明治14年の火災の翌日早速遷仏場ににもってこられたのが、釈迦本尊と迦葉阿難像だ。東福寺山内の万寿寺からもってこられた三体の仏像は元は廃寺となった三聖寺の仏像で禅宗寺院では釈迦から迦葉・阿難と仏教教団が引き継がれ達磨大師が中国に禅宗をもたらし、中国僧から道元・栄西・円爾にもたらされた。迦葉は釈迦より年長者である日釈迦が無言で華をつまんでみせたが他の弟子はわからなかったが迦葉だけはにっこり釈迦の心を理解したという。手塚治虫のブッダではカッサバ仙人であらわされているが、本像では眉がふさふさに伸び厚みのある浮彫で表し、目は大きく見開き、目尻が垂れる。鼻は鷲鼻、皺の多い老人僧として表現されておりニコ生美術館で浅見学芸員が唇と顎との間のある筋肉が貝のような皺と表現されていると紹介されていた。手塚治虫のブッダでは悪党アーナンダで登場する阿難の鼻の高さにも触れ、女子にもてる美男子とニコ生サポーター受けするコメントで紹介されていた。図録の解説では宋風の影響を受けた彫刻とあっさり表現されている。いろいろ興味がつきない展示だったが、四天王も気になるのでその場をあとにした。
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