運慶展⑧興福寺北円堂の四天王
昨年開催された「運慶展」で画期的な展示は何といっても興福寺北円堂の
無著・世親像の周りに興福寺南円堂安置の四天王像を配したところだろう。以前はこの四天王は東金堂に安置され、慶派一門の定慶作とする説があったが、金沢文庫の仏の瀬谷さんが北円堂安置説を唱えるようになり、今ではほぼ運慶指導のもと四人の息子たちが製作したことが定説化されつつある。瀬谷さん解説の芸術新潮「オールアバウト運慶」によると彼が着目したのが本来黒又は濃い青でぬられるべき多聞天の肌が白いことだった。そこで改めて着目したのが、北円堂再建に関与した解脱上人貞慶の存在。平成24年に金沢文庫で開催された解脱上人貞慶展の展示解説を仏の瀬谷さんから直接聞いたとき上人が弥勒信仰の持ち主だということを熱く語っていたが、「オールアバウト運慶」では篤い舎利信仰の持ち主で舎利の色として「白玉色」を強く意識していたことがわかったとのこと。宝塔を頭上に高々と掲げた多聞天のポーズも宝塔=舎利容器と考えれば腑に落ち、北円堂の諸像には、舎利信仰を称賛するための一貫した演出が施されているとの瀬谷さんの解説だった。確かにこの説は納得できるものであり私も彼の主張に耳を傾けざるおえないと感じた。ここに新たな運慶作の発見を感じつつ第一会場をあとにした。
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