2018年1月27日土曜日

快慶展⑥(キンベル美術館の釈迦如来)

快慶展ではこの展覧会で里帰りしたアメリカの美術館所蔵の作品を見るこ
とができた。その代表格がアメリカボストン美術館の快慶初作の釈迦如来であろう。ここで紹介するアメリカ・キンベル美術館の釈迦如来は保存状態もよくいっぺんで惚れてしまった快慶仏だ。展覧会でも一押しの作品で展覧会パンフにしては珍しい縦長でその美しさを強調したつくりになっている。奈良出発前の関東では入手できず、展覧会では会場の入口で真っ先に手に取ったほどの出来栄えだ。像高は80センチ余りと快慶お得意の三尺阿弥陀より小ぶりであるが、光背も当初のもので木製の二重円相光に金属製の周辺部がつきそれはみごとだ。今回は出展されなかったが以前「新TV見仏記」で放送していた高野山光臺院の阿弥陀如来を彷彿とさせるつくりだ。まだ見ぬ快慶の三尺阿弥陀に思いを馳せながら、展覧会最後の章の三尺阿弥陀のコーナーに向かった。

2018年1月20日土曜日

運慶展⑨光得寺の大日如来

昨年の運慶展には毎年夏に東博で見られた光得寺の大日如来も出展されて
いた。他の出展作品に比べて小ぶりで会場では目立たなかったが、山本勉先生や仏の瀬谷さんの文章を熟読すると運慶にとって大きな意味を持つ作品とのこと。運慶は初作の円成寺大日如来を製作したころから空海作東寺大日如来に強いあこがれをもっていた。しかしその当時から東寺の大日如来は秘仏で講堂内には入れてもらえなかった。しかし東寺の仏像修理を運慶一門が担うことになり、あこがれの大日如来に対面したのちにこの光得寺像は製作されたという。足利義兼追善のために製作されたが、そこで運慶は思う存分東寺講堂の大日如来の再現を行ったことが伺える。仏の瀬谷さんも「小像ながらも強度に満ちた豊満なたたずまいは、東寺のオリジナルに接し得たがゆえの運慶の感動と確信に由来するのではないか、などど想像を誘われてしまいます。」と言っている。今月から始まった金沢文庫「運慶展」にも出展されているので運慶の熱い思いを感じつつ拝観したいと思う。

2018年1月13日土曜日

快慶展⑤(西方寺の阿弥陀如来)

昨年の快慶展では通常非公開な仏像も多数展示され代表格は京都遣仰院の
阿弥陀如来だろう。ここで紹介する快慶三尺阿弥陀の名作西方寺の阿弥陀如来も三重新大仏寺や奈良長谷寺など快慶ゆかりの寺院に近い桜の美しい山添村の人々によって今日まで護られてきた。多摩美大の青木先生によると緊張感と穏やかさをたたえたその表情は遣仰院阿弥陀如来像とともに若き日の快慶の代表作である。快慶展で三尺阿弥陀だけの若き日から晩年の写真を並べたクリアファイルを購入したが、この西方寺のあと幾分ふくよかさがなくなっていくが金泥塗など快慶お得意の着衣表現により進化していったと思う。展覧会の最後のコーナーでこのような名仏に出会うことができ最後まで飽きさせない展示にここちよい疲れを感じて会場をあとにした。

2018年1月7日日曜日

運慶展⑧興福寺北円堂の四天王

昨年開催された「運慶展」で画期的な展示は何といっても興福寺北円堂の
無著・世親像の周りに興福寺南円堂安置の四天王像を配したところだろう。以前はこの四天王は東金堂に安置され、慶派一門の定慶作とする説があったが、金沢文庫の仏の瀬谷さんが北円堂安置説を唱えるようになり、今ではほぼ運慶指導のもと四人の息子たちが製作したことが定説化されつつある。瀬谷さん解説の芸術新潮「オールアバウト運慶」によると彼が着目したのが本来黒又は濃い青でぬられるべき多聞天の肌が白いことだった。そこで改めて着目したのが、北円堂再建に関与した解脱上人貞慶の存在。平成24年に金沢文庫で開催された解脱上人貞慶展の展示解説を仏の瀬谷さんから直接聞いたとき上人が弥勒信仰の持ち主だということを熱く語っていたが、「オールアバウト運慶」では篤い舎利信仰の持ち主で舎利の色として「白玉色」を強く意識していたことがわかったとのこと。宝塔を頭上に高々と掲げた多聞天のポーズも宝塔=舎利容器と考えれば腑に落ち、北円堂の諸像には、舎利信仰を称賛するための一貫した演出が施されているとの瀬谷さんの解説だった。確かにこの説は納得できるものであり私も彼の主張に耳を傾けざるおえないと感じた。ここに新たな運慶作の発見を感じつつ第一会場をあとにした。

2018年1月1日月曜日

金剛輪寺の大黒天

昨年の秋の京都滋賀旅行の2日目、西明寺の次に愛のりタクシーで向かった
のが金剛輪寺だ。旅行前にネットでお寺情報を調べていたところ、関西系のテレビニュースで金剛輪寺の紅葉が見頃と大黒天御開帳が取り上げられていて、実にラッキーなタイミングでの拝観となった。愛のりタクシーを降りて長い石畳が敷かれた石段を上ると、いま盛りの紅葉でいっぱいの境内に入った。特にニュースで言っていた「血染めの紅葉」は本堂横の真っ赤な楓を指すようで素晴らしかった。興奮を抑えつつ本堂にあがった。お目当ての大黒天は小さな厨子の中に祀られていた。像高74センチ余りで、平安時代の一木造りで日本最古の大黒天とのこと。鎌倉長谷寺で見る大黒天のように打出の小槌は持たず、甲冑を身に着け宝杵(ほうしょ)を持ちいかめしい表情を浮かべている。大黒天はヒンズー教のシヴァ神の化身を仏教に取り入れたものだから日本に伝わったのも当初はこのかたちだったのだろう。昼食に「僧兵うどん」を食べて金剛輪寺をあとにした。