今回の京博での「南山城の古寺巡礼展」で唯一見逃した仏像がこの浄瑠璃
寺の薬師如来だ。展示期間が5月の中旬からのため見ることができなかった。そもそもこの薬師如来は浄瑠璃寺の旧本尊で浄瑠璃寺の名前も薬師の浄土である浄瑠璃世界から命名されたものだ。現在はかの有名な九体阿弥陀が本尊になりこの薬師如来は池の対岸の三重塔に納められており、1年のわずかな期間しか拝観することができない。九体阿弥陀の製作時期よりさかのぼるという。いつか眼にしたい仏像だった。
昨日、元箱根の興福院に仏像クラブの面々と出かけた。興福院には平成23
年に鎌倉国宝館で開催された特別展「鎌倉×密教」に出展された普賢菩薩がある。「鎌倉×密教」展には肥後定慶作不動明王を初め多くの仏像が展示されたが、そのなかで印象に残った仏像のひとつで、いつか再会したいと思っていた。生憎の雨模様だったが、お寺のお嫁さんがこころよく弘法堂を開けていただき、ガラスケースに入っている普賢菩薩と対面した。手には経典と剣を持ち髻(もとどり)は運慶の大日如来のように華やかに結い上げることから慶派仏師の作だと思われる。頭と体の大きさのバランスがよく、衣文を波立たせているなど、慶派仏師の力量をよく表している。お堂の中は電気をつけてはいただいたが、うす暗いのが、目がなれたことによりこの仏像の素晴らしさが伝わり思わずうなってしまった。像底の銘文からこの像が普賢菩薩であり肥後定慶活躍時期と近い制作年代であることから、肥後定慶作ではないかと思った。また機会があれば鎌倉国宝館や金沢文庫に出展されることを期待して、お寺を後にした。
今回の南山城の古寺巡礼展では、3年前の秋に出会った仏像たちに多く再
会した。この禅定寺の文殊菩薩騎獅像(もんじゅぼさつきしぞう)もそのひとつで、以前はお寺の収蔵庫に多くの藤原期の仏像郡と一緒に拝観した。今回改めて展覧会で鑑賞するとひとつひとつがじっくり見れてよかった。みうらじゅん氏にいわせると「プリティな獅子」に乗る文殊で、安部文殊院の獅子のように力強さを感じさせない。図録によると象に乗る普賢菩薩(ふげんぼさつ)と一対で現在はその象に大威徳明王が乗っている。そのことは見仏記でもふれていて、さすがと思ったが、今回は重文に外れているため問題の大威徳明王の出展はなかった。今はすべての仏像が寺に戻っているという。何年かしたらまた訪ねに行こうと思った。
以前、南山城を訪れた際、最後に拝観したのが蟹満寺だった。その創建時
期をめぐって論争が戦わされた蟹満寺の釈迦如来像の斜め後方の段上に安置されていたのが、今回展示されている阿弥陀如来像だ。近年再興なった真新しい本堂にこの小さな阿弥陀如来が安置されていたとは、気がつかなかった。余にも本尊の釈迦如来が大きいので眼にはいらなかったのかもしれない。小像でありながらも量感あふれる力強い像の姿から、平安時代初期の九世紀にさかのぼる像と考えられる。足先まで衣につつんだ姿が慶派仏師に影響を与えたという。慶派仏師が見ていたのはこの仏像の基準となる今はなき薬師如来か。いろいろ想像させる仏像だった。