10月31日に京都を訪れたのは、その前日に京都非公開文化財特別公開が始ま
るからだ。滋賀から戻って昼飯前に東山区の西方寺に向った。この西方寺はインターネットの記事で野鳥の会が数えたほど多くの化仏がついた光背を持つ阿弥陀如来で有名だ。本堂に入ると中央に黒光りした平安時代の丈六阿弥陀があり、参拝者が整列して若い案内人(檀家のお嬢さんか?)の説明を聞く京都非公開文化財特別公開のいつもの段取りが行われていた。本尊は白河天皇の勅願で建てられた法勝寺から写されたもので、後補だが観音・勢至菩薩とよくあっていた。若い案内人がライトをかざして光背の中に青いお不動の化仏があることなどを説明してくれて興味深かった。秀吉の木像の説明なども聞き思いのほか時間がかかったが満足して寺をあとにし、おばんざい定食で有名な御池の小料理屋に遅めの昼食をとるために向った。
今週の日曜日、仏像クラブで横浜市金沢区の宝樹院を訪問した。宝樹院
の阿弥陀三尊を初めて鑑賞したのが平成26年の1月にサントリー美術館で開催された「天上の舞飛天の美」展でのことだった。この展覧会では修理中の平等院の雲中供養菩薩を中心に「飛天」の彫刻が主な展示だが、宝樹院の阿弥陀三尊の光背にも飛天の透かし彫りが施されておりその関係で出展に及んだのだろう。この展示には横浜市の宝樹院からの出展とし書かれておらず、お寺の場所がわからなかったが、昨年金沢文庫で開催された「仏教美術逍遥」展の図録に仏の瀬谷さんの解説が載っているなかで、写真とともに紹介されたことで、金沢文庫の近くのお寺であることが判明し今回の訪問となった。小高い岡の上に立つ宝樹院につくと、お寺の方から事前に扉をあけていただいていると聞いていたので、阿弥陀堂に向った。障子をあけると奥に仏像がおわした。横浜市の解説板によるとふもとにあった称名寺の末寺「常福寺」からの客仏で、平安時代末の製作だ。展覧会場では照明に照らされ金色に光っていたが、今回は落ち着いた印象を受けた。お寺の方にお礼をいい、宝樹院をあとにし、本日御開帳の神武寺へ向った。
南山城の岩船寺を見た後小さなお寺を二つ巡って、海住山寺にたどりついた。
海住山寺の十一面観音といえば解脱上人定慶の念持仏といわれる奥の院の十一面観音を思い浮かべるが、ここで取り上げるのは像高190センチほどの本尊十一面観音だ。本堂に入ると厨子の中に十一面観音がおわした。一見して仏像というより神像に近く素朴な雰囲気の仏だった。研究家の中には在地の仏師が平安時代に造ったという説もあり、優雅で気品に富んだ解脱坊の十一面観音に比べてやや劣る印象だった。制作年代も10世紀をとる説が多いなか、かの京博の井上先生の「古佛」によると「奈良時代乾漆像の様相をきわめて忠実に写した特異な一木彫である点に注目し奈良時代の(高僧良弁)創建の伝承はいちがいに否定できない」と言っておられた。暗い本堂内での拝観では、解らないが、多くの仏像写真をみるとすばらしい仏像に写っている。一度博物館か美術館の照明に照らされたお姿を見てみたいと思った。日も暮れかけてきたので、最後のお寺の神童寺に向った。