2021年3月27日土曜日

特別展「横浜の仏像」⑨(宝樹院阿弥陀三尊)


宝樹院阿弥陀三尊は2015年に展覧会とお寺で二回も見に行った仏像クラブ思い出の仏像だった。今回の「横浜の仏像」でも出展されており、山本勉先生の講演でも取り上げられていた。山本先生の図録解説によると元は金沢文庫近くの称名寺の末寺である廃寺常福寺にあったことが、山本先生お得意の像内納入修理眼文で明らかにされたことが、説明された。眼文には願主の内藤武直の名が見られ相模国在庁官人で源義朝との関係もある人物とのこと。中尊は偏袒右肩に衲衣を着け、腹前で定印を結ぶ。脇侍は珍しく左手を曲げ、右手を下げる同型だが、中尊寺阿弥陀三尊より水準は低いとのこと。惜しむべきは中尊を修理時に髪高や目つきに修理を加えたことだろう。専門家の解説を直接聞けて、会場で見かけた山本先生のツィターによると会場で質問を受けるためにいらしていたとわかり質問すればよかったと悔やまれる仏像展だった。 

2021年3月20日土曜日

特別展「横浜の仏像」⑧(龍華寺阿弥陀如来)

 

山本勉先生の講演もいよいよ彼得意の定朝以降の仏像の話となった。王朝仏への憧憬のコーナ-でまず彼が紹介したのが、龍華寺阿弥陀如来だ。メディアではもっぱら證菩提寺の阿弥陀如来を取り上げていたが、山本先生はまず定朝に影響を受けた横浜の仏像の一覧から説明した。仏像クラブで見に行った證菩提寺や宝樹院阿弥陀三尊が紹介された。龍華寺は何度も行ったがこの仏像を見るのは、初めてだ。後世の修理による金泥塗がみごとな仏像で、山本先生によると、平等院鳳凰堂の阿弥陀如来に匹敵する金泥塗とのこと。像内銘文より製作年代が特定できる貴重な仏だ。山本先生お得意の像内銘文を映したスライドがながれ高野山の僧蓮意の名前が記載されていることから高野山で製作され何らかしら経緯で龍華寺にもたらされたのであろう。御室派の関東の名刹龍華寺が西日本の寺院とつながりがあってもおかしくない。会場では金泥塗の素晴らしさに感動してこの仏像を見入っていた。


2021年3月13日土曜日

特別展「横浜の仏像」⑦(向導寺の阿弥陀如来)


 展覧会場入り口が最近はやりのフォトスポットになっており、泉区向導寺の阿弥陀如来が展示してあった。関東大震災で大破しバラバラになっている仏像を今回の展示のため組み立てたものだ。講演で少しふれられたが、今回お笑いタレントみほとけの「みほとけちゃんねる」で山本先生が詳しく解説されていた。こちらは横浜文化財指定仏像の第一号で平安時代後期の作。定朝様式の仏像で耳の前にある突起が特徴だという。さらに図録の解説によると粒上の螺髪は後補に群青色に着色されており、もとは黒漆塗の仏像だあったとのこと。いきなりインパクトある仏像からはじまり、しかも定朝様式とは「横浜の仏像」の世界にいっきに引き込まれる阿弥陀如来であった。



2021年3月5日金曜日

特別展「横浜の仏像」⑥(弘明寺十一面観音)


 弘明寺の十一面観音は以前仏像クラブで御開帳のおりに拝観したが、いよいよ山本勉先生の講演でもこの仏像の話に及んだ。まず山本先生は鑑真来朝から平安前期までの中央仏と地方仏の比較を語り代用壇像(カヤ)による官営工房で生み出された捻塑像(木心乾漆・脱活乾漆)の整理・洗練された仏像に対し、民間私寺による木彫像の野趣あふれる個性的な仏像が生まれたとのことだった。先日のBS日テレ「ぶらぶら美術館」でも東北の仏像に似ているとして証菩提寺の薬師象が紹介されたが、弘明寺十一面観音がそれにあたる。次に山本先生の講義は鉈彫りの説明に入り「像の全面または大部分に、水平方向のノミ痕を残す素地仕上げの木彫像」と説明し木で仏像をつくることの根本思想の表現とし、つまり木から仏があらわれる表現で、地方の独自性を主張していると。弘明寺が当時の群のあった場所にあり、鉈彫りに公的性格を持たせたと主張した。展覧会場でU案内人が指摘した仏像が割れていることに対しても山本先生によると立木から仏像をつくる神木のためとの説明だった。ひとつの仏像からこのような洞察をする山本先生に頭がさがる思いで十一面観音を鑑賞していた。