本日仏像クラブで宇都宮にある大谷寺に参拝に行った。朝九時に宇都宮に集合し乗り合いバスに乗りまずは大谷石の石切場跡地の大谷資料館から地下にある石切場を見学し大谷寺に向かった。拝観料を払いご本尊の大谷寺千手観音に参拝した大谷石を削り千手観音の姿に掘り出された観音様があった。ナレーションの説明では大谷寺千手観音は像高4メートルお寺の伝承では平安時代(810年)弘法大師の作と伝えられている。古くから大谷観音と称され、鎌倉時代に板東19番目の霊場となり、多くの人々に崇拝されたとのこと。最初は岩の面に直接彫刻した表面に赤い朱を塗り、粘土で細かな化粧を施し、更に漆を塗り、一番表に金箔を塗る石心乾漆づくりで最新の研究では、バーミヤン大仏との共通点が見られることから、実際はアフガニスタンの僧侶が彫刻した、日本のシルクロードと考えられているとお寺のパンフレットに記載されていた。特別展文明の十字路を見てきた私とU案内人にとってはにわかに信じがたいが日本で一番古い石仏であることは確かのようだ。お寺には他にも平安から鎌倉にかけてうがたれた石仏もあり観光地としては十分楽しめる内容になっている、バスで午後に銅像阿弥陀如来拝観のため山を下りた仏像クラブの面々だった。
創建1200年記念特別展神護寺の目玉は本尊薬師如来であろう。今回は寺外初公開ではじめて厨子から出て明るい場所での拝観となった。それでもおそろしげな仏像であることに間違いない。なぜ恐ろしげかというと正面から見るのと違い側面の突き出しで正面と側面の印象が違う。また腕・足が恐ろしく太く衣紋の表現も彫りが深く波打っている。この仏像は神護寺の前身寺院河内の神願寺の本尊である。神願寺は和気清麻呂が八幡神と約束して建立した定かくじ額寺で本尊薬師如来は道鏡皇位継承を阻んだ宇佐八幡神託事件ののち、下野薬師寺に配流となり死んだあと怨霊になり和気氏をたたるであろう道鏡調伏のためといわれている。その後空海が神願寺と和気氏の私的な寺院、高雄山寺の合併に大きく関わり、皇統と和気氏守護を願って神護寺が建立されたということだろう。京都1番のパワースポットにまた訪れたいと感じた。
特別展「文明の十字路バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」のメインビジュアルは平山郁夫シルクロード美術館所蔵のガンダーラ弥勒菩薩交脚像だ。バーミヤン大仏の西大仏は弥勒仏といわれバーミアンが栄える200年前にガンダーラで仏像が作られ始めておりバーミヤン弥勒菩薩の原型になったという展開だ。ガンダーラ仏は①頭髪を束ねたり、丸く結う形にする系統と②頭にターバン冠飾といわれる、冠帽状のターバンをつける系統に分かれるが、①は梵天(ブラフマン)②は帝釈天を表す。手塚治虫の「ブッタ」では若きシッダールタ王子の先生として謎のブラフマン先生が生老病死を教えるシーンがあるがそのブラフマンだ。欠落した手には水瓶を持ち弥勒菩薩を表す。この像の特徴は上半身裸で、三種の首飾りや聖紂飾り、臂釧などのの装身具(遊牧民に好まれるモティーフが含まれる)をつけ、左肩から右肩にかけて天衣をまとう。特に台座に腰をおろし、足首を支える交脚倚座と呼ばれる姿である。敦煌にも交脚弥勒菩薩が伝わっているが騎馬遊牧民の王侯像に由来する。東アジアで人々を救いに導く菩薩として幅広く信仰されるが、日本には交脚弥勒菩薩像は伝わっていない。私が思うには遊牧民にとっては交脚が正式な座り方でも正座で暮らしてきた日本人にはあわなかったからだろう。このようにこの展覧会はバーミアンではなくその周辺の仏像からバーミヤンの仏像を想像してみる作業の連続でU案内人もすぐに感想が出なかった。深く考えさせられる展覧会だ。