2024年8月31日土曜日

天台寺の聖観音

 

岩手仏像探訪の旅最終日、盛岡から新幹線で二戸に向かい予約したタクシーで初めて天台寺を訪れた。古代最北の寺院天台寺は当時の日本の統治領域から北にはみ出して整備された。タクシーを降りると最果ての寺院と思えないほどの立派な寺院だった。江戸時代盛岡藩主南部氏による再建だった。二つ収蔵庫や仁王門から続く灯篭群は平成の修理で作家で天台寺名誉住職の瀬戸内寂聴氏のご尽力のたまものだろう。収蔵庫には展覧会で何度かみた仏像が拝観できた。やはり魅力的なのは聖観音で116センチの小さい仏像だが鉈彫りと呼ばれる東国でよく見かける仏像様式だ。体にノミによる横縞模様が施された仏像で意図的にノミ痕を残して仕上げとした鉈彫仏は関東や東北を中心に数十体ほど確認されたいるが、ここ天台寺の聖観音が最高傑作であろう。以前は未完成仏とみる説もあったが天台寺像の背面は平彫で前面の端正なノミ痕を残している。霊木カツラに宿る神が、仏の姿を借りて顕われたようだ。あの井上正先生も鉈彫りのご本尊こそ、その化現の瞬間を彫ったものだと唱えられたとのこと。二戸にタクシーで戻りEUのバイヤーの舌をうならせた北三陸洋野町のウニを購入し盛岡に戻った。

2024年8月25日日曜日

黒石寺の持国天・増長天


 予約したタクシーで黒石寺につくと受付に以前案内頂いた女性がいらしたので拝観料を支払い案内をお願いした。15年前の岩手旅行の最後に黒石寺を訪れている。黒石寺は「見仏記」に載っている寺で、持国天のイラストが妙に印象に残っていたための訪問だった。あれから15年の月日が流れ、新幹線もチケットレスに変わり、行きやすくなっていた。今回の岩手探訪はいくつか目的があったが15年前に訪れた寺を再訪することも目的のひとつだ。収蔵庫で本尊アテルイ薬師に対面したあと、本堂に向かった。本尊跡にたくさんの仏像が囲んでいる。日光・月光その周囲に大きな四天王。これが素晴らしく見仏記的に言えば異常なほどパースが狂っている。頭がやたら小さく逆に足ががっちりとしている。2015年に開催された「特別展みちのくの仏像」では出展されていない四天王の目についての考察が解説されていたが私もミウラサン同様四肢に注目した。腰から下の力強い太さ、むっくりと曲線的に掘り出された質感によって強調されている。上半身は突然細くなるものの、肩のごつさによって、全体としては力を失わない。そして、その肩にめりこんでいるのは、小さな顔だ。口をへの字に曲げ、顎を四角くして、見得を切っている。じっくりと拝観して受付で本堂で見かけた蘇民祭のポスターをいただきタクシーで次のお寺に向かった。


2024年8月22日木曜日

東楽寺の十一面観音

岩手仏像探訪の旅の最後を締めくくるのが、盛岡玉山東楽寺の十一面観音だ。この仏像を知ったのが芸術新潮の平泉とみちのくの仏像という特集であった。中央の十一面観音は3メートルを超え東北地方で成島毘沙門堂に次ぐ大像である。頭頂の化仏と左腕を失っているが、堂々とした量感ある仏像である。他にも首がほとんど取れかけた仁王など私に訴えかける仏像が印象的だった。今度の岩手仏像探訪の旅で一環して言えるのが、多くの名もなき人に守られた仏像が多く見られたことだ。仏教への信仰心が熱いみちのくであった。



北上立花毘沙門堂

本日は一旦新幹線で水沢江刺に戻り毘沙門堂巡りを行った。最初に訪れたのが藤里毘沙門堂で地域に大切に守られた毘沙門天だった。次に訪れたのが、北上市の立花毘沙門堂で、近くの神社で守られた毘沙門天だ。神社の方に収蔵庫を開けてもらうと、中央に小ぶりな毘沙門天と両脇を立派な二天像がいらした。あまりにも不釣り合いだが、確か仏の瀬谷さんが近くの廃寺になった国見山極楽寺は857年に定額寺(=国分寺に次ぐ格の官寺)に列し、僧坊がひしめいていた。その中心が毘沙門堂で、そこには8メートルの兜跋形の毘沙門天があったとのこと。その話を案内の方にすると確かに発掘で相当な寺格を表す発掘品が出たとのこと。ニ天像も南からこの末寺に流れてきたらしいと教えてくれた。最期は花巻の成島毘沙門堂を拝観し今日の毘沙門堂巡りを終えた。

中尊寺金色堂展完結編

今日から岩手の仏像探訪の旅に出ている。東京から満席の新幹線に乗り一関へ。東北本線に乗り換え平泉へ。中尊寺金色堂のチケットは讃衞蔵で売っているのでそちらに向かうと宝物館になっており、境内の塔頭の価値ある仏像が次々と現れたり、東博に預けられている金食堂の長押に飾られた「金銅迦陵頻伽文華鬢」6枚を一同に見れたりと興奮状態だった。展覧会で見た阿弥陀様が遠く見れたが展覧会で間近で見る前と後では断然違っていた。あの素晴らしい阿弥陀様にまた出会えたという印象だ。二天像も本来の武器を手にしてより強そうだ。中尊寺で時間を食ってしまい、昼食の自然薯そばを掻き込み、急いで黒石寺に向かった。

2024年8月16日金曜日

創建1200年記念 特別展神護寺②(日光菩薩・月光菩薩)

 

創建1200年記念特別展神護寺では寺外初公開の仏像が多く拝観できるが、普段ご本像薬師如来の脇侍として金堂の一番奥に祀られる平安時代の日光月光菩薩も間近で見ることができる。見仏記でいとうせいこう氏が記載していたが、「両方とも膝下がやたらと短く、大きな蓮の茎を持っていた。」解説によると理由と時期は定かではないが後世に大破したらしく、大きく手を加えられており、日光菩薩は腰より下、月光菩薩は膝よりした下に当初の姿を残すものの、それ以外は頭部を含めて後補とのこと。後補の時期を特定できない東博に対し見仏記では「顔はどこかいかめしく、柔らかな表情でない。朝鮮半島や中国あたりの男性がモデルといってもいい面相である。」と作風から推定している。髻を結いあげ、宝冠を戴き、条帛・裳・天衣を着けて蓮台上に腰をひねって立つ。現存しないが運慶の仏像もあったらしく、神護寺1200年の間に多くの仏師の手がはいった京都でも貴重な仏像群だと感じた。