2024年9月23日月曜日

特別展「文明の十字路バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」①


 本日(9月21日)に東京日本橋にある三井記念美術館「特別展文明の十字路バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」にU案内人にと出かけた。この展覧会は2021年にイスラム原理組織タリバンによって破壊されたバーミヤン遺跡の高さ38mの「東大仏」と高さ55mの「西大仏」の爆破前に模写した貴重な壁画の画き起こし図を東京で初公開するにあたり周辺のガンダーラ遺跡出土の文物と日本に伝来した弥勒信仰によって作られた仏像を展示する展覧会だ。渓谷の崖面には多くの石窟と東西二体の大仏が掘られ、東大仏の壁画にはイランの太陽神「ミスラ」が、西大仏は弥勒大仏で仏龕天井には弥勒菩薩を主導とした兜率天世界が描かれた。画き起こし図によるミスラの姿は四頭立ての馬車に乗りマントを翻し、盾と弓を持つ二女神を従える姿だが、第一室では周辺のガンダーラやマトゥーラ遺跡出土の文物からミスラと思われる姿を追ったコインやスーリヤ象が並ぶ。第二室では西大仏弥勒の日本の姿の代表として野中寺弥勒菩薩像。展示3・4室は名古屋大学名誉教授宮治氏のバーミヤン大仏壁画の研究ノートと画き起こし図。古代のバーミヤンで学んだ三蔵法師の関連する薬師寺玄奘三蔵像と重文の玄奘三蔵像などが並ぶ。また西大仏のインドでの弥勒の表現としてガンダーラの弥勒菩薩交脚像や中国や朝鮮での姿として、菩薩半跏思惟像や京都妙傳寺(みょうでんじ)の菩薩半跏像が並び最後に日本の弥勒菩薩が三井記念美術館お得意の個人蔵の弥勒菩薩像が並ぶ。三井記念美術館がすべて国内の美術館や寺院から集めてこのテーマで展覧会が開催できたことはすばらしい。清水館長をはじめとした美術館関係者の努力に感謝したい。

2024年9月14日土曜日

創建1200年記念特別展神護寺③(五大虚空蔵菩薩)


 特別展神護寺の仏像展示のトップバッターはこの五大虚空蔵菩薩だ。毎年一定の期間しか神護寺では御開帳されないので私も神護寺では見たことがなかった。展覧会では1体だけ展示はあったが五大虚空蔵菩薩揃い踏みが謳い文句となっている。虚空蔵菩薩はそれぞれ名前があり宝戒・金剛・宝光・蓮華・業用虚空蔵菩薩となっておりそれぞれ色がよく残っている。みうらじゅん・いとうせいこう氏も新TV見仏記で初めてみれたぐらいの秘仏だ。みうらじゅん氏は独特の感性で色分けされた虚空蔵菩薩をレッドマン・ブラックマンと呼んでいたが、私が気に入ったのがブルーマンで宝珠を執る。神護寺の宝塔内では横一列になっているが、記録によれば今回の展示のように法界像(ホワイトマン)を中央に東北・東南・西南・西北に並んでいたという。ヒノキの一材で頭髪に乾漆をもった木心乾漆造の仏像だ。本像の造形は今回出展された高雄曼荼羅を典拠としている。神護寺にとって貴重な作例であることは間違いないだろう。クリアファイルが売っていなくて残念だったが、代わりに高雄曼荼羅の虚空蔵菩薩がアップにされたものを購入した。それによると虚空蔵菩薩に火炎光背が描かれていることから当初は立派な光背がついていたことを想像しながら会場を後にした。





2024年9月8日日曜日

成島毘沙門天に再会する


 岩手仏像探訪の旅2日目最後に訪れたのが、15年前にも訪れた成島毘沙門堂だ。新花巻の駅からタクシーで東和町に向かい入口の女性に拝観料を払い三熊野神社と成島毘沙門堂の共通拝観券を購入しまず三熊野神社から拝観した。ここは坂之上田村麻呂が和歌山の熊野三山からここに移し本殿を建立したとのこと。15年前より神社がこぎれいになり神主らしき人もいるように感じた。以前はこの後ろの廃屋のような建物に毘沙門天を祀っていたが重文指定で収蔵庫に移したとのこと。そちらを目指して、さらに少しばかり山を登ると、寺男のおじいさんがニコニコして拝観券をチェックして収蔵庫に入れてた。なつかしい兜跋毘沙門天が地天女と呼ばれる女性の肩に乗り見下ろしていた。ほぼ五メートルはある一木造りだ。脇をみちのくいとしい仏たち展に出展していた尼藍婆・毘藍婆が癒やし系で固めていた。また東博みちのくの仏像展に出展された伝吉祥天の美仏がひとりたっていた。その空間に酔いしれいつまでもいたかったがタクシーを待たせているので、期間限定のすいかの絵がかわいい夏詣の御朱印をいただき新花巻に戻り新幹線で盛岡に向かった。