本日(28日)仏像クラブで初めて世田谷の淨眞寺を訪れた。淨眞寺は世田谷の
閑静な住宅街に広大な敷地を有するお寺で、江戸時代の九体阿弥陀如来が有名だ。東急大井町線の九品仏で降りすぐ近くの淨眞寺に向う。広い境内に桜が咲き始めておりその中を本堂へ向う。本堂には像高3メートルの釈迦如来が座しており、本体から光背、荘厳具に至るまで、金箔が残されていた。まさに仏の世界を実感するつくりとなっている。本堂には他にも江戸時代の五劫思惟阿弥陀如来もあり、見るべき仏が多い。三仏堂にはこちらも江戸時代の九体阿弥陀が祀られており、九体それぞれの阿弥陀様がすべて表情が違い楽しめた。私は下品中生の阿弥陀如来のお顔が凛々しくてよかった。U案内人も興奮したらしく、盛んに双眼鏡を片手に夢中で拝観していた。他の会員が購入した案内には「二十五菩薩来迎会」が3年に1回(次回は平成29年5月5日)模様されるとのこと。またその機会に訪ねてみようと仏像クラブの面々で語り合った。
円空・木喰展の後半は木喰の微笑仏(みしょうぶつ)の世界でこの像高30センチ
にも満たない釈迦如来が平成26年に発見されたばかりの木喰最初の仏像だ。海傅寺は弘前半島にあるお寺だ。木喰は北海道に渡ったとき出会った円空仏に影響をうけて仏像をつくりはじめたとなっていたが、スペシャルギャラリートークで監修者の小島先生はそうではなく、北海道に渡る前に弘前で最初に仏像を製作していたんだと強調していた。通説を覆す発見だ。台座まで含んだ一木造で、頭部は螺髪は刻まず両手を腕前で衣に含んでいる。表情はどことなく微笑んでいるように見え、とても癒された。われわれはその後、会場を埋め尽くされている微笑仏と出会うのだが、最初の作品から心が和んだ。
今回の「みちのくの仏像展」で初めて出会ったのが、この双林寺の薬師如来だ。
この仏像のことを初めて知ったのはテレビニュースで東日本大震災で損傷した仏像として紹介されていた。脇侍の持国天が東日本大震災の余震で薬師如来の左腕に倒れかかり両像とも破損したとのこと。今回の展示ではみごとに修復されていて、まさに復興のシンボル的な仏像だ。平安初期の仏像で、最澄自刻像との伝承がある。比叡山延暦寺にある最澄時刻像に似せてつくった「天台薬師」のひとつで、額がせまく腹部のしわが二重に刻まれている特徴を持つ。材質はケヤキを用いていて東国の仏像に多く用いられているとのこと。脇侍の持国天・増長天もすばらしく、いかにもみちのくらいし仏だ。この薬師如来の前で多くの人たちが東北の復興を願ったことだろう。
会場に展示されている円空仏のうちひときわ目立った展示品がこの少林寺の護
法神だ。いままで多くの円空仏を見てその抽象性に驚かされていたが、わずか1メートルに満たない木片に目と口の切り口をいれた顔面に最小限の彫刻を施した作品にはびっくりした。「こんな円空見たことがない」と思わせる作品で監修者の小島先生も著作の「円空と木喰」のなかで、「円空様式ともいうべきダイナミックで抽象性の高い自己表現を確立していく」作品としてこの護法神を紹介している。これがその後の「木端(こっぱ)仏」などの円空らしい作品へと発展していく契機となる。会場では初期の仏像らしい作品からいきなりこの護法神が展示されているため作風の変化に驚かされる。U案内人も単に木片にしか見えないこの円空仏を「これも作品なのか」と驚いていた。ここからわれわれは円空ワールドに引き込まれて多くの作品を見ることになるが、まずはこの作品にやられたという印象を持った。