの千手観音やエキゾチックな微笑みをたたえる十一面観音を拝観した。御住職の勧めで予定になかった金剛座寺の仏像を拝観することになり、彼のバイクの先導で金剛座寺に向かいお寺をあとにした。
今日もすばらしい仏像との出逢いが待っていた。最初の計画では入れていなかっ
った三重の奥地の名張の弥勒寺に向かった。みうらじゅん氏の東海美仏散歩に紹介されていたがイラストレーター田中ひろみ氏のブログをみて俄然行きたくなり早速予約した次第だ。管理人の案内で中に入ると中央の1メートル半の薬師如来や十一面観音や二天像などがところ狭しとあり仏像博物館のようだ。薬師如来は平安時代後期の作品らしくマルク優しい顔が特徴的だ。管理人の説明によると薬壷には菊の御紋が入り、天皇勅願で造られたことがわかる。私はじっくり観賞して猛暑の中、次のお寺に向かった。
本日三重の美仏巡り二日目、朝一番に訪れたのが二見浦の太江寺だ。三重の旅は太江寺の千手観音が見たくて計画したようなものだ。階段下の十王堂を見てから、階段を上がり、お寺の方が上がって来るのを待った。しばらくすると係の女性が現れ住職に連絡して本堂内で拝観の運びとなった。千手観音は鎌倉時代の作だが、平安時代の作風が見られる。像高は150センチあまり、寄木造で素地像。全体的な印象は壇像風だが、伊勢神宮に由来する輿玉神社の本地仏だといわれている。横の扉も開けてもらい、唇の彩色やどっしりした量感があり素晴らしかった。目は彫眼でまっすぐ見ており、白毫は水晶がキラリとひかる。厨子の中でライティングされて神々しく、堂々として迫力を感じる。ご開帳日に来て良かった。伊勢神宮に向かうバスの時間もあるので、足早にお寺を後にした。
今日から三重の仏像巡りをしている。今日は亀山の慈恩寺に向かった。慈恩寺
は無住の寺で市役所が窓口となって世話人の方に連絡をとるしくみになっている。日程を連絡してあったので、世話人の方が待っていた。本尊は阿弥陀如来でもとは薬師如来だったと言われている。改作あったかは亀山市の教育委員会は薬師如来に薬壺を持たないものもあることから作り替えはなかったと世話人の方が話していた。製作は奈良時代後期か平安時代前期で、京都神護寺の薬師如来に雰囲気が似ている。桧一木造で世話人の方の説明によると木屑漆を一部使用し、足先にその特徴がよく表されているとのこと。お寺と仏像の説明が入った説明書をいただきいた。よく研究された文章で、観心寺如意輪観音などの乾漆系木彫仏の作例まで記載されていた。思いのほか丁寧なご対応で、三重の仏像巡りのいいスタートがきれてお寺をあとにした。
TV見仏記でみうらじゅん氏・いとうせいこう氏を歓喜させたのが、正妙寺の千手
千足観音だ。普段は小さな祠にまつられているが、TV見仏記で人気に火がつき今では観光バスで参拝するまでになったとか。その仏像が上野の芸大美術館にやってくるということで、ひそかに期待していた。てっきりガラスケースの中での展示と思っていたが露出展示で床の線にはいらないよう気をつけて鑑賞した。なんといってもユーモラスな顔つきが特徴的だ。これでも忿怒相(ふんぬそう)をあらわして眉間にしわをよせている。江戸時代の50センチ足らずの仏像だが、歯を見せて手にはいわゆる「ダブル錫上」とみうらじゅんがいった錫上と戟をもっている。会場の雰囲気を一気になごませる仏像だ。千手観音は多く見ているが千足観音は見たことがなかったのでその造形に興味深く鑑賞できた。念願の仏像に出会えて満足して会場をあとにした。
展覧会の中央でひときわ目立ったのが、来現寺の聖観音だ。TV見仏記でも他
のメディアでも紹介されたことがない仏像だ。弓削町の観音堂に安置される、堂々としたボリュームあふれる等身大の平安時代の聖観音像だ。像高180センチ足らずだが、台座を含めると2メートル近くあり見上げるように拝観した。特徴的なのは山形の髻で簡素であるが、目鼻立ちは大振りで美ししい。左手は腕前で蓮華を持ち、右手は垂下しているのは比叡山横川中道の聖観音に通じる。まだまだ奥深い長浜の仏像底力を感じて次ぎの展示品に向かった。
前回の「観音の里の祈りとくらし展」のプロモーションビデオで会場やHP上でみ
かけた「黒田観音堂」の千手観音に会いたかったが、Ⅱでは上野の芸大美術館にやってくるとの発表があり仏像クラブの年間計画に組み込んで芸大美術館に向かった次第だ。興福寺仏頭展も開催された芸大美術館の1番大きな展示会場の奥に観音様は展示されていた。見逃しそうになっていたU案内人も呼んで一緒に鑑賞した。像高2メートルの大きな観音様で右に九本、左に九本の18臂の仏像から准胝(じゅんてい)観音という説があるという。ヒノキの一木造りで中央の3手が説法印を組むほか、15手が水瓶(すいびょう)や宝剣などをお持ちになっている。会場では判らなかったが、引き締まった口元には、うっすらと紅がのこっている。地下の会場ではモデルのはなさんが「黒田観音堂」を訪ねるプロモーションビデオをやっていたようだが見逃してしまった。滋賀県のアンテナショップで買った雑誌にはお世話をする土地の人の話として、「堂々としてふくよかで、男性のような包容力を感じます」とのこと。男性のような包容力と女性らしい姿をあわせもつ千手観音だった。
今回の展覧会で1番会いたかったのが医王寺の十一面観音だ。「TV見仏記」で
も紹介され、いとうせいこう氏が「なんてやさしい顔だちなんだろう」と感嘆の声をあげているのが印象的だ。会場では十一面が邪魔でよく解らなかったが、頭上に半球状の髻(もとどり)をふたつ結い頂上面をいただいている。左手は水瓶を持ち右手を垂下し、「ほぼ直立の姿」で立っている。この仏像は数奇な運命によりこの長浜市大見地区にもたれされた。明治20年に住職が長浜の古物商より購入し村に持ち帰ったという。小説家の井上靖が医王寺を足しげく通い、「星と祭」では、清純な乙女の姿をモデルにした観音さまとして紹介されている。当初は薬師堂に安置されていたが、観音堂を寄進する人があり、そこへ写しお祀りするようになったという。今では大見地区の選挙で選ばれた3軒の世話方がお守りしているというから、地区の人に歓迎されていることが判るエピソードだ。この展覧会で入場者全員に配布されるクリアファイルの表紙にもなっているメインの仏像だ。私はあきることなく観音様を見上げていたが、他の展示物も気になるのでその場をあとにした。
先週の土曜日、仏像クラブで芸大美術館で開催されている「観音の里の祈りとく
らし展Ⅱ」を見に行った。この展覧会は滋賀県長浜に平安時代から伝わる観音菩薩をはじめとする多くの仏像48点が展示される長浜市役所主催の展覧会だ。会場は興福寺仏頭展と同じで、広い空間に仏像が並ぶ様は壮観だ。入口の近くにはTV見仏記でみうらじゅん・いとうせいこう氏をうならせた医王寺の十一面観音があり奥には井上靖が村の娘さんと小説のなかで書いた石道寺の十一面観音を守る持国天・多聞天が控えており、奥のコーナーにはこの展覧会のポスターになっている黒田観音堂の千手観音が控えていた。変り種としてはみうらじゅん氏を夢中にさせた千手千足観音などの展示もあり、長浜の仏像が大集合していた。なかには秘仏でふだん見れない仏像もあり興味深かった。地下の講堂でギャラリートークが始まるとのこで聞きスライドなどを交えてわかり安い説明と村人の観音に対する信仰の厚さにふれたおもいだった。会場を出て、びわ湖長浜KANNON HOUSEに向かいそこでも観音を鑑賞した。帰りに上野の飲食店によりおいしい食事とお酒を楽しみながら観音について語り合う仏像クラブの面々だった。
今週の日曜日梅雨の晴れ間の猛暑日の中、東博に特別展「ほほえみの御仏ー
二つの半跏思惟像ー」を見に行った。日韓国交樹立50周年記念の展覧会で5月に韓国ソウルの国立中央博物館で開催されたあと、6月から東博で開催されている展覧会だ。展覧会には日本からあの剛力彩芽が涙した中宮寺の菩薩半跏像が、韓国からは国宝78号半跏思惟像が出展された。韓国の仏像を見るのは初めてだったが、国宝78号半跏思惟像は頭に日月の宝冠をかぶった高さ83センチ余の金銅仏だがやわらかい腰つきをしており頬にそっと手をそえる姿勢がすばらしく美しい。この像は内部に土を込めた技法で出来ており胴の厚さは5ミリでしかないとのこと。この薄さが柔らかい木彫像のような金銅仏をつくりあげた秘密だろう。中宮寺の菩薩半跏像は目の輪郭を描かない特徴があるがこの国宝78号半跏思惟像も薄目をあけた表現になっており似ている。韓国には見仏記海外編に出てきた金銅三山冠半跏思惟像があるがこちらは京都広隆寺の弥勒菩薩に似ており、二組の仏像の共通性に韓国と日本のつながりが感じられる。残念ながらもうひとつの半跏思惟像は出展されなかったが、見仏記海外編をたよりに韓国仏像めぐりをしたいものだ。平常展示の11室の仏像を見てから東博をあとにした。
平成25年4月に千葉市美術館で開催された「仏像半島-房総の美しき仏たち-」
展のパンフレットに載っていたのが千葉県富津市の東明寺から出展された薬師如来と十二神将だ。近頃せんとくんの生みの親藪内芸大教授の「仏像風土記」でも紹介されていたが本尊は平安時代後期、十二神将は鎌倉時代の製作で、細かい螺髪や丸みを帯びた輪郭など平安時代末の様式を持っているが、カヤ材一木造の地方色豊かでおおらかな顔つきは、平安時代前期の名残を感じさせる。この展覧会を通じて千葉独自のオリジナルティがある仏像が多いと感じたが、都の仏像のデザインが時差をもって伝播し、前代の様式と折衷されている作例が多く見られるとのこと。十二神将も後世の彩色が施されているが、独自のポーズがうまくまとめられており、中央の正統な仏師の手になるものとのこと。機会があればお寺を訪問したいと思った。
3月まで開催されていた観音ミュージアム「長谷寺仏教美術の至宝-彫刻編-」で
は見たことが無い仏像が展示されていたが、そこで気になったのがこの如意輪観音だ。鎌倉の如意輪観音といえば、来迎寺の観音が有名だがここ長谷寺にもあるとは知らなかった。観音は室町時代の寄木造で如意輪観音の特徴である如意宝珠や輪宝などの持物が失われているのが残念だ。伝快慶作だといわれるが、一面六臂の体躯、足裏を合わせて座る「輪王座」など通例の姿で表現されるとともに、卵型の面部、やや高めに結われた髻、抑え気味ではあるものの動きのある衣文の作りこみなどから宋風の作例を意識して製作された尊像といえるだろう。また目にする機会があればそこらへんを意識して鑑賞したいと思う。
若いころ四国を香川から徳島・高松と旅したとき最後に向かったのが高知市の
雪蹊寺だ。あまり期待しないで霊宝殿に向かいそこで出会ったのが運慶の長男湛慶の毘沙門天だ。このような都から離れた寺に湛慶の仏像がなぜあるのかと思った。毘沙門天の像高は166センチのほぼ等身大で残念ながら両手は失われているが、脇侍もすばらしい。毘沙門天像といえば運慶の願成就院の仏像が有名だが、湛慶の作風は運慶の力動観と快慶の絵画的な整斉感の融合にあり、さらに繊細・優美な王朝文化の伝統が加えられているといわれるが、有名な三十三間堂の千手観音などがその代表作だろう。本作も端正で迫力ある顔に優美さと柔和さを兼ね備えた名作だ。本作は来月イタリア開催の「日本仏像展」に出展され多くのイタリア人の心をつかむことだろう。
先週の土曜日仏像クラブで二子玉川の静嘉堂文庫美術館に「よみがえる仏の美」
展を見に出かけた。静嘉堂文庫美術館には近頃、山本勉先生が唱えた運慶の十二神将のうち7体が所蔵されており、そのうち4体が修理完成し披露されるという。美術館の周りは緑豊かな環境に恵まれていて別世界にまい込んだようだった。会場の中央のガラスケース4つに像高80センチぐらいの十二神将がそれぞれ展示されていた。1番右側の寅神の右手を高く振り上げたポーズを見て、U案内人は「運慶作であることを確信した」とやや興奮して語っていた。この十二神将は昨年拝観した京都浄瑠璃寺から流出したもので、秘仏薬師如来を守る十二神将として製作され、明治になり流失した仏像だ。今回は「修理完成披露によせて」との副題がついていたように展示品の修理過程もパネル展示されていた。十二神将も「静嘉堂120選」図録の写真に比べても色彩がよく修復されこくなっていた。若冲が手本にした「文殊・普賢菩薩像」などの仏画を鑑賞して展覧会をあとにした。昼食で寄ったおそばやで食事をしながら運慶についておおいに語り合った仏像クラブの面々であった。
GWに開催された「新指定国宝・重文展」で私が楽しみしていたのが埼玉浄山寺
の地蔵菩薩だ。「神奈川仏教文化研究所」のサイトをみると昨年無指定から県指定となった地蔵菩薩が今年の3月に国指定とスピード出世した平安前期の県内最古の仏像だという。いままでは毛呂山町の桂木寺釈迦如来が埼玉で1番古い仏像だったが、東日本大震災の時壊れて早稲田大学に修理をしてもらって平安時代前期の仏像だと判明したようです。像高は92センチ弱で穏やかな表情をしていますがなんと言っても衣文が深くダイナミックに彫りこんだ抑揚重文な表現とのこと。ガラスケース越しの拝観であったが衣文のすばらしさが平安前期の雰囲気を持った仏像だった。毎年の国宝・重文の発表ではいろいろな発見があるが来年の御開帳では是非お寺を訪ねてみたいと思った。
国宝阿修羅展が開催された平成21年の秋に上野の森美術館で聖地チベット-ポ
タラ宮と天空の至宝展を見に行った。会場に展示されている仏像はどれも今まで見たことがないチベット密教の仏たちで興味深く鑑賞できた。怪しげな目線で腰をひねらせて立つ高さ160センチの弥勒菩薩像や魅力的な緑のターラー女神像などが会場ところせましと展示されておりチベット密教の世界に引き込まれた。圧巻だったのがパンフレットの表紙を飾る十一面千手千眼観音で像高77センチの17世紀作の銅造鍍金の仏像だが、なんと言っても十一面が5段につみあがった様が印象的だった。手は宝珠や弓矢をとる本手8本と小手992本の真数千手観音で小手それぞれの手の平に目が描かれていた。この展覧会のことを思い出したのは最近購入した「新モンゴル紀行」という本で東洋のミケランジェロといわれる仏師ザナバザルの仏教美術を目にしたからだ。いつかモンゴルに仏教美術を鑑賞しに出かけたいものだ。
先日拝観した宝山寺の制多迦童子をはじめて知ったのが、平成20年8月に購
入した「美仏巡礼」という雑誌だった。そこで慶派の松本明慶氏が次代の国宝として運慶の六波羅蜜寺「地蔵菩薩」・快慶の醍醐寺「弥勒菩薩」とともに紹介されていた。その仏像が東京で見られるとのことで、期待していたが、期待を裏切らない出来栄えの仏像だった。童子の右顔と左顔では印象がちがうなと思ったが、松本明慶氏によると「顔の正面に向かって右側は子供の顔に見える一方で、左側から眺めると思慮深い大人の顔に見えることでしょう。子供と大人、動と静が共存しています。」とのこと。この仏像の作者は文化庁の解説によると宝山寺を創建した湛海(たんかい)律師の仏像製作を支えた院達(いんたつ)という仏師とのことだが、松本明慶氏によると「湛海律師自身がプロデュサーやディレクターの役割を担って製作したと思われます。」とのこと。童子像には見事な截金が施されていたが明慶氏は「仏師が木に彫ったあとの工程で活躍する塗師らの集団も、湛海律師が徹頭徹尾指揮したことで、彼が思い描く世界をそこに実現できたのだと思います。」とのこと。湛海律師の関与を大きくとり上げた内容になっていた。今回重要文化財展このほか矜羯羅童子も出品されていたが他に指定された不動明王を含めての五体の仏像と倶利伽羅竜王像についても指定されたが、出品は二童子だけだったことが残念だ。この仏像に出会えたことを感謝して会場をあとにした。
本日(5月6日)「平成28年新指定国宝・重文展」を見に東博に出かけた。今年は
国宝4件、重文48件の指定がされたが、彫刻が集まる本館第11室のみの鑑賞となった。入口の単独のガラスケースには水-神秘のかたち展で出展された「長快の十一面観音」が置いてあったが、水展であった光背がはずされての展示のため迫力をそがれたかっこうだ。意外によかったのが、大阪清泰寺の伝文殊・伝普賢で解説によると奈良国博の薬師如来に顔つきや身体構成が似ていると書かれていたが、確かに頬の下膨れの感じが似ていた。埼玉浄山寺の地蔵菩薩の衣文のすばらしさや、MOA美術館の像高43センチ足らずの十一面観音の細工の細かさに驚嘆しながらお目当ての宝山寺の制多伽童子・矜羯羅童子の前に進む。制多伽童子は写真で見るより迫力があり衣の截金もすばらしかった。横を向く矜羯羅童子の奇抜さに圧倒された。帰りに法隆寺国宝館の伎楽面の部屋が開いていたので入場してから東博を後にした。毎年見ごたえがある国宝・重文展だが今年もいい仏がそろったとの感想を持った。
平成25年に「なら仏像館」を訪れた際、奇託品の秋篠寺梵天に出会った。秋篠
寺は「東洋のミューズ」といわれる伎芸天で有名なお寺だが、この梵天も同じく頭部は奈良時代の脱活乾漆造、体は鎌倉時代の木造という仏像だ。お寺の伝承では梵天になっているが、体は甲(よろい)をつけた上に条帛(じょうはく)をかけ裙(くん)をつけており、帝釈天を思わせる仏像だ。秋篠寺には帝釈天も伝わっており、よくある取り違えのように思われる。当時はうす暗いガラスケースのなかでの展示だったが、すばらしい造形に圧倒された記憶がある。こちらの日本仏像展に出展されるとの事、鎌倉時代の仏師の技術の高さに多くのイタリア人が感嘆することだろう。
昨日(4月30日)によい天気だったので、鎌倉西御門(にしみかど)にある
来迎寺に拝観に出かけた。仏像クラブでは2回ほど拝観したことがあるが、「新TV見仏記」のDVDを見たとき、みうらじゅん・いとうせいこう氏が有名な如意輪観音と共に、地蔵菩薩・跋陀婆羅尊者(ばだばらそんじゃ)のについても紹介しており、再訪して確かめないわけにはいられなかったからだ。来迎寺はおどり念仏で有名な一遍上人の遊行寺の末寺で、本尊は阿弥陀如来だが見るべき仏像は客仏の地蔵菩薩や如意輪観音だ。「新TV見仏記」で御住職が室町に造られたこの地蔵菩薩のことを「法衣垂下像」の鎌倉の代表的地蔵として奈良博の「鎌倉の仏像展」に出展されたことや跋陀婆羅尊者はお風呂の神様であることなどが語られていた。たしかに地蔵菩薩は台座を覆い隠すように法衣がたれさがっており、尊者像も靴をはきお風呂のお湯をかき回す棒をもたれていた。いつもの如意輪は鎌倉地方にのみはやった「土紋」(どもん)をつけており、美術史的にも貴重な二体が同時に見られるありがたいお寺だった。帰りに御朱印をいただいてつつじ咲く鎌倉をあとにした。
平成25年にはじめて「なら仏像館」(奈良国立博物館本館)で出会ったのが、こ
の十一面観音だ。芳香を発するビャクダン材を用いて一尺三寸という経典に忠実な高さで作られた奈良から平安時代に製作された重文の仏像だ。細身の体つきながらひじを外にはってゆっくり下ろす造形が平安時代の充実した威風を感じさせると奈良博のHPに書いてあった。小像ながら細かい装飾には目を見張るものがあり、東博東洋館で見た「三蔵法師の十一面観音」に通じるところがあるが、装身具の一部などに別材製のものを貼り付け、頭髪に乾漆を盛るなど、唐の作例にみられない技法が採用されており、日本国内での製作とする意見が定説だ。最近文化庁が発表したイタリアで開催される「日本仏像展」に出展される奈良博所蔵の十一面観音はたぶんこの仏像ではないだろうか。すばらしい造形で多くのイタリア人を感動させるに違いない。
先週の日曜日仏像クラブで埼玉県ときがわ町の慈光寺に出かけた。東武東上
線の武蔵嵐山駅より慈光寺に町営バスを乗り継ぎ到着した。境内には山桜がちょうど見ごろで、桜の中を本日御開帳の千手観音を拝観しに観音堂に向かった。千手観音は頭部は室町時代の製作で体部は江戸時代に造られたものだが、近年表面の彩色を塗り変えたらしく新しくなっていた。観音堂を出て国宝のお経の展示室を見ながら収蔵庫に向かう。収蔵庫には1300年間法灯を保ち続けた慈光寺の宝物が並んでいた。私が注目したのが宝冠阿弥陀如来で鎌倉時代慶派の作とのこと。宝冠釈迦如来といえば、鎌倉浄光明寺の釈迦如来や、東博でみた静岡方興寺の釈迦如来のようにりっぱな宝冠をかぶっている仏像を思い出すが、慈光寺の末寺の本尊とのことで宝冠はほとんど壊れて失われており、戦乱の世を耐え抜いたこの寺の歴史を今に伝える仏だった。帰りに日帰り温泉に入り遅めの昼食をとりながらおおいに語り合った仏像クラブの面々だった。
昨年のことになるが大津市歴史博物館で開催された「比叡山展」にてその展覧
会ホームページの表紙に出ていた見たことがない仏像がこの大津市内の個人蔵の菩薩像だ。像高が38センチで平安時代の作だが、個人の念持仏としてはちょうどよい大きさだろう。頭部は大きな髻を表し、後方に貝の様に広げて倒している。左右の耳前で髪の一部を巻き上げ、それが天冠台にかぶさっている。細かく実によく出来た仏像だ。どのような経緯で個人蔵になったかわからないが、大津の懐の深かさを感じさせる一品だった。
2年前、藝大で開催された「観音の里の祈りとくらし」展では狭い会場に所狭しと
18体の仏像が展示されていたが、この菅山寺の十一面観音はそのなかでも異彩を放っていた。それはこの像が他の仏像と違い木心乾漆づくりで、独特の雰囲気を醸し出している1メートル弱の仏像だからだ。漆により、より細かな表現が可能となり若干露歯(ろし)を思わせる開き気味の口元や深くあつい衣文線をあらわしている。近頃見た「新TV見仏記」でみうらじゅんは手前の手を大きくつくってあるという造形の特徴からはいるなどさすが美術のひとだと思った。私も不思議な魅力の観音の前にたたずみ、しばし時間を忘れた。今年の7月に同じ藝大で「観音の里の祈りとくらしⅡ」が開催される。「TV見仏記」で有名なあの千手千足観音や黒田観音堂の千手観音など40以上の仏像が展示される。今から期待している。
先日行った「観音ミュージアム」では、リニューアルオープン展「長谷寺仏教美術
の至宝-彫刻編」の期間中、神奈川最古の大黒天が展示されていた。大黒天は七福神のひとつでインド由来の武装神で三面六臂(さんめんろっぴ)の姿で中国の絵図などにあらわされてきたが、日本に伝来したとき神話の大国主命との習合を遂げて、今の形となったとのこと。初期の大黒天像としては大宰府観世音寺で見た大黒天が有名だが、そちらは厳しい顔つきのに対し、この大黒天は見慣れた穏やかな顔つきでいつもの俵に乗っている。このように穏やかな表情になったのは中世になってからとのこと。中世製作のごく初期の作例として注目されている。ありきたりの大黒天にもこのように深い歴史があるのだと感心し次の展示に向かった。
今週の月曜日の振替休日に仏像クラブの面々と東京根岸の千手院を訪れた。
私はかねてより「東京仏像さんぽ」という本を愛読しており、平成24年の護国寺や毎年行っている七福神巡りなどで参考にして仏像クラブの計画を練っていた。今回の千手院も作者が「圧倒的な装飾の五智如来」と紹介しているので期待して訪れた。お寺につくと本堂の千手観音がご開帳で、双眼鏡で覗くと元禄ごろ作られた細かい42本の手を持つ千手観音が祀られていたのでそちらを先に参拝した。肝心の五智堂は鍵がかかっており中に入れないと慌てていたら、若い僧侶が現れ五智堂の中に入れてもらった。暗いお堂に電灯がつけられ、五体の如来像がずらりと並んでいた。左から阿閦如来(あしゅくにょらい)多宝如来・大日如来・阿弥陀如来・釈迦如来で坐像の台座には過剰とも言える細かな装飾が彫られている。仏像は江戸時代の製作のため新しい感じはいなめないが、悟りを開いた如来らしい深遠な視線でこちらをみつめていた。お寺の方にお礼を言って近くのこごめ大福で有名な和菓子屋へ向かった。昼食をとった日暮里の串カツ屋で串カツをつまみながら本日の仏像についておおい語った仏像クラブの面々だった。
昨年の多摩美大美術館開催の「四国遍路と土佐のほとけ」展の会場は2階と1
階にわかれており、2階から展示を見てから1階のお遍路さんの展示品を見た。2階の仏像が湛慶の大日如来や笑い地蔵のような個性的仏像が揃っていたため、つい見逃してしまいがちなのが、1階に特別出展として展示された竹林寺の阿弥陀如来だ。安阿弥陀様式の像高1メートル弱の美しい仏像で、光背の装飾も美しい。写真集「四国の仏像」でその美しさを再発見した仏像だ。
私が「水-神秘のかたち」展に注目したのはNHK「新日曜美術館」の番組HPに、
この江島神社の弁財天の写真が掲載されていたのを見たのが、きっかけだった。展覧会のタイトルからは仏像の出展が想像できなかったが、その後その番組をみたりBSの番組を見て、水にかかわる神仏の展覧会だとわかった。滋賀県のMIHO MUSEUM所蔵の本作は安芸の宮島、近江の竹生島とともに日本三弁財天のひとつ江島神社にもとあったと伝えられている。福々しい肉付きをみせる顔や腹、目尻を下げた表情などは福神としての性格を濃厚にしている。展覧会に導いてくれた弁財天に感謝し会場をあとにした。
今週の日曜日、鎌倉長谷寺の宝物館が「観音ミュージアム」としてリニューアル
オープンしたのででかけた。展示室は1Fと二階にわかれており、一階は平常展示で長谷観音の映像での紹介と長谷観音の江戸時代のお前立ちと三十三応現身が展示されていた。以前、長谷観音の前に置かれていたとき見た御前立ち十一面観音と印象が違いミュージアムに入る際きれいにに修復されておりすばらしかった。眷属の三十三応現身も御前立観音をくの字型に囲む展示ケースの中に収まってており、暗い室内に照明ライティング効果で劇的見せる展示となっている。3月28日までオープン展として「長谷寺・仏教美術の至宝」が開催されており、多くの仏像を拝観することができて、よかった。ちょうど梅と河津桜が見ごろを迎えて長谷寺の庭を散策するため観音ミュージアムをあとにした。