この春開催された「名作誕生展」では平成18年に開催され見逃した「仏像~一木に込められた祈り展」で出展された仏像も多く出展されていた。この阿弥陀寺の薬師如来もそのひとつだ。ウェブによるとその解説では「幅が広く、あごの出が少ない寸詰まった顔立ち特色があり、表情に霊的な雰囲気が漂う。」と書かれており、神護寺の薬師如来などの怖い顔の仏像を想像していたが会場の明るい照明からはそのようには感じなかった。この展覧会では名作のつながりをテーマにしており阿弥陀寺像も唐招提寺の薬師如来の左袖の木彫らしい表現のつながりを図録で解説している。中国人の仏師が製作した薬師如来像ではひだの彫りが浅く中国の石製の仏像を彫ったようだが、阿弥陀寺像では深く自在な表現をする日本の木彫像のノミの切れ味を楽しむような表現が見られる。京都の城陽市にある阿弥陀寺をいつか訪ねる機会があれば霊的表情と左袖の表現に注意して拝観したいと思う。
昨年訪れた信州のお寺を仏像クラブの面々を引き連れて、今週の日曜日に日
帰りで訪問した。予定していたお寺が住職不在のため、昨年訪問した白洲正子の「十一面観音巡礼」に書かれている青木村の大法寺と松代の清水寺を訪れた。長野新幹線で上田に向かい、駅前で待ち合わせし路線バスで最寄りの当郷というバス停で下車した。日曜日の長野地方はよく晴れて連日の猛暑が続いており暑い中道に迷いながら、大法寺についた。大法寺は藤原鎌足の子「定恵」が大宝年間(飛鳥時代)に創建した古刹で、境内にある「見返りの塔」と呼ばれる三重塔が有名。三重塔観光後、手前にある「観音堂」にお寺の方に導かれて須弥壇の後ろに向かい十一面観音を拝観した。白洲正子によると「穏やお顔が地蔵様に似ているのは、地蔵と十一面を一体とみなす思想の現れであろう」とのこと。お寺のかたの説明では目を閉じているのが特徴と言われている。ゆっくり拝観したかったがタクシーを待たせているので松代清水寺に向かった。清水寺では東日本最古の千手観音・地蔵菩薩・聖観音を拝観し松代の国民宿舎で温泉と昼食をすませ、松代観光を行った。長野から新幹線で帰る前に長野の美味しい天ぷらやおそばをいただき、仏像から文学まで幅広く語り合った仏像クラブの面々だった。猛暑とともに記憶に残る仏像鑑賞旅行であった。
特別展名作誕生の第1章テーマ2は祈る普賢だ。ここでの目玉は二つ普賢菩薩
の国宝が揃うコーナーだろう。一つは大倉集古館の普賢菩薩騎象でもう一つは東博所蔵の絵画国宝第一号の普賢菩薩像だ。文殊菩薩とともに、釈迦如来の脇役として白象に乗った姿で表されることが多い普賢菩薩。低い地位に見られていた女性が成仏するための本尊として、平安後期に流行した。この作品は円派仏師の作で寄木造で装飾が美しい。ご親切な美術愛好家のお年寄りが話しかけてきて、截金文様が普賢菩薩や白象に施されていることが良く見えると教えていただき、友人とともにまたとない機会なのでじっくり鑑賞した。一緒に展示されている院政期の代表作普賢菩薩像が画面から抜け出したように感じた。どちらの国宝も素晴らしくその場に釘付けになったが、壇蜜絶賛の若冲の絵画も気になったので次の展示テーマに向かった。
今回の国宝・重文指定の目玉は何と言っても三十三間堂の千手観音1001体の
国宝指定だろう。文化庁が戦前・戦後を通じて一貫して修復作業を行い、この度1001体目の千手観音が修理を終えてお寺に納入されたニュースは記憶に新しい。これを機会に文化庁が千手観音の国宝指定に踏み切ったのだろう。三十三間堂は平安時代に後白河法皇が平清盛に命じて造営され、鎌倉時代にいったん火災で焼失したが、後嵯峨上皇によってすぐさま再建されたのが鎌倉後期。千手観音の1001体のうち創建時のものは124躯、鎌倉時代再興のものが876躯。室町期の補作が1躯。創建時の千手観音には西村公朝によると運慶作の千手観音もあったとのこと。再興にあたっては慶派の棟梁・湛慶が中心となって、慶派・円派・院派の三派仏師が総力をもってあたったとのこと。今回の展示から1001体が並ぶ様子を想像するのは難しいが、平成20年にU案内人と三十三間堂を訪れており、そのときの様子を思い出しながら展示品を鑑賞した。いつか機会があればまた訪れたいと思う。