平成23年、県立金沢文庫で開催された「運慶展」には瀧山寺の帝釈天と
ともに聖観音の装身具も展示されていた。その後、瀧山寺を訪れ聖観音をはじめて拝観した時もつけていなかった。今回の東博開催の「運慶展」ではなんと聖観音に装身具をつけ展示されているとのことで、ひそかに期待していた。聖観音は像高175センチ弱で源頼朝三回忌供養のため頼朝の従兄にあたる僧寛伝が建立し、頼朝等身大の聖観音を造り、像内に頼朝の遺髪(あごひげとも)と歯が収められており作者は運慶・湛慶との記録がある。金沢文庫の「仏の瀬谷さん」によると自由にうねる天衣をはじめ、衣装の表現は高野山の八大童子のそれをさらに洗練された趣とのこと。問題の装身具だが当初は後補のものと考えられていたが、近年その大部分が造像当初のものという見解が示され今回の展示となった。唐草文様の光背としっくりして私も運慶がつけたと確信した。光背は東博法隆寺宝物館にある光背とそっくりで芸術新潮の「オールアバウト運慶」によると頼朝を聖徳太子になぞらえて、東大寺焼き討ちをした平家を廃仏をした物部氏との関係に重ねているという。いろいろ示唆に富む聖観音であった。来年の金沢文庫開催の「運慶展」では瀧山寺の梵天が展示されるとのこと。ここら辺を踏まえてじっくり拝観したいと思う。
今年の秋の「京都非公開文化財特別公開2017」の目玉は南山城になってい
る。専用サイトでも現光寺の十一面観音が大きく取り上げられていた。京博や金沢文庫での展覧会では見かけた仏像だが、お寺に行くのは今年が初めてだ。JR加茂駅から歩いて18分となっていたが、目立った標識もなく土地の古老に聞いてようやくたどり着くと、大勢の善男善女が拝観の列を作っていた。待つ間「南山城古寺の会」のご婦人がお寺のいわれから荒廃した様子。近年「海住山寺」の助力により復興し重文指定となり収蔵庫を立てた苦労話などを切々と語り待っている時間も無駄ではなかった。収蔵庫に入ると今まで見られなかった光背をつけた鎌倉時代のりりしい十一面観音が正面に見えた。わきには今回の公開に合わせて奈良博よりとり寄せた四天王像が祀られていた。近くにはひっそりした風情の中に建つ本堂があり、人が多くなければいい雰囲気だっただろう。電車の時間もあるので、足早に駅に向かった。
本日は湖東三山の西明寺と金剛輪寺を見て滋賀県の能登川に移動し聖徳太子伝説に彩られた石馬寺に向かった。聖徳太子の乗った馬が石になった池を横に見て最後の長い石段を登った。見仏記によると四天王に践まれてる邪鬼の顔が見所だそうだ。やっとの思いで境内にたどり着きメガネをかけた優しげな若奥様に拝観料を払い宝物館に向かった。中央に阿弥陀、左右に十一面観音と四天王が並べて配置しており、後ろに役行者と大威徳明王が控えている配置だ。木目も鮮やかな大威徳は、特に乗っている牛の大きさとリアルさが特徴的で、巧みである。本堂から帰り再度若奥様に声をかけ仏像のブロマイドを購入してバス停に戻り能登川から京都の喧騒に向かった。
今日から仏像巡りに京都に出かけている。南山城のお寺を巡り、今日最後に訪れたのは黄檗の萬福寺だ。仏像の写真集で萬福寺の韋駄天を見てからずっと会いたかった仏像だ。あいにくの小雨混じりの夕方なので薄暗がりでの対面となったが実物のほうが写真より良い。韋駄天は増長天に仕える八将軍神の位置づけだが、萬福寺では三十二神いる将軍神のトップという格が与えられ、その姿も個性的つくられている。一般的に合掌する姿で作られている韋駄天だが、この像は豪華な甲冑を着て合掌するどころか胸を張って反り返り、余裕の笑みを浮かべている。そこがこの仏像の魅力だ。他にも「禅展」に出展されていた羅怙羅(RAGORA)を初めとした十八羅漢もよかった。紅葉が始まった庭の写真を撮り京都の宿に向かった。
運慶展の第一章「運慶を生んだ系譜」の見どころは康慶の四天王像だろう
。平成21年の春、開催された「国宝阿修羅展」で360度拝観できたが、今回は横一列に並んだ展示だった。東博お得意の露出展示で明るい照明に照らされ布地の柄までハッキリ見える。像高は2メートル近くあり現在は中金堂に安置されているが、もともとは南円堂の不空羂索観音の眷属(けんぞく)として造られた説がある。私も南円堂を拝観したことがあるが、4メートル近い不空羂索観音にふさわしい迫力のあるお像だ。四天王は右手に宝珠、左手に剣を持つ持国天、右手に戟、左手に剣を持つ増長天、右手に羂索、左手に剣を持つ広目天、右手に多宝塔、左手に戟を持つ多聞天である。それぞれ決められた色で塗り分けられて見飽きない仏像だ。来年秋の中金堂落慶のおりにどこに安置されるか楽しみしている。その際はまた奈良を訪れたいと思う。